「学校に来ちゃだめでしょ」
リアルは元の飼い主から虐待されていた。
見かねたあたしが、リアルを救い出して匿まっている。
というのが、リアルの考え出した筋書きだった。
猫をこよなく愛するまたたびさん……星野さんがそれを聞いたら、きっとリアルを匿うのに協力してくれると思う。
問題は、どうしてリアルが虐待されていた事にあたしが気付いたのか。
まさか、リアルが自分で喋ったというわけにはいかない。
あれからネットで猫虐待の実例を調べたけど、虐待犯はたいてい密室でやってる。
つまり、見ず知らずの人の家で起きている事にあたしが気づくなんてありえない。
そこで、あたしの親戚のおじさんがリアルを虐待していて、あたしがたまたまおじさんの家に行った時に、虐待に気が付いてリアルを連れ出したという事にした。
おじさんには申し訳ないけど。
「おじさんは、いつもは優しい人なの。お年玉もいっぱいくれるし、チョコパフェもおごってくれるし。まさか、こんな酷いことをしていたなんて」
「カット」
あたしの机の上でリアルが映画監督のように言った。
「瑠璃華。セリフ棒読みだよ」
「ちょ……ちょっと緊張しただけよ」
「さっきもそう言ってた」
「あたし……これでも演技には自信があるのよ」
「根拠は?」
「小学校の学芸会で『この役ができるのは君にしかいない』って、みんなから頼りにされ
てたんだから」
「何の役?」
「樫の木」
「……」
ああ!! なによ、その可哀想な人を見るような目は。
「動きのある役だってやったわよ」
「どんな?」
「『大きなカブ』のカブの役。最後にみんなに引っぱられて、地面から飛び出すように抜けるという大役よ」
「どっちも植物かよ。セリフないし」
「セリフならあったよ。カブが抜けるとき『キャー!!』て叫ぶセリフが」
「なんなんだ!? そのマンドラゴラみたいなコワいカブは」
こんな調子で綿密な? 打ち合わせをしているうちに日曜日は終わった。
後は学校で、星野さんにこの事を話して信じてもらうだけ。
ただ、問題は……あたしは学校で星野さんと親しく話をしたことがない。
彼女の周囲には優等生グループがいて、声をかけづらいのだ。
どうやって話しかければいいかな?
*
などという心配はまったく無かった。
「それでね、この前、お父様と新宿に行ったときにキャリコに連れてってもらえたのよ」
昼休みの教室。
給食を食べ終わったら、頃合いを見計らって話しかけようなんて思っていたら星野さんの方から、給食を持ってあたしの机にやってきた。
「そこの猫達がもう可愛くて」
ただ、マシンガンのように語る彼女に話を切り出すタイミングが掴めない。
「キャリコってなに?」
あたしの横で給食を食べていた、なっちゃん……安藤夏美がきょとんとした顔で聞く。
「猫カフェよ。もう、中はパラダイスだわ」
「へぇ、行ってみたいな」
やっと話しかけるチャンス。
「星野さん。お父さんはアレルギーないの?」
「ええ。アレルギーがあるのはママと弟だけ」
ん? 机の下から紙片を持った星野さんの手が……
なんだろう?
『昨日のこと、誰にも話してないわね?』
と紙に書いてあった。
そうかそうか。昨日の事を話していないか、確認に来たのね。
だけど、隣になっちゃんがいるから、迂闊に声に出せなかったわけだ。
あたしは無言でうなずく。
すると星野さんは二枚目の紙を出す。
『他言無用よ。お願い』
もちろん、あたしはあんな事を人に話す気はない。
まあ、それはともかく、話を切り出すいいタイミングだ。
「あのねえ、星野さん」
「ん? なに」
「昨日の……」
「おい!! 校庭に猫が入ってきたぞ」
背後から聞こえた男子生徒の声であたしのセリフは中断した。
思わず、声の方を振り返ると校庭に面した窓の方にクラスメート達が集まっている。
おっと、それどころじゃないわ。
あたしは正面に向き直った。
「それでね」
そこであたしのセリフは止まる。
だって話しかける相手がいないんだから。
ただ、机の上に彼女の食べかけの給食が残っていた。あたしの横でなっちゃんが携帯をいじっている。
「なっちゃん。星野さんは?」
なっちゃんは窓の方を指さす。
窓の方に視線を戻すといつの間にか星野さんも群衆に混ざって校庭を見ていた。
どうしたんだろう?
あたしは席を立ち、窓に向かった。
「星野さ……」
不意に星野さんはきびすを返し、廊下に向かってかけだした。
「助けに行かなきゃ」
と、つぶやきながら。
いったい校庭でなにが?
サンサンと太陽の光が降り注ぐ校庭では大勢の生徒達がボール遊びをしたり、木陰で読書をしたりと思い思いに過ごしている。
特に、これと言って変わった様子はなさそうだけど……ん? なにやら校庭の一角に人の輪ができてる。
その中心に小さくて黒い……!!
なぜ、ここに?
*
大急ぎで校庭に飛び出したあたしは、人の輪をかき分け中心に向かった。人の輪の中心で星野さんがしゃがみ込んでいる。
その星野さんの前にいる黒い小さな生き物は……
「リアル!!」
星野さんの前にちょこんと座り込んでいる黒猫は間違えなくリアル。
あたしは駆け寄ってリアルを抱き上げた。
「学校に来ちゃだめでしょ」
「にゃあ」
「なにが、にゃあよ」
おっといかん。人前で喋らせるわけにはいかなかったんだ。
リアルの口があたしの耳元に近づくように抱きかかえた。
これなら小声で話せる。
「ごめん。瑠璃華がちゃんとできたか気になって、つい」
あたしはリアルの耳に口を寄せた。
「そんなにあたしの演技が信用できないの?」
「できない」
ムカ!!
「あんたねえ……」
ん? 周囲を見回す。
ヤバ。みんなに注目されている。
「ご……ごめんなさい。この子うちの猫なの。勝手について来ちゃったのよ」
「ねえ、美樹本さん」
星野さんがリアルを指さしている。
「その猫って」
しまった!! 星野さんにメールの猫だとばれちゃう。
「名前はなんて言うの?」
え? 気が付いてないのかな?
「リ……リアルよ」
「リアルちゃん。可愛い!!」
あっと言う間もなく、星野さんはあたしの手からリアルを奪い取った。
「にゃあにゃあにゃあ」
リアルは嫌がって暴れる。
「あら、暴れてる。やっぱり美樹本さんじゃないとだめなのかな?」
星野さんはリアルを返してくれた。
「そうじゃなくて、猫はお腹とかしっぽを触られるのがいやなのよ」
「そうだったの。ところでこの猫って」
う!! やっぱり、気づいてた?
「おまえら、そいつから離れろ!!」
そう叫んだ男子生徒は、うちのクラス二年三組最凶の男と恐れられている石動。
「最強」ではなく「最凶」です。
恐れられている理由は強いからではない。
嘘をつく、金に汚い、弱い者イジメをするなど性格が悪いので誰も近づきたくないから。
ただし、本人は「最強の男」と思ってるらしい。
「その猫から離れろ!! 化け猫だぞ!!」
は? 化け猫?
「星野さん。あいつなに言ってるの?」
「気にしなくていいわ。あのバカ、この猫が喋ったとか言ってるのよ」
ゲ!!
あたしはリアルの耳に口を寄せた。
「喋ったの?」
続いてリアルの口をあたしの耳に寄せる。
「つい。あいつに木の実を投げつけられて」
「なにやってるのよ!! あんたが喋れる事は国家機密なんでしょ」
「面目ない。おい、あいつがこっちへ来るぞ」
顔を上げると石動がズカズカとこっちへやってくるのが見えた。
あたしはあわてててリアルを背後に隠す。
「おい、美樹本。おまえ今その猫と何か話していただろう」
ここはシラを切るしかない。あたしの演技力を持ってすれば造作のない事。
「な……なに言ってるのよ。猫が喋るわけないじゃない。あははは」
「そのリアクション、何か隠しているな」
あたしの演技を見破るとは、手強い奴。
……でもないか。
「なにも隠してなんか」
その時、星野さんがあたしと石動の間に割って入って来た。
「いい加減にしなよ。こんな可愛い猫ちゃんが化け猫なわけないでしょ」
「化け猫だ!! こいつさっき俺に向かって『いきなり何をする』って叫んだぞ」
ふいに星野さんは屈み込んで、あたしがだっこしているリアルを覗き込んだ。
「ねえ、リアルちゃん。あなた人間の言葉喋れる?」
「にゃーにゃー」
星野さんは石動に向き直った。
「『喋れません』て言ってるよ」
星野さん。猫語がおわかりになるんで?
「てめー!! おちょくってんのか!!」
「そうだけど」
あっさりと肯定されて石動はリアクションに困ったのか絶句する。
「だいたいね、先に私達をおちょくったのは、あんたの方でしょ」
「俺がいつ?」
「さっきから、猫が喋った猫が喋ったって。猫が喋るわけないでしょ」
「だから喋ったんだって」
「じゃあ証拠見せなさいよ」
「よし」
石動はあたしの方に向き直った。
「美樹本!! その猫ちょっと貸せ」
冗談じゃない。
あたしは知ってる。石動が小学生の時に、学校帰りに猫を苛めていたのを。
殺したという噂だってある。そんな野蛮人にリアルを渡したら何をされるか。
「いや」
「いやじゃねえ。ちょっと借りるだけだよ」
「いや!! あんたいつも猫を苛めてるじゃない。そんな人にリアルはわたせない」
「俺にそんなでかい口利いて、ただで済むと思ってるのか? 知ってるぜ。田崎真、死んだそうだな」
こいつ……何が言いたいの?
「……」
「もう。お前を守ってくれる奴はいないんだよ」
「だから、なによ」
「あいつが死んだのは天罰だぜ。いつも俺の邪魔ばかりするからよ」
バシ!!
考えるよりも早く、あたしは石動の頬を叩いていた。
「あんたが……」
石動はあたしに叩かれた頬を押さえながら、いやらしい笑みを浮かべていた。
「あんたが死ねばよかったのよ!!」
世の中間違ってる。
真君みたいな優しい人が死んで、石動のようなゲスが生きているなんて。
「言いたい事はそれだけか」
石動は凶悪な笑みを浮かべた。
コワい!!
さっきは思わず叩いちゃったけど。
「このアマ!!」
石動があたしに襲い掛かってきた。
「フギャー!!」
同時にあたしの腕の中にいたリアルが、石動に飛び掛かった。
「うわわ!! 何しやがる!! このクソ猫!!」
石動の腕や脚、顔をリアルはひっかきまわった。
石動もリアルを捕まえようとするが、すばしっこくて捕まえられない。
チュイイン!!
なに? この音……
「ふにゃああ!!」
リアルがジャンプして石動の胸をひっかいた。
そんなとこひっかいても、石動は冬服のブレザーを着ているから猫の爪じゃ……
え? ブレザーが引き裂かれている?
リアル、何をやったの?
「フー!!」
リアルはあたしの足元に戻ると、石動に向かって威嚇した。
「このケダモノが」
ひっかき傷だらけの石動があたし達の方へやってくる。
石動の前に星野さんが立ちはだかった。
「いい加減にしなさいよ。この野蛮人」
石動は星野さんを払いのけようとした。
だが、払いのけようとした石動の手を星野さんは掴み。
「でえい!!」
見事な一本背負いで石動は宙に舞った。
砂埃を上げて石動は地面に叩きつけられる。
「おお!!」
周囲から拍手と歓声が沸き起こる。
「おおヤダヤダ。汚いモノを触っちゃったわ。手を洗って消毒しないと。美樹本さん。行きましょ」
「ええ」
星野さんに促され、あたし達はその場を離れた。
*
「虐待されていた?」
消毒液を念入りに手に吹き付けながら星野さんがそう言ったのは、体育館横の水道付近での事。
とにかく、いい機会だから星野さんにリアルと考えた作り話をしたのだ。
「つまり、星野さんにメールを送ったのは、あたしのおじなんです」
「なんてひどい」
星野さんはふいにリアルを抱きしめた。
「にゃにゃにゃ!!」
リアルは嫌がって暴れる。
ごめん。リアル。少し我慢して。
「こんな可愛いリアルちゃんを虐待するなんて。人間のやる事じゃないわ」
おじさん。ごめん。
「すぐに警察に」
「それだけはやめて!!」
スマホを取りだした星野さんを、あたしは慌てて止めた。
「なぜ、止めるの? 動物虐待は犯罪なのよ」
「でも……あたしにとって大事なおじさんだから」
「でも、このままだとまた別の猫が犠牲に」
「そんな事あたしがさせない」
いや、元々おじさんはそんな事しないんだけどね。
「美樹本さん」
「お願い。警察だけは呼ばないで」
星野さんはじっとあたしを見つめた。
「わかったわ。美樹本さんがそこまで言うなら」
「ありがとう。星野さん」
「ところでそのおじさんて、母方の人?」
「え?」
確かに、おじさんはママの弟だけど、なんで星野さんがその事を……
「なんで知ってるの?」
「だって、メールの差しだし人の名前が美樹本じゃなかったから、そう思ったんだけど」
「ああ、そうか」
アブない!! アブない!! うっかりその事を忘れていた。
「それでね、星野さん。お願いなんだけど」
「何かしら?」
「その人に……おじさんに『この町に該当する猫はいませんでした』て伝えてほしいの」
「まかせて。誰がそんな虐待野郎にリアルちゃんの居場所を教えるものですか」
「ありがとう。星野さん」
良かった。これで目的は達成ね。
「安心してね。リアルちゃん」
星野さんはリアルにほおずりする。
「にゃあにゃあ」
星野さん、それ猫にとってセクハラだって。
「おねいさんがリアルちゃんを守ってあげる」
「にゃあ!!」
「そのかわり。にへへへ」
うわわわ!! 星野さんの顔が変質者に。
「もふもふさせて」
リアル。耐えるのよ。
「にゃあああ!!」
リアルは目で『助けて』と言っている。
でも、こればかりは……そうだ!!
「あの星野さん」
「何なの? 私は今、リアルちゃんと、もふもふするのに忙しいんだけど」
「でも、猫の毛を付けたらまずかったんじゃ?」
星野さんはハッと我に返った。
「そうだったわ!! つい理性を失ってしまった。これじゃあ家に帰れないわ」
星野さんはやっとリアルを解放してくれた。
「そうそう。美樹本さん。言い忘れてたけど」
「なに?」
あたしはリアルを抱きあげた。
「ここ数日、市内で猫が誘拐される事件が多発しているの」
「ええ!?」
「ネットの情報だけどね。家猫だろうと野良猫だろうとお構いなしに。飼い主の目の前で突然車に連れ込まれるなんて事もあったそうよ。それも黒猫ばかり」
黒猫ばかりが?
まさか? 内調がリアルを探している?
「わかったわ。ありがとう。教えてくれて」
「もっとも、誘拐された猫はすぐに解放されているけどね」
やっぱり。リアルじゃないとわかったから、解放されたんだ。
「きっと犯人は、猫を追いまわしてばかりいる変態よ」
それは、あんただろう。
「ところで、星野さん。リアルの毛どうする? 取るの手伝おうか?」
「大丈夫。ジャージに着替えて帰るから。制服もコインランドリーで洗っていくわ」
「大変ね。家族が猫アレルギーなんて」
「まったく。どうせなら母も弟も凄く嫌な奴だったら良かったのに」
「え? どうして」
「嫌な家族だったら、むしろ猫の毛を持ち帰って苦しめてやるところだけど」
いや、それはやっちゃだめでしょ。
「でも、母はとても優しいし、弟はとても可愛いの。これ見て」
星野さんがスマホをあたしに見せる。
小学校低学年ぐらいの男の子が、猫の着ぐるみを着ている写真が写っていた。
「弟よ。可愛いでしょ」
可愛い……でも、この子泣きそうな顔をしているのはなぜ?
てか、なぜ猫の着ぐるみ?
いや、なんとなく理由がわかってしまうが。
「家で猫を飼えない代わりに、弟に猫の格好をさせてもふもふしているのよ」
やっばり……なんか弟さんが可哀想。
「となると明日から予備の制服を用意しなきゃね」
え? 明日から? どういうことだ?
「美樹本さん。明日からもリアルちゃん連れてきてね」
「ええ!? 無理!! 無理!!」
「どうして?」
「どうしてって、先生が許すわけないでしょ」
「そうか」
何考えてんだこの人は……
「じゃあ先生に頼んでこよう」
どうぞどうぞ。どうせ先生がそんな事許可する訳ないし。