銀子、街にくりだす
ガタガタという音に耳がピクピクっと動きます。何事かと目を薄く開くと、栗色の瞳が嬉しそうに細められました。
「あ、起きたのね!おはようのぎゅ~っ」
「……に」
抱きしめられたので、いちおう前足で軽く押し返して拒絶しておきます。
まったく、こんなことが出来るのは寝起きだけですからね。普段の私は多少触らせはしますけど、過度なお触りは厳禁です。そんな軽い女ではありません。ぷんぷん。
「モニカ、そのくらいにしておきなさい。嫌がってますよ」
「え~そんなことないよねぇ?」
いや、嫌がってますけど。こんなぷにぷにの肉球でペタペタされるだけじゃわからないかもしれませんけど、人ってけっこうデリケートなところを触ってくるから嫌なんですよ。撫でるくらいは良いですけど、抱き締めるとお腹とかも触るじゃないですか。まだそこまで心を許してませんよ。
これは猫としての私だけでなく、人間としての私含めた私の総意です。愛想は良くしますけど、アイドルが簡単に触れる存在ではいけないと思うんです。毎日会えるアイドル、少し触れられるアイドル。そこまでが限界です。
少し目も覚めてきたので、もそもそと腕から抜け出します。そして受付に座っているヴィルさんの膝に飛び乗り、少しふみふみしてから丸まりました。
「むー、なんでヴィルには懐いてるのに私の方には来ないのかなぁ~」
「にぃっ!」
「しつこいから、だそうです」
流石ヴィルさん、完璧な翻訳です。
何かの書類を整理しているヴィルさんを、モニカさんは羨望と嫉妬が入り混じった目で不機嫌そうに睨んでいます。
モニカさんはギルド職員の1人で、栗色の髪と瞳の可愛らしい女性です。ただ少しスキンシップが激しいのが難点ですね。でも触り方は優しいですし、荒々しい冒険者の方たちと比べれば全然良いです。これでもけっこう懐いてますよ。ご飯もくれますし。
ギルドにはまだ冒険者はおらず、ヴィルさんとモニカさん、あと数人の職員だけなので閑散としています。まだ朝早いですからね。
ギルドは基本的に24時間営業ではありません。ですが一部の職員は隣の寮に住んでいるので、何かあった時はそちらに行けば良いのです。私はいつもギルドで寝ていますが、たまに可愛いもの大好きな女性職員に連行されます。仔猫に恋の相談をする女性職員、危険なので早く精神安定を図ってください。
そうそう、ヴィルさん本名はヴィルヘルムと言って、貴族さんらしいですよ。伯爵家の次男だかで、家を継ぐこともないので冒険者を数年前経験した後ギルド職員になったそうです。その、顔が正直普通なので、貴族オーラがありませんけど。ちなみに彼女すらいません。
でもヴィルさんはいい人ですから、フツメンとか言いませんよ。ちょっとツンデレ要素があって私にはあんまり構ってくれませんけど、猫としてはそのくらいでちょうど良いですし。女性職員の皆さんにオススメしたいくらいですけど、貴族の嫁は嫌だそうです。
じゃあどんな職なら良いのかと思って恋バナを聞いていると、冒険者は危ないし収入が安定しない、貴族は作法とか覚えないといけないから面倒くさいだのと文句ばかりでした。まあ女ってそんなものですよね。
私が聞いた限りまだ評価が良かったのは王宮勤めと騎士。やっぱり安定は大事なようです。ギルド職員もいちおう公務員的存在なので安定はしているはずですが、眼中にすらなさそうでした。近すぎると気付かないものです。
ヴィルさんの書類仕事––––恐らく私をギルドで世話することに関するものだと思われます–––––をぼんやりと眺めていると、少しずつ冒険者も入ってきました。
「にぃ」
「あちらに行くんですか?いってらっしゃい」
ヴィルさんにひと鳴きして膝から飛び降ります。
冒険者ギルドの仕組み、というか冒険者の仕組みを簡単に説明しておくと、まずギルドに申請しギルドカードを発行することによって正式に冒険者として認められます。無事冒険者となると、国や何かの組織、あるいは個人からの依頼を受けることができるようになります。その依頼を一目で確認できるのが依頼ボードです。
冒険者は依頼ボードから好きな依頼を選び、その依頼の紙をとって受付に持っていきます。ギルド職員が許可し手続きをしたら、その依頼を遂行し受付に証拠を持って行く。ギルド職員がそれを確認して報酬を渡す。これが一連の流れです。
創作の世界と少し違うのは、ここが正真正銘科学の発展していないファンタジー世界であること。魔法も精霊の力を借りるだけのものなので、誰でも使えるように研究開発したりは出来ません。故にギルドカードもただの丈夫な紙であって、ランクアップしたら色が変わるとかキャッシュカード的役割があるとか、そんなオプションは付いていません。これだけの人数がいて手続きが滞ることなく済むのは、ギルド職員の手腕のおかげなのです。
花型ではないので知られていませんが、実はギルド職員はけっこうなエリートだったりします。もちろん事務仕事は出来なくてはなりませんし、最低3年冒険者として活動してそれなりの功績を残すことが雇用の最低条件です。
なぜギルド職員に冒険者としての経験が必要なのかというと、依頼の受理の許可を出す際、それがその冒険者の実力相応のものかを判断しなくてはならないからです。そのうえ、この世界の冒険者にはランク制度がなく、ギルド職員は自分の知る限りの知識と冒険者の見た目や言動から実力を判断しなくてはなりません。頭脳も観察力も必要な職なのです。
つまり貴族のヴィルさんも、少ししつこいモニカさんも、頭が良くて戦闘力も高いんですね。この職はもっと世界中の人に認知されるべきだと思います。
話がそれました。ヴィルさんの膝からおりた私は食堂の方に向かいます。
冒険者ギルドには食堂が併設されており、冒険者は他の食堂よりも比較的安く食事を摂ることができます。今はまだ朝早いので朝食をとる人が多いでしょう。依頼ボードも食堂側の近くにあるので、食事をとった人はそちらに行くはずです。
で、何のために食堂に向かうかというと、看板猫としての役割を果たすためです。
「に〜」
「おぉ猫!今日も元気か?」
「にゅんっ!」
「猫、少し飯分けてやるよ。こっち来い」
「あぁん?猫は今俺と遊んでんだろーが。てめぇはケツの垂れたカミさんとこに行けや」
「るっせー!恋人もいねぇやつに言われたかねぇんだよ!」
「女がいねぇから猫に頼ってんだろーが!」
やめて!彼の傷口を抉らないで!
……えー、看板猫としての役割とは、つまりこういうことです。
独り身の冒険者の癒しになる。冒険者からエサをもらって餌代を浮かす。すべてヴィルさんの目論見通りになってしまっていますが、要はみんなのアイドルになれば良いわけです。ナンバーワンアイドルを目指す私には余裕のよっちゃんですね。
その後も猫〜猫〜と呼ばれ続け、私は大忙しなのでした。もう、皆さんそんなに私のことが好きなんですか?仕方ないですね〜。でも私の体はひとつしかありませんから、同時にたくさんの人の相手は出来ませんよ?あ、こらそんな強く触らないでください!繊細なんですからね!
「ギン!」
冒険者さんたちに強く捕まれてバタバタしていると、聞き馴染みのある声が聴こえました。彼こそが私の救世主!
「あっ!」
猫特有の関節の柔らかさを使って脱出し、風のように声の方へと走ります––––実際はよたよたっというか、ちょこちょことですけどね。成長すればチーター並みの走りを披露して差し上げますよ。
「にぃっ!」
声の主へと飛びつくと、ふわりと人の体温が私を包みました。ナイスキャーッチ。
「どうしたギン?今日はいつも以上に速かったな」
「おいガイア!お前の所為で猫が逃げちまったじゃねぇか!」
「……ああ、お前らの所為か」
声の主–––––ガイアさんは私を追いかけてきた冒険者さんたちを見て溜息を吐きました。
私はアイドルですから、基本的に誰にも平等に接しています。ですがアイドルも人間……いえ、私の場合は猫ですから、その中でも多少の好き嫌いはあります。というか、猫としての私は懐いている人と懐いていない人がいます。
特に懐いている人がヴィルさんとガイアさんです。まあこれは必然でしょう。ヴィルさんはまともに初めて見た人間ですし、ガイアさんは恩人です。それに2人は私の扱いが素晴らしい。嫌な触り方はせず、いつも優しく触ってくれます。ちなみに、次に懐いているのがモニカさんを筆頭とする女性職員の皆さんです。
ガイアさんはたいてい朝一でギルドに来てくれますが、それより早く来る人もそれなりの人数います。その人達に愛想を振りまき、ガイアさんが来たらガイアさんにご挨拶に行く。そして一緒に朝食をとるのが最近の日課です。
今日はガイアさんが来るのが気持ち遅かったので、皆さんのスキンシップが少し激しくなってしまいました。もともと冒険者というのはあまり上品な方たちではありませんので、しばしばそういうこともあるのです。ファンとしてある程度のマナーは守っていただきたいものです。
「猫ぉ、何故お前までも俺から離れていくんだぁ〜」
「そういやお前のカミさん出て行ったらしいな」
「……どうせ俺なんか生涯孤独なんだぁ〜」
うわぁ、すごく憐れです。そんな事情があったから、今日は一段としつこかったんですね……ちょっとなら触っても良いですよ?ほら。
「てめぇの都合をギンに押し付けてんじゃねぇよ」
はうっ、ガイアさん厳しいです!
彼女もできないガイアさんより、やっとできた奥さんに捨てられた冒険者さんの傷の方が深いんですよ!もう少し配慮してあげてください。
「それと、猫猫うるせぇ。こいつの名前はギンだ、猫じゃねぇ」
「ギン?」
あ、そうそう、私名前つけてもらったんですよ。名付け親はガイアさん、拾ってきたのはガイアさんだからとヴィルさんが名付けさせました。いや、私捨て猫じゃありませんからね?
そしてその名前がギンで、奇しくも本名の銀子と近かったのです。というか前世のあだ名ですね。毛が白銀だからという安直な理由ですが、シロとかじゃなくて良かったです。
「にっにっ!」
可哀想だから責めるのやめてよぅ!という気持ちを込めてガイアさんの肩まで登ります。まさかこんなところで木登りスキルが役に立つとは。ガイアさんはゴツいので登りやすくてよろしい。
ガイアさんの顔を前足でペチペチ叩くと、思いが伝わったのかガイアさんは私に笑顔を向けてくれました。
……いやぁぁぁ笑顔が怖いぃぃぃ!
「……ガイア顔怖」
「あぁん?」
「なっ、なんでもねーよ!」
笑顔からの睨みへの転換。憐れな冒険者さんは走って逃げて行きました。
もう、ガイアさんに顔が怖いは禁句ですよ。それは本人が一番わかってるんですから。わかってるけど、受け入れるのは難しいのです。流石の私にもフォロー出来ません。気持ちはよーくわかりますけど。
「……ギン、なんか失礼なこと考えてねーか?」
「にゃぁ〜?」
な、なんのことですか〜?銀子わかんな〜い、と可愛く鳴いてみますが、じとーっと睨まれてます。何故……あっ、「にゃー」で鳴いちゃった!私が「にー」か「にゅー」以外で鳴く時はたいてい嘘吐いてるってもう覚えちゃったんですね!そんなところで記憶力発揮しなくて良いですよ!
ごめんなさーいと顔にスリスリすると、ガイアさんは溜息を吐いて撫でてくれました。鳴くだけでダメな時はボディタッチ、これ鉄則です。
ガイアさんは私を肩に乗せたまま受付へと歩き始めました。あれ、食堂には行かないんですか?それに依頼の紙も持ってませんし。
一番忙しい時は受付に何人も人が並ぶのですが、今日はまだがらがらです。ガイアさんはまだ書類仕事をしているヴィルさんに声をかけました。
「ヴィル」
「……ああガイアさん。おはようございます。依頼ですか?」
「いんや、今日は休みだ。ギン借りて行ってもいいか?」
「ギンを?」
ヴィルさんの碧眼がキョトンといった風に丸まります。ちなみに、ヴィルさんは金髪碧眼という貴族っぽい色合いなのです。逆にこれ以外貴族っぽいところがない。
ガイアさんは赤褐色の髪と眼。こっちの世界の有名な熊の毛は赤褐色だそうで、実は私以外の人たちもガイアさんのことを裏で熊さんって呼んでるんですよ。うぷぷ。
と、そんなことを話している場合じゃありませんでした。借りるってどういうことですかガイアさん。お持ち帰りというやつですか?そして私にあんなことやこんなことを……ああっ、どうしましょう!
……いやお前猫じゃんとか言わないでください。私だってたまにはふざけたいんです。猫の姿は気に入ってますが、私にも人間としての尊厳というものがあります。
「ああ。まだギンはここから出たことないだろ。街を見せてやろうと思ってな」
「ガイアさん、立派なお父さんですね」
これで相手さえいれば……とヴィルさんは言おうとしたことでしょう。ガイアさんに睨まれて口を噤みましたが。
「……まあ、良いですよ。街に連れ出せば周囲の目にも止まりますし、良い宣伝です」
「お前なぁ……」
ガイアさん、ヴィルさんがこんななのは今に始まった事ではありません。諦めましょう。
「ですが、これを付けてくださいね」
そう言ってヴィルさんが机の引き出しから取り出したのは、ゴムで出来た輪っかに大きな青のリボンが付いたものでした。リボンの真ん中には銀色の鈴が付いていて、揺らすとチリンチリンと可愛い音がなります。
「これは?」
「首輪です。看板猫なのですから、ある程度可愛げのあるものの方が良いでしょう。家で懇意にしている仕立屋に余った布で作ってもらいました。格安ですよ」
本当、なんでヴィルさんは貴族なのに貧乏性っていうか守銭奴っていうか……良い表現が思い浮かびませんでした。別に貧乏貴族ってわけではないはずなんですが、商家の息子と言われた方がしっくりきます。
まあ良いんですけどね。あまり高価なものを貰っても気が引けますし、かと言ってあまり布の質が悪いものは着け心地が悪いですし。ありがたくいただきますよ。
「ちなみに裏側に名前と連絡先が書いてあります」
最近依頼ボードを眺めて少しずつ覚えている文字。私が読んだところ「ギン 冒険者ギルドペイン支所の看板猫です。迷子になっている場合は冒険者ギルドまでご連絡ください」と書いてあるようです。無駄に手が込んでますね。私は迷子になんかなりませんよ。
ヴィルさんから受け取ったガイアさんが首輪を付けてくれます。かちっとはめるタイプではなくずぼっとかぶるタイプなので、少し毛が乱れてしまいました。毛繕い毛繕い。
「……予想以上によく似合ってますね」
え、そうですか?ちょっとー誰か鏡持ってきてー。
まあ、今の私がどれだけ可愛いかは想像に難くありません。元々超美猫ですからね。きっと私の目と色を合わせたのであろうリボンは、白銀の毛並みとよく合っているはずです。
ただ……凄い気になります。
猫としての習性なのでしょうか。体に何かがついているのが落ち着かないのです。つい後ろ足で首輪をとろうと掻いてしまいます。しかもその度に鈴がチリンチリンうるさい!
「ああこら、あんまり掻くな」
ガイアさんに止められたので、しぶしぶ後ろ足を下ろします。
やっぱり気になるので少し歩いてみることにしました。
右に歩きます。チリンチリン。
左に歩きます。チリンチリン。
「……にぃぃ〜」
「我慢してください。鈴が鳴ると何処にいるのかわかって良いでしょう」
それはそうでしょうけど……。
昔、親戚が住み着いた野良猫を飼い猫にしようと鈴付きの首輪を買ってきたことがありました。つけるところまでは良いのですが、やはり鈴が気になるようで何度も掻いていたのを覚えています。最近の首輪は木なんかにひっかかっても首が締まらないように、自然と外れる仕掛けがついてるんですよね。それを利用して自分で器用に外しちゃうんです。
けっきょくその猫は完璧な飼い猫になってしまって、数年後に会ったときは鈴なんて全然気になっていないようでしたけど。私もそうなれますかねぇ。
「うし、もう良いだろ。行くぞギン」
ガイアさんの大きな手が、私の小さな体を掻っ攫います。普通だと両手で持つと思うんですけど、ガイアさんだと片手でも余裕があるんですよね。なのに荒々しくない、見た目とのギャップが激しすぎます。
「じゃ、ギン借りて行くぞ。夕方には帰る」
「お気をつけて」
ヴィルさんの営業スマイルに見送られて、私たちはギルドを後にしました。
……ガイアさんが歩くたびに鈴がうるさいですねえ、やっぱり。