銀子、生まれ変わる
気がつくと、目の前に大きなテレビがありました。
夢見心地で辺りを見回します。どこもかしこも真っ白で、部屋というよりは空間と言ったほうが正しいでしょう。壁のような本来あるべき区切りがありません。長時間いると狂ってしまいそうです。
「はろー、可哀想な銀子ちゃん」
さっきまで真っ暗だったテレビに誰かが現れたと思うと、その人は単調な声音で言いました。
「はろー変質者さん。2つお聞きします。あなたは誰ですか?そしてここはどこですか?」
「変質者じゃないよー。私は神、そしてここは私の庭だ」
その回答で変質者じゃないと主張するのは無理があります。
そもそも、テレビに映るその人はよくわからない、簡単に言うとダースベ●ダー的な仮面をしていて、神様だというのならもう少しまともな格好をしていただきたいものです。
「神は人間風情に顔を見せてはいけないんだ。常に手の届かない存在でなくてはならないからね。それは死人相手にも同じさ。……ああ、人間風情っていうのは私の考えじゃなくて、他の神の考えなんだけどね。だからほら、こいつクズだなって考えるのやめてくれないかな」
どうやら思いっきり心を読まれているようです。読心術でも修得しているのでしょうか。
「だから神様なんだってー。それに君は既に死んだだろう。もう変質者だろうが何だろうが生人に会うことはできないよ」
……ああ、そういえばそうでした。
なるほど彼あるいは彼女が神である可能性が高まります。
「というか、やはり私は死んだわけですか」
「そりゃあね。後頭部からいっちゃったからさ、こう頭がぐちゃってなっちゃって即死だよね。神の力をもってしても再生不可能ってやつだ」
「そうですか。それは……残念ですね」
ええとっても。
「思ったより薄い反応だねぇ」
「まさか。腸煮えくり返ってますけれど。ただもうどうしようもないので」
昔から「若さがない」だの「可愛げがない」だの言われてきた私です。
その原因は、年の割に達観した性格でしょう。友達がいなくなってしまった。それは仕方がない。美桜に裏切られた。それも仕方がない。そうやって生きてきたから、大人からはそう言って溜息を吐かれ続けました。
今だってそうです。できることならあの2人の目の前で罵り続けて、私と同じ目に合わせてやりたいですが、死人に口なしとはよく言ったもので私は彼等に思いを伝えることすらできません。無念です。けれどどうしようもありません。
「どうしようもなくない、って言ったらどうする?」
「……どういうことでしょうか?」
「今神の中で流行ってる遊びがあってね」
画面の中の神様はどこからか大きなフリップを取り出しました。
それにはこう書かれています。
『アイドル製造計画!』
「神たちが1人ずつお気に入りを世界に産み落として、その子をその世界でアイドルに仕立て上げるっていう簡単な遊びなんだけどね。私はあんまりこういうの好きじゃないんだけど、自分の子がナンバーワンに選ばれたら10年間仕事が半分になるって言われたらやるしかないじゃない?それで私は君に目をつけた」
「……では、私はもう一度やり直せると?」
「そうとも言えるし、そうではないとも言える。同じ世界に生き返させるのは出来ないんだ。だから君は彼等に復讐する術を持たない」
それでは意味がないではないですか……そう思いましたが、そう判断するのはいささか早計でしょう。なんせ相手は神ですから、意味のないことは語らない。そう信じたいところです。
「さっすが銀子ちゃーん。その通り、君がアイドルとして頑張る気があるんなら、復讐も無理ではないかもしれないよ」
「それは、つまり?」
「自分の子がナンバーワンになれば、神は仕事が半減でラッキーなんだけど、アイドルは1つだけ願いが叶えられるんだ。残念ながら元の世界に転生するのは不可能だけど、たとえば君が彼等への復讐を望むのなら……」
「それも可能だと?」
神様は微笑んで––––仮面で見えませんが、そんな気がしました––––頷きました。
私は考えます。彼等への復讐にいったいどれだけの価値があるのか。確かに彼等には嫌いを超越するレベルで嫌悪感を覚えますが、それは自分を犠牲にして復讐するほどのものでしょうか。そもそも彼等のことは二度と見たくないような気もします。けれど、のうのうと生き長らえるのは許せない。
……いや、私を突き落としたわけですから、フェンスが壊れたせいとはいえど藤堂君は人殺しのレッテルを貼られて生きていかなければならない。ということは、私にできる復讐なんてほとんどないのでは?
問題は美桜の方です、彼女なら藤堂君を捨ててまた同情を集めることもできます。しかし、彼女にとって私が死ぬことは想定外だったはず。そうでなければ、あの時あんな顔はしないでしょう。彼女が普通の人間であれば、間接的に私を殺してしまったということで一生罪悪感を感じて生きていかなければならないはず……彼女がそこまで腹黒くないことを祈るばかりです。
彼等への復讐のために生きていく。それはとても悲しいことのように思えます。復讐系の小説は何度か読みましたが、あれはあれで面白いですが現実で自分が主人公たちと同じ道を辿ろうとは思いません。たいてい、復讐物の主人公は最後死にます。
けれど私は既に死んでいるわけで、ならば私にその法則は当てはまらないのでは……色々考えますが、なかなか答えは出ません。
いや、目的を見失っていました。私が今出すべき答えは復讐するかしないかではなく、アイドルになるかならないかです。
ならば、答えは決まっていました。
「……わかりました。アイドルを目指して転生させていただくとしましょう」
「それは復讐のために?」
「少しはそれもありますが、それは副産物にすぎません。復讐のためにナンバーワンを目指して奮闘なんて嫌ですし……ただ私は、楽しく生きたいだけです。今度こそ」
これまでの人生が不幸だったなんて言いません。友人に恵まれなくとも、家族にはとても恵まれていたように思えますし、もともと私は1人が苦にならない質でしたので友人がいなくてもあまり気になりませんでした。それはまあ、友人とショッピングとかやってみたかった気もしますけれど。私だって年頃の女の子ですから。
けれど、楽しかったのかと言われると悩んでしまいます。好きなように生きていた時期なんて幼少期だけで、いつからか私は周りに流されていたように思います。美桜の策略に気付けなかったせいでもありますが、もっと立ち向かっていくべきだったのではないか、そんな気もしています。
だから、転生できるというのならそれほど嬉しいことはありません。このまま終わるくらいなら、理想の人生を送りたい。そう思うのはおかしなことではないでしょう。
「そっか。復讐に燃えるアイドルも珍しくていいかなぁとは思ったけど、そんなギラギラしてるアイドル嫌だもんね。うん、良いと思う」
復讐アイドル銀子……それはそれで良かったのかもしれませんが、私の思いに反しますね。
というか、アイドルの名前が銀子ってどうなんでしょうか。私は別にこの名前が嫌いではありませんが、古風にしてももう少し可愛らしい名前があるでしょう。せめて春子とかの方がアイドルらしさがあるのでは。
「それじゃあ早速手続きをしよう。えっと、確かこの辺に……」
画面の神様は後ろを向いたかと思うとゴソゴソと何かを探し出しました。あ、神様って長い金髪なんですね。女の方なんでしょうか……いや、神様だから性別はないのかもしれません。男の人でもロン毛の人はいますし。
目当てのものを見つけたのか、神様は向き直りました。その手にあるのはぐしゃぐしゃになった一枚の紙。どうやら神様は片付けられない神様のようです。
「えっと……あきが少ないな。銀子ちゃん、トカゲと猫とモモンガの中でどれが好き?」
「はぁ?」
いきなり何を言い出すのでしょうこの人、いや神は。ここで好きな動物を聞くことにいったい何の意味があるというのでしょうか。というかチョイスがよくわかりません。トカゲと猫とモモンガって、せめて哺乳類で統一して欲しかったところです。
基本的に、私は動物好きです。周りに人がいなかったから、その愛が動物に向くのは自然なことでしょう。可哀想とか言わないでください。
なので言うなればどれも好きなのですが、そうですね……トカゲはやはりあまり好きではありません。女子のようにキャーキャー言って触れないなんてことはありませんが、特別愛でようと思いませんから。モモンガはペットショップで見て可愛いなぁと思っていましたが、珍しいのであまり親近感が湧きません。
そう考えると、私が一番好きなのは猫でしょう。高校1年生のある日、公園で出会った足が一本ない白猫。彼女を思い出します。
我が家は全員動物好きですが、母がアレルギーを持っていたので魚類以外動物を飼ったことがありません。なので私はペットショップに行ったり猫カフェに行ったりしていたのですが、彼女に出会ってからはあまり行かなくなりました。
きっと昔事故にでもあったのでしょう。右後ろ足がない彼女は、私を見つけるといつもひょこひょこととぶように近づいて来ます。最初会った時は痩せ細っていて、きっと狩りもまともにできないのだろうと思いました。野良猫に去勢、避妊手術をして離し餌をあげる団体もいましたが、餌は全て他の猫に横取りされていたのでしょう。
私が毎日公園に行って餌をあげるようになってからは、彼女は少しずつ肉をつけていき、最近では標準体型にまでなりました。とても懐いてくれて、抱っこをした日は服に毛がついて母を苦しめたりもしましたが……全て良い思い出です。
ああ、もう私は彼女に餌をあげることはできない。これから彼女はどうなってしまうのでしょう。また痩せ細っていくのでしょうか。そう考えると、自分が死んでしまったことに罪悪感を覚えます。まあ殺されたわけですから、本当に憎むべきは美桜と藤堂君なのですが。彼等は私だけでなく、彼女も殺すことになってしまったのかもしれないのです。
「……えーっと、そんなに悩むかな?三者択一
だよ?」
「あ、すみません考え事してました。そうですね、私が一番好きなのは猫です」
「おっけー猫ね。じゃあ転生いっちゃおっか」
え、もうですか?
そう言おうと口を開きましたが、不思議と声が出ません。気付けば私の周りがほんやりと光っていて、神様の姿もよく見えなくなってしまいました。
「引き受けてくれてありがとうね銀子ちゃん。きっと今度は楽しく暮らせるよ。でもアイドル活動も頑張ってね、私の仕事がかかってるから。健闘を祈ってるよ」
いや、アイドル活動も何も、何をどうしたら良いのか全然聞かされてないんですけど?
ツッコミどころがありすぎて口をパクパクさせている間にも、どんどん光は強くなっていきます。
最後の最後、完全に視界が塞がれる前。
そっと仮面を外して微笑んだ神様の顔は、とても––––。
***
気がつくと、私は浮いていました。
どこかで見覚えがあると思いました。拭えない憤怒と焦燥の記憶。そう、屋上から落下した時の景色とよく似ているのです。
その時は恐怖を感じませんでしたが、思い出すと急に恐怖を感じてきてパニックを起こしかけます。何ででしょう、いつもの私ならそんなことはないのですが、どうも今の私は情緒不安定気味なようです。
しかし気が付きました。浮いてはいますが、落ちてはいません。ふわふわと漂っているような感じで、なんだか良い気分です。
少しずつ景色が変わっていきます。きっと移動しているんでしょうが、自分から動こうという意思を持っているわけではないので、どこに向かっているのかもわかりません。というか今の私には実体がないようです。ただ夢の中のように、俯瞰で世界を眺めています。
物凄く上にいるからなのか、人間の姿は見えません。少しずつ変わっていく景色は地球の日本では見られないようなものばかりで、とても幻想的です。
あー綺麗だなーと思いながらぼんやりしていると、急に視界が真っ白に塞がれました。
何事だ!とまたもパニックを起こしかけますが、どうやらこれは雪のようです。猛烈な勢いで吹雪いているのでした。
いつの間にこんなところに来たのでしょう。どこもかしこも真っ白なここは、どうやら雪山のようです。生身できたら一発で凍死しそうですが、不思議と寒さは感じません。
……あれ、急に動きが止まりました。さっきまではゆっくりでも動いていたのに。
私の意思では動けそうにありません。どうすれば良いのかと思うと、私は落ちました。
落ちたと言っても前世で死んだ時のようなものではなく、ポスッと音をたてて雪に埋もれます。この雪山はかなり標高が高いらしく、私が浮いていた高さとあまり変わらなかったようです。
ですがおかしいですね。さっきまでは実体がなかったのに、今は確かに雪に触れている感触や冷たさを感じます。冷たいと言っても凍えるようなものではなく、むしろ心地よいと思えます。不思議です。
そっと右手をあげると、そこには小さな白いふわふわがありました。
……あれ?
左手をあげると、そこにもやはり小さな白いふわふわがありました。
……あれあれ?
焦って走り回ります。ひとまず今の私の姿を確認したいので、何か鏡代わりになるものを探さなくては。どう考えても4足歩行で走っていることと神様の言葉からして、どんな姿をしているのかだいたい想像はつきますが、やはり自分の目で見てみたいのです。
吹雪の中を走り回ると、小さな池に氷が張っているのを見つけました。氷なら、輪郭くらいなら映るでしょう。急いで近付きます。
氷を覗き込んで、私は心の中で溜息を吐きました。
ええ、想像通りでしたよ。
氷に映ったのは真っ白な仔猫でした。短毛ですが物凄くふわふわしていて、きっと、触り心地はかなり良いことでしょう。手足は短くマンチカンのようですが、尻尾はそれなりに長くて先がちょっと曲がっています。いわゆる鍵尻尾というやつです。目は少し灰色の混じった蒼で、氷のような冷たさがあります。
「にぃ〜……」
もはや癖となりかけている溜息も、今は情けない鳴き声になって吹雪の音にかき消されます。
あの〜神様。
この姿でどうやってアイドルになれと?