銀子、一安心と束の間の休息
またも大きく遅れてしまいました…すみません。
夏の間は少し暇ができるので、2回ほど投稿できると思います。がんばります。
今回も文章量多めです。
約束通り、次の日の夕方にルーク少年の家を訪れることにしました。
ヴィルさんは忙しいのであまりギルドを留守にできないのですが、これは他の職員に任せるわけにもいかないので、午前のうちにできる仕事を猛ダッシュで終わらせていました。ギルド職員の主な仕事は依頼者と冒険者の仲介って言ってたのに、なんであんなに仕事があるんでしょう。明らかに違うものも混じってましたけど……まあ私が気にしたところでどうにもならないので、忘れます。
「非常に難しい問題です」
ヴィルさんは、珍しく本気で悩んでいるようでした。
「黒呪病の人も、他の難病の人も、まだたくさんいます。その中でただ一人だけに安く薬をおろすというのは、貴族としてもギルドとしてもしてはならないことですから」
それについては門番さんも肯定しました。
「だろうな。そっちがただのギルド職員で、個人的な交友があって、自分の金で薬を買ってやるのは構わんだろうが……」
「生憎、私は一応は貴族の血に連なる者であり、彼女等とはほぼ初対面です。仮に貴族でなかったとしても、個人的に薬を譲ることはしなかったでしょうね」
そうですね、ヴィルさんはそういう性格です。
そして多分、私でもそうするでしょう。たまたま会った人に尽くすほど素敵な性格はしてません。勿論、その過程に色々あって、相手に好意を抱けば別ですが。
つまるところ、今回私が採ってきた薬草分の薬はともかく、これからも金銭的援助をすることは不可能、ということです。こちらの世界は前世ほど福祉も充実してませんし、勿論保険なんてものもありません。難病を持つ子が生まれたからといって、手当てなんてものはないのです。
今回あげた薬だけでも、ちゃんと保存すれば3ヶ月ほど持つはずです。まだ赤ちゃんなので量が必要ありませんからね。
だからと言って、薬あげて放置というのもどうかと思います。その場その場で助けてあげて、後のことは知らなーい、というのは偽善者の典型です。彼女たちはこれからも病気と向き合っていかなければなりませんし、一時的に回復してもまた戻ってくるのは目に見えています。
私がいちいち採ってきてあげればいいのでしょうが、そうなるとそれこそ一人だけに分け与えるわけにはいかなくなります。今回はたまたま猫が薬草を採ってきて、たまたまそこに黒呪病で苦しんでいる人がいたから、無償で分け与えることができたのです。
もしも猫が意識的に薬草を摘みに行っているのだとわかれば、商業ギルドに卸して冒険者ギルドの稼ぎになるのがオチでしょう。職員たちが、それが誰のためのものなのかを知っていても、どうしようもないこともあるのです。
まあ、それ以前にもう雪精霊の山には登らせてもらえないでしょう。何せあそこは普通の生物にとっては危険だそうですから。だからこそ、薬草も貴重とされているわけで。
怒りも忘れてくれたと思われたヴィルさんでしたが、しっかりと覚えてらっしゃいました。結果与えられた罰は、1週間一匹だけでギルド外に出ること禁止、でした。保護者同伴なら良いわけですが、残念ながらガイアさんは仕事で遠くの街に行っていて、帰ってくるのはちょうど1週間後なのだそうです。ジーザス。
よって、少なくとも1週間は雪精霊の山に登ることは出来ないのです。たぶん帰ってきたガイアさんにも怒られるでしょうし、以前より注意を払われるでしょうから、暫くの間は不可能であると思われます。
以上のことから、完全に手詰まりと言わざるを得ません。世の中にはどうしようもないこともあります。
そこで、とりあえず出来ることからしよう、という話になりました。
「まずは旦那さんを見つけた方がいいでしょうね」
王都にいるというお母さんの旦那さん、つまり子どもたちにとってのお父さんとは、しばらく連絡がとれていないそうです。前までは1ヶ月に一度ほど帰ってくるかお金が送られてきたのですが、ここ数ヶ月はそれもないのだと。その所為であそこまで衰弱してしまったのです。
となると、悪い予想もしなければなりません。
すなわち、お父さんが家族のことを忘れて王都で遊び呆けてるか、あるいは……新しい家族を持ってしまった、という予想を。
実はそれ自体は珍しくなかったりするのです。地方から出稼ぎに来た人が、予想外のことで出世して浮かれて故郷のことを忘れてしまったり、逆に全然お金を稼げなくて自分の生活すら危うくなり狂ってしまったり。故郷も家族も捨てて、欲望に正直になってしまうことは、人としては割と良くある話なんですよねぇ。
特にこの世界ではそれが顕著なようで、出稼ぎに行った夫が帰ってこず子供と野垂死にする母親の話は、同情はされど騒ぎ立てられはしないのです。
でもまあ、ここにいない人を勝手に悪者に仕立て上げるわけにもいきません。あくまで悪い方も考えておかなければならないという話で、本当はやむを得ない理由があって帰ってこられないだけなのかもしれないのです。
とにかく、今のお父さんの状況を知らなければ何も行動できませんし、このまま送金が来なければあの家族は野垂死にしてしまうでしょう。なにせ、良くある話なので。
「ギルドの名簿を見てみましたが、彼の……ジークフリートさんの名前は載っていませんでした。つまり、安定した職を見つけに行ったのでしょうね」
冒険者はいつも冒険をしているわけではありません。もともとは、兵士のような特別な訓練を受けていないにもかかわらず、一攫千金を狙って危険地帯に踏み込む無謀な人々の総称でした。が、今ではちゃんと職として認められています。
冒険者への依頼は大きく3つに分類されます。
1つ目は採取系。これはその名の通り、薬草などの採取を求める依頼です。物によっては危険地帯にも入らなければなりませんし、侮ってはいけません。
2つ目は討伐系。これまたその名の通り、魔物などの危険性物の討伐を求める依頼です。この辺りではあまり魔物が出ませんので、獣の討伐が主ですね。この中でも、人に危害を加えるために討伐を求めるタイプと、毛皮などの素材が必要なために討伐を求めるタイプに分かれます。
そして3つ目が、一番冒険者らしくない依頼。
ずばりお手伝いです。
……ええまあ、ここまで見てわかるように、冒険者への依頼というものは、大概においてお手伝いと言い換えることができるのですけど。これに関しては、現在の私の稚拙な脳味噌では、お手伝い以外に言い換える言葉が思い浮かばなかったのです。自分で自分の脳味噌を稚拙というのはなかなかに辛いものがありますね。しかし事実ですから仕方ありません。
内容はさまざまですが、たとえば庭の草取りなんかがいちばんお手伝いっぽいですね。大きな庭を持つ貴族や大商人なんかは、体力のある冒険者を雇うことで、他の使用人の負担を減らしたりするのです。まあ、貴族の中にはお金が有り余るので大量の使用人にさせる人もいますが、冒険者を雇った方が効率は良いでしょう。
あとは、護衛依頼。
商人の移動には危険が伴います。なにせ、馬車の荷台には金目のものがたっぷりですからね。獣だけでなく人間にも用心しなければなりません。しかし、貴族のように特定の護衛を雇う余裕はない。そんな商人が、各地の冒険者ギルドで護衛を探したりするのです。
とまあ、お手伝いとは言いましたが、その他といった方が良いかもしれません。
なんでこんな説明を今さらしたかというと、先ほどのヴィルさんの言葉に戻ってください。
見ましたか?要は、ルーク少年のお父さんであるジークフリートさんは、お手伝い系の依頼を受けて王都に赴いたわけではない、ということです。
中にはある程度の期間持続的に行う必要があるものもありますが、お手伝い系の依頼は大抵が単発です。だから冒険者は色んな依頼をちょこちょここなしていかなければなりません。かなり腕に自信のある人なら一攫千金も狙えるので別ですけどね。
つまり、ジークフリートさん……長いのでジークさんは、定職に着くために王都へ赴いたのでしょう。
その選択が正しいのかは、残念ながらわかりません。前世で言えば正しかったのでしょう。だってほら、妻子持ちのお父さんが日雇いの仕事ばかりしてたら、不安じゃないですか。
けれどこの世界では、そんなことは当たり前です。命と隣り合わせの冒険者でさえ、妻子持ちはいます。ある程度の腕前であれば、定職につくよりも危険な依頼を受けた方が稼ぎがいいですからね。
まあ、ジークフリートさんがあまり冒険者としての経験を積んだことがなくて、武器の扱いも不慣れであるのなら、定職を探すのは間違いではないのかもしれません。
ただし、前世でいう"定職"は、この世界ではとんでもなく少ないです。しかもたいていがなんらかの資格がいります。
たとえば、医療ギルドで働こうと思えば、薬学だとか医学だとかの心得が必要ですし、前世で公務員にあたる類のものは特殊な試験を受けなければなりません。兵士なんかは武術が必要なので勿論無理ですから、資格が必要ない定職といえば、大商人の使いっ走り、貴族の使用人……給金がそこそこ良くて安定しているのはその辺りでしょうか。
あとは平民が経営している食堂やら宿屋やらで雇ってもらうというのもありですが、募集しているところは少ないですし、給金がよろしくない上に少し経営が苦しくなったら簡単に首を切られます。世の中そんなものですよね。
まあ貴族の使用人も、ちょっと気に障っただけで首にするような貴族もいますから、安定しているとは言い切れないのが実際のところですが。そして、資格は要りませんが、最低限の礼儀作法は必要ですので、ジークさんには正直難しいかと。
簡単に言うと、何の心得もなく安定してそこそこ給金もいい職になんて就けないということです。この世界では万年就活氷河期なのです。就活舐めんな!がんばれ若者よ!
「つーことは、ギルドからあいつの居場所を辿ることは出来ねえってことか」
「残念ながら、そういうことです。過去に依頼を受けた形跡はありますから、頑張れば連絡はつけれるかもしれませんが……なにせ、私が職員になる前のことですからね。ギルド長がいればどうにかなったかもしれませんが、生憎まだ帰ってきてませんし、こんな私的なことに巻き込むわけにはいきません」
ヴィルさんは、溜め息を吐きました。ルーク少年の家に行く前、ギルドで少し相談するだけのはずがまさかこんなに長引くとは思いませんでした。流石のヴィルさんも、不安に揺れている家族の前でそんなことを言うほど無神経ではなかったようです。
とはいえ、もうお気づきかもしれませんが、ヴィルさんは情に厚いとは言い難い性格です。なにせ、彼は助けたくても助けられないのではなく、助けられても助けないのですから。
しかしながら、それがヴィルさんの優しさでもあるのです。出来る限り多くの民を救う、それが貴族としての教えであり、同時にギルド職員でもある彼が2つを両立するには、救えるものを救わないのも一つの手、というか最善手ですから。
簡単に言うと、複雑な立場なのです。
精霊である私も本来はそのような立場であるはずなのですが、私情を持ち込んで好き放題しているのが今の状況です。……まあ、精霊は人間を超越した、人ならざるものですから、立場に振り回されるべきではありません。きっと。先代が少々特殊で、人に尽くしすぎていただけなのです。おかげでこの国の人の雪の精霊に対する期待が半端ないんですけど。
そんな私も、今回の件でできることといえばお母さんとルーク少年を癒してあげることくらいで。けれどどんなに癒しても、赤ちゃんは救えません。アイドルの限界を感じた瞬間です。
つまり手詰まり、ということですね。
「他にジークと知り合いの奴にも聞いてみたが、居場所を知ってる奴はいなかった。まあここから離れた奴もいるからな」
門番さんは小さく舌打ちをしました。苛立っている、というよりは、どうしようもできないもどかしさをどうにかして逃がしたかったのでしょう。知人である門番さんとしては、友人の子が死にかけている今の状況は、なかなかに耐え難いはずです。
「……ひとまず、彼女等の家に行きましょう。私達が何を話し合っても、最後に決めるのは彼女ですから」
***
と、そんな感じでギルドを離れました。まだ明るい頃に行くつもりだったのですが、太陽は少し隠れて暗くなってきています。
折角なので、大人たちが難しい話をしている間にルーク少年と遊ぼうと思ったのですが、それは難しそうです。
昨日のような非常事態ではないので、今日はちゃんとドアをノックして応答を待ちます。少ししてお母さんが中からドアを開けてくれました。昨日の今日でそう変わるものでもありませんが、昨日よりも少し元気そうに見えます。
「あ、ギンちゃん!」
ギシギシと音のなるイスに座ったルーク少年が、私達の姿を見つけると駆け寄ってきます。こちらもヴィルさんの腕の中から飛び降りて歩み寄ると、やや乱暴に持ち上げて抱っこされました。ちょっとちょっと、苦しいんですけど。
「こんばんは。調子はいかがですか?」
「おかげさまで今日は少し調子が良いんです。……ルークも元気そうだし、知らないうちにあの子にも負担をかけてしまっていたんでしょうね」
確かに元気いっぱいですね。おかげで私の元気メーターはグングン下降してますが。
いえ、別に文句を言っているわけではありません。むしろ喜ばしいことです。お母さんの体調不良は、精神的なものもあったのでしょう。昨日少し希望が見えたおかげで、精神が安定した。勿論根本的なものは解決してませんから、めでたしめでたしではありませんが、少しでも改善されたのは良いことです。
そんなお母さんを見れたから、ルーク少年も元気になったのでしょう。
お母さんは、薬代を得るために限界まで切り詰めた食事すらも、ほとんどをルーク少年にあげていたそうです。母親として、子供に満足な食事をさせてやれない負い目があったのはわかります。けれど、ルーク少年は、どんどん弱っていくお母さんを見て何を思ったのでしょうか。1人で背負って弱っていかれるよりも、自分も一緒に背負った方がいい。……そういうこともあるのです。
なんて、わかった風に言ってますが、私にわかるはずがありません。何故なら経験していないからです。私はこの世界の基準で言えばかなり裕福な家に生まれ育ちましたので、知識はあっても経験はないのです。
ですから、実はルーク少年のことはひそかに尊敬してますよ。私には耐えられる気がしませんから。
この歳でこの環境に耐えることができるのは凄いことですし、同時に悲しいことでもあると思います。……なんて、そんなことを言ったらこの世界の多くの人が悲しい人になってしまいますから、誰かに向けて言うつもりはありませんが。そんなことを思ってしまう私は、やっぱり甘ちゃんなんでしょうねぇ。
「約束通り、ここに来た理由と今後について話しにきました。……が、ひとまずお子さんを見せていただけますか?」
この"お子さん"が、ルーク少年ではなく赤ちゃんを指していることはすぐにわかります。だってルーク少年は目の前で絶賛私を弄び中ですから。
お母さんは「勿論」と微笑んで、ベッドの上で毛布にくるまれていた赤ちゃんを抱き上げました。どうやらヴィルさんたちへの警戒は完全に解いてくれたようです。薬が効きましたかね。違う意味で。
今日も赤ちゃんは寝ていたようでしたが、お母さんに抱き上げられてパチリと目を開けました。大きな青緑の瞳はとても可愛らしく、私はつい見惚れてしまいました。これだけ見ると普通の元気な赤子のようです。
しかし、毛布の合間から覗く肌にはまだ黒い紋様が浮かんでいて、本来ふっくらしているはずの赤ちゃん特有の頬も痩けており痛々しいです。ただ、昨日は本当に今にも死んでしまうのではないかという勢いで衰弱して見えたので、こんなにぱっちり目が開くのが見れて安心しました。どうやら薬の効果は絶大なようです。
「そういえば、名前を聞いていませんでしたね。なんと言うんですか?」
「ラウラと言います。息子はルーク、私はレイラです。……名乗りもせずに申し訳有りません」
「いえ、突然押しかけたのはこちらですから。そんな暇もありませんでしたしね」
「ちゃんと起きているところを見れて安心しました」とヴィルさんが微笑むと、お母さん––––レイラさんも顔を綻ばせました。
ヴィルさん……赤ちゃんの顔を見て微笑むなんて、そんな心があったんですね。ヴィルさんなら「子供は煩いので嫌いです」とかいってそうだと思ったのですが。
あれ?そういえば門番さんだけ名乗ってなくないですか?
1人だけ名乗ってないですよーちゃんと名乗りましょうよー、という思いを込め、門番さんに向かってにーにー鳴くと、門番さんは何かに気付いたような顔をしました。思いは伝わったようです。動物と人の心が繋がった素晴らしい瞬間ですね。
「あー、俺はバルバス・ブローだ。一応北西の門番をやってる」
「……バルバス……?というと、あの」
「ジークとは幼馴染みたいなもんでな。まあ、結婚してからはあんまり会わなくなったが」
「そのあたりのことも含めて話しますから、ひとまずそのあたりにしておいて頂けますか?時間もあまりありませんし、長話になると子供達に影響が出ますから。うちの早寝早起き猫も含めて」
ちょっと、最後の一文はいりませんよヴィルさん!最近遊びすぎてすぐ眠くなるんです!それで早く寝たら早く目がさめるんです!それで生活リズムが出来てるから仕方ないんです!
え、精霊は寝なくても良いって言ってたじゃないかって?人と精霊の違いはあれです、人は寝なかったら過労死しますが、精霊はそれがないってだけです。精神的に疲れるので、少なくとも私はしっかり寝ます。
え、そもそも猫は夜行性だって?私に猫の常識を押し付けないでください。
まあそれはともかく、このままだと無駄に話が長くなってしまいそうなので、ヴィルさんの判断は正しかったと思います。そして、あまり長話になってほしくないのは本当なので。……だって帰るの遅くなったら、寝るのが遅くなるじゃないですか。
レイラさんは、ソファ––––といってもギシギシ音のなるロングチェアに毛布をかけただけのようなものですが–––––に座るようにヴィルさんと門番さんを促しました。まあ座るところがあるだけマシでしょう。ずっと立ち話は辛いですよね。
「まずもう一度自己紹介しておきますが、私はギルド職員をやっておりますヴィルヘルム・バーミリオンと申します。今はギルド長が不在でして、現場監督は私に一任されておりますので、今回の件は私の独断です。……バーミリオン家とは一切関係ないのでご心配なく。
それと先ほど紹介しましたバルバス・ブローさんです。今回の件ともそれなりに関係がありますし、ジークフリートさんとも知り合いの関係にあるとのことですのでお呼びしました。
最後に、そこでこっちをじっと見てるのはうちの看板猫(仮)です。今回の件と大きく関わってますし、説明のために必要かと思って連れてきました。まああまり気にしないでください」
「は、はぁ……」
ほらヴィルさん、いきなり長ったらしく話しすぎてレイラさんも引いてますよ。
普段はそんなに喋る方じゃないんですけど、"仕事"と認識すると饒舌になるんですよね。最近発見しました。
まあ、私は今回の件と少し、というかかなり関わっています––––なんせ薬草を採ってきた張本人であり、レイラさんやライラちゃんからすれば救世主ですから–––が、私の仕事はもう終わったと思っています。
何故なら、もう出来ることはないからです。彼女たちに何らかの援助をするにせよ、ジークフリートさんを捜すにせよ、または何もせず見捨てるにせよ、私は口を挟めません。私は何も出来ないと同時に、精霊としてあまり関わりすぎるべきではないのです。……というのは、私の勝手な精霊論ですが。
ということですので、私はここでルーク君と軽く遊びながら事の顛末を見守るとしましょう。ですからレイラさん、そんな不思議そうな顔で私を見ないでください。アイドルとして享受できるのは、慈愛と羨望と嫉妬のまなざしのみですよ。
「さて、それではここまでの経緯をご説明します」
そこから、ヴィルさんは簡単な経緯を説明しました。
たまたま、私とバルバスさ……もう私の中で確立してしまったので門番さんで良いですね、がルーク君と出会ったこと。話を聞いた私が、たまたま突然雪山に登り、たまたま薬草を採って帰って来たこと。
"たまたま"を強調しすぎな気もしますが、そうでもしなければ私がスーパーお猫様になってしまいますから仕方がありません。現に、レイラさんの私を見る目が"恩猫様"を見る目になってしまっています。そりゃまあ、救世主ですからね。
「ご存知かもしれませんが、この薬草は雪山から持ち帰ってすぐ加工しなければ、効能を失ってしまいます。加工後もそう長持ちするわけではありません。ですので、基本的には、依頼を受けてから採取に向かうようにしています。
それが、今回は依頼もなく、しかも採ってきたのが猫ですから、何のお金のやり取りも存在しませんでした。無料で手に入れたものを有料で売りつけるわけにはいきませんし、必要としている人もあなた方以外知りませんでした。ですから、無駄にしないために、今回は例外であなた方にお渡しすることにしました。––––というのが、一応の今回の事の顛末です」
ちょこちょこはしょってますが、まあそんなところでしょうね。ヴィルさんの話し方がひどく事務的で淡々としていて、何の抑揚もないものですから聞いていて少し眠くなってきました。
「先程も言いましたが、今回の件は全て私の独断です。この判断が、ギルド職員として正しいのかは正直微妙なところです。ですが、あなた方のところに非難を飛ばさせるようには決してしません。ご安心ください」
「……ありがとう、ございます」
頭を下げてそう言ったレイラさんの肩は震えていました。ヴィルさんの漢気に感動したんですかね。うーん良い話です。
……やっぱりこうして見ると、ヴィルさんはイケメンですよねぇ。要は「何があっても俺が責任とるから安心しやがれ」ってことですし。変なところでイケメンを出すから、門番さんがすごく居心地悪そうじゃないですか。もっと非イケメンのことを考えてあげてください。
とにかく、誰が何と言おうと私はヴィルさんを世の女性たちへのおすすめ男性第一位に挙げるという話ですね。あれ違いましたっけ。
「……とはいえ、私に出来るのもここまでです」
ヴィルさんは、ほんの少し申し訳なさそうに溜息を吐きました。
「今後この猫に薬草を採って来いと言ったところで採ってくる可能性は極めて低いですし、仮に採って来たとしてもそれに頼るには色々と問題があります。つまり、ギルドとしてはこれ以上無利益で動くわけにはいきません。貴族としても、同じです。勝手にここまでしておいて、身勝手に申し訳有りません」
「そ、そんな謝られるようなことでは……」
頭を下げたヴィルさんに、レイラさんはあたふたしています。
たぶん、ヴィルさんはわかっているのでしょう。
苦しんでいる人がいるのに手を差し出さないことよりも、死んでいく人達を見て見ぬ振りすることよりも、もっと残酷なのは、希望を見せておいて絶望の闇に叩き落とすことなのだと。ようやく見えた一筋の光に伸ばした手を振り払うことなのだと。
だから、ヴィルさんは無責任で身勝手なことだと頭を下げたのです。
でも誰より無責任で身勝手なのは、私です。何も考えずに薬草を採って来て、ギルドの皆さんにも迷惑をかけて、もう出来ることはないと傍観してる私が、いちばん無責任で身勝手です。
ただし、後悔はしていません。私はもう我慢せずに生きると決めました。私の無責任で身勝手な行動で、少なくとも今この瞬間は、ライラちゃんは生きています。それだけで充分なのだと、勝手ながら思います。
それにたとえば、野盗に出会ったところをある人に助けられて、その後また野盗に会って殺されたからって、最初に助けた人が責任持って送り届ければよかったんだ、なんて言わないでしょう。同じことです。
きっとヴィルさんも後悔はしていないはずです。まだ彼について語れるほど長い付き合いでもありません。ですが、私がヴィルさんについて確かに言えるのは、彼は何時だって最善手をとるということです。
「だから、ここにバルバスさんをお呼びしました」
「……へ?」
頭を上げたヴィルさんがきっぱりと言い放つと、隣に座っていた門番さんが間抜けな声をあげました。いや、へ?って。せっかくかっこいい流れなんですからきめましょうよ。
「私個人ではもう出来ることはありません。ただし、あなた方が何らかの形でギルドに依頼をしてくださるのであれば、全力で遂行させていただきます。バルバスさんはジークフリートさんとも浅からぬ縁なようですし……ね」
こ、この人えげつないですよ。
残りのこと全部門番さんに押し付けようとしてますよ。
普通に考えて、この流れで断れないですよね。「いや俺は興味があったから来ただけで別に協力とかするつもりないから」とか言えないですよね。
この状況に持ってきたヴィルさん、流石です。
……と言っても、ヴィルさんはそこまで心が黒くはありません。すっごい嫌な奴が相手だとか、どうしてもそうしなければならない理由があるのなら別ですが、基本的に彼は人を陥れるようなことはしません。
つまるところ、門番さんには最初から協力する気があったのです。そうでなければ、わざわざこんなところまでプライベートな時間を割いて来たりしません。それがわかっていたから、ヴィルさんもこんな無茶ぶりが出来たわけで。
「……あー、ったくわかったよ。最初からそのつもりだったしな」
「では後のことはお二人に任せますので。どうぞお話しください」
そう言ってヴィルさんはほくそ笑みました。
……やっぱり、黒いような気もしますねぇ。
***
結論から言いますと、ジークフリートさんを捜索することになりました。
どこにいるかがわからず、連絡も取れないというのは、前世では勿論、この世界でも行方不明とみなされるようです。この国には軍や騎士といった人たちはいますが、警察のような組織はありません。なので、行方不明者の捜索なども冒険者への依頼のひとつです。
とは言え、レイラさんに依頼をするほどの財力はありませんので、依頼の手数料や報酬は門番さん持ちです。そこまでしてもらうのは悪いとレイラさんは渋っていましたが、友人として行方が気になるだけだと門番さんが言い張ると、肩を震わせながら何度もお礼を言いました。おかげでルーク君が凄く心配そうにしてました。感動の涙と悲哀や苦痛の涙の差は、子供にはまだわからないのです。実は私も少し疎いですが。
ヴィルさんが超特急で手続きを済ませたので、次の日の朝には既に依頼ボードに貼りだされています。すぐに引き受けてくれる冒険者さんが現れてくれるかはわかりませんが、それはもう祈るしかありません。
まだ解決してはいないし、これからとも言える問題ですが、ひとまずは落ち着いたのでひと安心です。ここ3日ほど忙しかったので、今日はギルドでのんびりお昼寝でもすることにします。
そういえばガイアさんはまだ帰ってこないんですかねー。1週間後、と言っていたのでそろそろ帰ってくるはずなんですが。やっぱりガイアさんがいないと退屈です。それに私の中でヴィルさんとトップを競うレベルで頼れますからね。かわりにヴィルさんは時々怖いので、精神的にはガイアさんの方が安全かもしれません。
顔は怖いですけど!
そんなこんなで、ギルドの風景を眺めながら久々ののんびりした時間を楽しんでいると、その風景の中にいつもと違うものを見つけてしまいました。
……なんか小綺麗な人がいます。
別に馬鹿にしているわけではなく、冒険者には小汚い人が多いです。山の中森の中で獣と戦っていれば必然的に汚れますし、いつも綺麗にするほどの金銭的余裕もありません。ガイアさんなんかは割とベテランでよく稼いでいる方だそうですが、汚くはなくても綺麗とは言えません。
しかし、私の目に映るその人は、明らかにこんな場所にいるような人ではないのです。
肩まで伸びた銀、というよりは灰色の髪は、前世の私レベルでサラサラですし、切れ長の濃紺の瞳は、冷たい配色でありながら何故か優しげです。体格はそれなりに良いので男の方なんでしょうが、女だと言われても驚かない程に中性的で整った顔をしています。
背中に担いでいるのは……槍、でしょうか?旅装束を纏い、冒険者というよりは吟遊詩人とかにいそうな感じですね。まあ吟遊詩人が槍を担いでたら怖いですけど。
それに、なんと言えば良いんでしょうか。明らかにこんな場所にいそうにない人ではあるんですが、どこかヴィルさんと似てるんですよねぇ。顔とかじゃなくて、こう……何かが。ああ眠いから言葉が出てこない。
まあ顔とかは全然こちらの方がかっこいいというか、モテそうではありますけどね。ヴィルさんも整ってはいるんですが、平凡なんです。平凡な顔になるように配置したかのように平凡なんです。逆に整いすぎてそうなってるんじゃないかと思うんです。パーツひとつひとつはけっこうなものだと思うんですけどねぇ。
あ、でも私は何が何でもヴィルさんはイケメンだと言い続けますから!ヴィルさんファンの皆さん安心してください!
なんてことを考えている間に、その人はこちらに向かってきていました。何故か緊張します。眠気が飛んでいきました。
「すみません」
「あ、はい御用ですか––––うぴゃあっ!」
受け付けに座っていた女性職員が声をかけられてその顔を見ると、奇声を発しました。
……ちょっと待ってくださいあなたいったい何者なんですか!?これでもギルド職員はちょっとやそっとのことでは驚かないように鍛えられてるんですよ!?確かにこの職員さんは私に恋愛相談してきた危ない人ですけど!……あ、だからかぁ。
「あ」
1人で勝手に納得していると、奇声を聞きつけたヴィルさんが奥から出てきました。
奇声こそ発しませんでしたが、目が合った瞬間、ヴィルさんも一瞬だけ固まりました。ヴィルさんにすらこの反応させるこの人はいったい……。
しかし、そこは流石ヴィルさん。固まったのも一瞬だけで、次の瞬間には呆れたように溜め息を吐きました。
「……ギルド長、抜き打ちみたいに帰ってくるのはいい加減やめていただけますか」
「はは、だってギルドの雰囲気を肌で確かめたいだろう?自分がいない間、部下がちゃんと仕事をしていたか確かめなければいけないし」
……"ギルド長"?
「それに今日は、依頼者として来たんだ」
私の頭がフリーズしている間に、ヴィルさんがギルド長と呼んだその人は受け付けに紙を置きました。
「ヴィル、君に依頼だ。ギルド職員として、そして冒険者として」
「……は?」
「受けてくれるだろう?」
ギルド長は有無を言わせないかのように笑顔を作りました。




