鎌鼬の白風
書き方のご指摘や、ご感想などありましたらよろしくおねがいします。
お読みくださりありがとうございます。
一、
僕は、広い草原で今日も夜空を見上げる。
やっぱり、届かないのかな?
僕の茶色い髪が、風に揺れる。
肌は小麦色といわれる色をしている。
人間の年齢で言ったら、今は十六だ。
僕は見上げながら、さっき試したばかりのことをもう一度行う。
こういうのを、馬鹿の一つ覚えというんだっけ。
僕は鎌鼬と呼ばれる存在だから、風を操れる。
時にそよ風にして、時に刃物のような風にしてーー。
でも、風は万能じゃない。
あの娘が近くで見たいって言ったあの星を、僕は取ることができない。
どんなに風を飛ばしたところで、星は位置を保ったままだ。
「諦めるもんか」
僕はもっと強く風を飛ばす。
あの娘のために、強い想いを載せて。
もっと、もっと遠くへーー
「ーーはぁ。ダメか」
僕は溜め息をついて、無数に瞬く星たちを眺め続ける。
絶対に届けて、あの娘に見せるんだ。
あの、星の一部に僕の気持ちを載せて。
二、
陽が高いな。
僕は太陽を目で追いながら、木陰で一休みしていた。
ーーと、サクサクと気持ちの良い草を踏む音が、僕の方に近づいてきた。
あの娘だ!
「こんにちは!」
「ふふ、こんにちは。タッチーくんはいつも元気だね」
彼女は首をかしげながら、僕の頭を撫でる。
子供扱いみたいで、嫌だな。
表情で嫌な雰囲気を取り繕っても、僕は彼女のなでなでを受け入れてしまう。
ちなみに、タッチーとは、彼女のつけてくれたあだ名だ。僕自身、結構気に入っている。
彼女は今日も、スケッチブックと呼ばれる、白くてペラペラしたものがたくさんくっついたものを持ってきていた。
僕は我慢できなくて、草の生えた地面を叩いて座らせる。
彼女は微笑んだまま、僕の隣に座ってくれた。
「ねえ、見せて見せて! 今日はどんなの描いたの?」
僕は知ってる。
このスケッチブックは、この世界にあるもの、ないものを人の手で写し出すものだってこと。
「はいはい、そんなに焦らないの。今日は、ここで絵を描こうかなー、って思ってるんだ」
「本当に!」
やった! 嬉しいな。
僕はキョロキョロと見回して、一本の花を採った。
「ねえ、この黄色い花とかどうかな?」
「あ、いいね! それ描こうか!」
彼女の顔が微笑みから、満面の笑みに変わる。
この顔を見る度に、僕の胸は締め付けられる。
でも、それぐらいの分別はつく。分かってるからーー
「タッチー? どうかした?」
「えっ? ううん。ほら、描いてよ」
だからせめて、君に笑ってて欲しい。
君が笑ってくれれば、今日も生きているって感じられるから。
自分の鼓動を感じて。
自分の想いを感じて。
「ねえ、花持ったままでいいから、タッチーも目の前に来て」
「なんで?」
「ふふ、いいから早く!」
彼女の命令に、素直に従ってみる。
なんでだろう。彼女の目の前に僕がいるってことは、僕の目の前に彼女がいるってことだから?
こんな、こんなにもーー心臓が、脈が早く打つのは。
「へっへー、まだだよタッチー」
「う、うん」
僕は花を持って座ったまま、動かずにいる。
僕がモデルとか? だったら嬉しいかも。
太陽が大分傾いた時だ。
「できた!」
彼女の喜びの声が、森に響く。
僕はすかさず、彼女の手にあるスケッチブックを覗き込もうとする。
すると、彼女は両腕でスケッチブックを引き寄せ、見せないようにする。
「見えないよー」
「それはそうでしょ。見せないようにしてるんだから。これはお預け。これが見たければ、ここでずっと私を待ってて」
「うん、分かった……分かったから少しだけ」
「ダーメ。私帰らなくちゃ」
彼女はそう言うと、元来た道を駆けていってしまった。
見せてくれないなんて、ひどいな。
僕は、駆けていく彼女の背中に手を伸ばしてみる。
ああ、そうか。何かに似てると思ったら、近くにあったんだ。
彼女は、僕の風じゃ届かない星なんだ。
なら、なおさら星を届けなくちゃ。
彼女が喜ぶ顔を見れば、僕も嬉しいから。彼女にも届くかもしれないから。
分かってるよ。痛いほどに。
淡い想いじゃ、僕なんかの想いじゃーー簡単に風に飛ばされてしまうことなんて。
それでも、彼女と少しでも思い出を重ねて、少しの風に吹き飛ばされないようにしないとなんだ。
僕は弱いから。
誰もいないと、怖がりの弱虫だから。
三、
今日はあいにくの雨だった。
雨の日は、スケッチブックが濡れるし、彼女自身、体が弱いからここに来ることはない。
僕は近くの洞穴で、身をひそめる。
穴の中にも、星があればいいのにと思う。だって、簡単に取れるから。
でも、簡単に取れたらそれは星じゃないのかもしれない。
僕が洞穴でうずくまっていると、誰かが洞穴に入ってきた。
大きなリュックを背負った女の人だ。
「あー、降られたなー。ごめんね、ちょっとここ借りるよ」
「別にいいよ」
僕は適当に返して、目をつぶる。
暗い。
目をつぶると暗くて、時々不安になる。
何にだろう? 分からないけど、胸が苦しくなる。切なくなっていく。
「君、好きな子いるでしょ?」
「ーーえっ?」
僕はつい顔を上げてしまう。
すると、女の人はにやりとした。
やられた。ゆうどうじんもん、とかいうやつか。
「それも、人間かな」
「ええっ!」
これには僕も驚きだ。
あ、またやられた!
女の人は変な笑顔をすると、リュックをおろした。
「これ、使うといいよ。その代わり、これを使えば君の寿命は縮む。それでもいいなら」
「これは?」
「人になる薬さ。完全に人にね」
胡散臭っ!
でも、頼るならこれしかないのかな?
ーーいやいや、ダメダメ。あの娘と僕はダメなんだから。
変な期待をすれば、もう一生ーー
「まあ、使ってみなというだけだからな。でも、風でできないこともあるだろう。それじゃ、あたしは行くよ」
「ま、待って! 名前は?」
「んー? 早菜。青菊早菜だ」
女の人はそれだけ告げると、外に出ていった。
あれ? 晴れてる。
何だったんだろう、あの人。
風ではできないこともある、か。
風でできないことだらけだよ。
心に渦を巻く風は、行き場をなくして、全身をのたうち回る。
願えば願うほど、風は強くなる。
願い強くなる風は、あの娘を想う風に変わる。
「君をあと何年想えばいいんだろうね?」
伝えよう。
風に任せて。そういう使い方なら、きっと、きっとーー。
四、
今日は快晴だった。
でも、あの娘の姿が見えない。
あんな話をして、こんな話をしてーー。
はっ!
あれ? あの娘は?
僕はぐるりと見回す。
すると、僕の目にひとつ、よく見ていたものが目に入った。
スケッチブック?
なんだよ、もう! 来たんじゃないか!
起こしてくれてもいいのに。
僕は苛立ちを感じながら、スケッチブックを開く。
見たことのある絵ばかりだ。
「あり?」
僕の手が、止まる。
なんだよ、これ……。
僕の目の前には、笑顔の僕の姿が広がっていた。
こんなの見たことない。
いや、中には怒っている顔、悲しんでる顔などもある。
ーーそして、最後のページには、一昨日描いたばかりの僕と花の絵が描かれていた。
「どういう、こと?」
僕の頭が痛くなる。
僕の胸が弾けそうになる。
いつにも増して鼓動が早い。
きっと見てはいけない。見たら、僕の心が今度こそ崩れるかもしれない。
でもーー。
最後のページをめくり、一番最後の、裏表紙と呼ばれる部分にあたるところに、僕の目がいく。
文字だ。
文字が、書かれている。
【元気ですか? なんて、柄にもないね。書くことは特にはないんだけど。強いて言うならね、私手術するんだ。成功確率十パーセントだって。笑っちゃうよね。だから、あなたにこれあげる。お別れ、私から言えなくてごめんね】
僕の目の前が、滲む。
文字とともに、滲む。
また、届かないのか。
また、星と同じように、僕の風は使い物にならないのかーー。
まだ、続きがあった。
【前に見せてくれた風の芸、面白かったよ。寿命、それで伸びたんだって。ホント、不思議で笑っちゃうよね。君のおかげだよ。最後の最後だね。
好きでした。あなたが、心から】
風の芸?
あんなもので、寿命が?
あ、薬!
人になってお見舞いにーーでも、あの娘の場所なんて分からない。
本当に何もできないの?
僕はうなだれて、ふと左を見る。
あれはーーたんぽぽの綿毛? ああ、一昨日の花はたんぽぽだったんだ。
ーーあ、そうだ。
風を起こそう。
あの娘が笑ってくれた、あの風をもう一度見せよう。
飛んでけ、飛んでけ!
あの娘へ向けて。
綿よ、星になって。
捕まえられはしなかった。
でも、これが白い星になって届けてくれる。彼女の元に。
強く、風が吹く。白に染まった風が一人の少女をめがけて。
どこまでも行け、飛んでいけーー。
微かな意識に見える。
ああ、白い星だ。
綺麗、綺麗。届けてくれたんだ、私に。
ありがとうね。
絶対に、もう一度あなたに会うから。
そして、伝えるよ。届けるよ。今度は私から。
くれたものを返しきれるかな。
でも、大丈夫だよね。星が見守ってくれるからね。
あなたがくれた、白い星が。
病院の窓には、不思議で、綺麗な光景が広がっていた。
白い流れ星が、踊っていた。
ひたすらに、上空を風が運ぶようにーー。
五、
夜中、僕は昔みたいに手を伸ばしてみる。
人間になった僕には、風はもう操れない。だから、昔よりももっと遠い存在なのかもしれない。
でも、だからかな。
最近風が気持ちよく感じるのは。
今日は白い星が飛んでいる。今日は、よく見える。
あの日僕の風が届いた、あの娘が吹いた白い星が。
僕と一生を誓った、あの娘の白い風が。
僕は星に一言の想いを載せる。
ありがとう、と。