3.幻影
――幻を見た。
気が付くと、私は食卓についていた。台所ではアマラが夕食を作っている。
私はまだ幼い我が子の相手をしながら、料理が出て来るのを待つ。無邪気な笑顔を振りまきながら、私の指を一生懸命握ってくる我が子を、何よりも愛しいと思った。この子もいつかは私達親の元を離れていくのかと想像すると、不意に涙が出そうになる。
そんな私を可笑しそうに見ながら、アマラが料理を食卓に並べていく。どれも私の好物ばかりだ。そういえば、今日は私の誕生日だったか。もういくつになるのか数えたくないくらい、年を取ってしまったが。
アマラと談笑しながら夕食を食べる事は、一日の中で一番楽しい事だ。勤め先の病院の話、気の置けない友人の話、子供に友達ができた話――。いつまでも会話が途絶える事は無かった。
そんな楽しい時間はすぐに過ぎていく。いつの間にか、もう眠る時間だ。
隣には最愛の妻が静かに寝息を立てている。子供も今日は愚図る事も無く、眠ってくれた。いつもこうなら楽なんだがなあ、と笑いがこみ上げてくる。
――ああ、今日みたいな日が、いつまでも続くといいのに。
重くなってきた瞼をこすりながら、そんな事を考える。
ああ、わかっているさ。これはただの幻影だ。
ここにあるのは、幸せな家庭などではない。そこには医者になった自分も、妻になったアマラも、最愛の我が子もいない。あるのは血塗れた現実だけ。
瞼が閉ざされる。腕の中にまだ温かい感触がある。
ああ、何て幻影なんだろう。あり得ない、くだらない、滑稽な夢想。何でもない日々の平穏。私が手に入れられなかった、空疎な日常の残滓。
意識が暗闇に落ちていく中、腕の中の温もりと、掌に銃の感触だけを感じていた。
アマラ 了
数年前、文芸サークルに寄稿した小説に少し手を加えたものです。
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