1.ジャン・イタールから、親愛なるビクトールへ
私はこれまでも、人生の要用な契機の悉くにおいて選択を誤ってきた。ただ間の悪い男だったのだと言われれば、反論する余地は無い。しかし、それらの場面に於いて私の取り巻く人物が、物事が、あるいは全てが、私を誤った選択へ導いたというのも、真実に相違ないのだ。あの日父親が森で事故に遭わなければ、私が大学を卒業するのがほんの一年早ければ、故郷の忌々しい風習が無ければ、彼女と偶然森で出会わなければ――。可能性の話をしても意味が無い事は理解している。だが、思わずにはいられないのだ。『もしあの時、ああだったら』、と。
私は選択を間違った。どれだけ御託を並べようと、それだけは永久不変の事実だ。
私は、罪を清算しなければならない。
■
思えば君には本当に良くしてもらった。礼にもならないかも知れないが、アマラについての研究資料は全て君の物にしてくれて構わない。君には本当に感謝しているよ。恐らくは、アマラも。
君はなぜ私があのような凶行(今これを書いている私にとってはまだ未来のことだが)をしたのか疑問に思っていることだろう。それについて、説明をさせてもらいたい。これから書くことは、確実に君の気分を害するだろう。だが、最後まで読み進めてもらいたいのだ。私の無二の親友である君にだけは。
これは、私の贖罪でもある。聞いてほしい。愚かで忌まわしい、ジャン・イタールという男の罪を。
■
そもそもの始まりは、やはり五年前のあの時からだろう。君も知っての通り、私は大学を辞め、故郷の村へ戻っていた。父が亡くなったからだ。
父は村でも腕利きの猟師だった。村で父に並ぶ猟師と言えば、長老のシャタック爺さんくらいのものだったろう。その爺さんも、つい先日森で獣に襲われ、死んでしまったのだが。父の最後もまた、慣れ親しんだ森の中だったそうだ。熊か狼にでも襲われたらしく、死体は原型を留めていなかった。終ぞ見つからなかった部分もある。喰われたか、どこかに埋もれたか。どちらにせよ、もう見つかる事はあるまい。
父の死体は悲惨な状態だったが、仮にも私は医師を目指していた身分だ。死体を見るのは慣れていた。少なくとも、慣れたと思っていた。だから父の葬儀でも涙は流さなかったし、淡々と喪主の仕事をこなすことができた。
だが母は、この閉じた村社会の中で、あの父しか知らぬ哀れな母は違ったのだ。葬儀が終わってからすぐに、母は狂った。白痴の老人のように何の反応も示さない事があるかと思えば、生まれたての赤子のようにいつまでも泣き喚くこともあった。例えて言うなれば、まるで躾の出来ていない獣も同然だったのだ。
そう思いながらも、私は母を見捨てることはできなかった。父が亡くなり、母にとって肉親と呼べる者は私以外にいなくなってしまった。血は水よりも濃い。今となっては、皮肉極まりない言葉だが、その頃の私は母を救おうという使命に燃えていたのだ。
君は最後まで引き止めてくれたが、私は大学を退学した。母の世話をしながらの学業は、あまりにも無理がありすぎたのだ。父の事故がせめて後一年遅ければ、私も君と同じく医者となり、街で母に良い暮らしをさせてやれたかもしれない。
そうだ。君には謝らなくてはいけないな。共に万民を救う医者になろうと誓い合った事、私は忘れていない。決して、嘘ではない。君の厚意をふいにした私が言える事ではないが、私は今でもまだ――いや、やめておこう。とにかく、その誓いを無碍にしてしまう事を、深く君に詫びたい。願うことならばもう一度だけ昔のように、君と理想を語り合いたかった。今となっては、叶わぬことだが。
すまない、話が逸れたな。
私は不慣れながらも、父の猟銃で狩りをし始めた。勿論、幼い頃から街の学校へ出されていた私は、銃の扱いすら知らない。だが、驚くことに、この村ではそれしか日銭を稼ぐ手段が無いのだ。必死で覚えるしか、生きていく道は無かった。仕留めた獲物を街へ行って売りさばく。正直に言って、その日の食糧を得るので精一杯の金しか手に入らなかったが、獲物の獲れない日は無かったし、貧しいながらも何とかやっていけた。
だがすぐに限界が来た。獲物が取れなくなった、日々の糧食に困るようになった、そういう話ではない。情けない話だが、私は慣れぬ故郷での生活に疲れ切ってしまっていたのだ。昼間は狩りへ出掛け、帰ってくればいつ終わるかもわからぬ母の癇癪に付き合わされ、私の精神は日々摩耗していった。一日中机に向かい勉学に励む大学生活を懐かしく思い、同時に何度も何度も戻りたいと願った。
愚かしい事だが、その思いに駆り立てられてか、私は母に暴力を加えるようになっていた。喚くのを止めなければ何度も棒で打ち、こちらの言葉に返事が無ければ容赦なく引っぱたいた。この頃の私の行動は、完全に常軌を逸していたのだ。
こんな老女のために人生を棒に振ったのか。私は無様にも涙を流し、嘆くことしかできなくなってしまっていた。
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そんな生活に、自分に、疲れ切っていた頃か。彼女に出会ったのは。いや、『遭遇した』と言うほうが正しいかも知れない。あの頃の彼女は、人ではなく、森に潜む数多の獣の一匹にすぎなかったのだから。
その日、私はいつもとは違う道順を辿り、狩り場へ向かっていた。何故か、と聞かれても答える術を私は持っていない。『なんとなく』と言ってしまえばそれまでだし、あるいはこの科学の時代に解明されていないような不可思議な力が、私を呼び寄せたのかも知れない。
彼女は傷だらけの姿でそこに在った。
いや、最初は『彼女』であることすら認識できなかった。伸びきった黒髪は顔どころか、胸や背中を覆い、まるで纏わりつく暗黒のようだった。そしてそこから覗いている獣特有の鋭い眼差しは、腑抜けた私をすら一瞬で震え上がらせた。
私は最初それを『マヌスバグハ』だと思った。
昔シャタックの爺さんに聞いた話だ。『マヌスバグハ』というの私の田舎に伝わる、人を喰らう怪物の事らしい。外見は体こそ人にそっくりだが、頭は昏い闇に覆われ、そこから人を吸い込んで喰らい尽くすと言う。
彼女の姿は、正しく『マヌスバグハ』のようだった。
私はしばらくの間、蛇に睨まれた蛙のように動けずにいた。どれくらいそうしていたのか分からない。しかし、彼女が崩れ落ちるように道に倒れた事で、我に返った。
そこには『マヌスバクハ』など何処にもいなかった。怪我をした少女が、道に倒れ伏している。何が怪物だ。どこからどう見ても人間、それもまだ幼い女児ではないか。体中に傷を負っている。連れ帰って手当てせねば、感染症にかかるやもしれない。
倒れ伏した彼女を抱きあげ、私は家路を急いだ。子供にしても、恐ろしいほどに軽かったことを、今でも覚えている。
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家に戻り、私は傷の手当てを行った。服を脱がせるまでもなく、彼女は殆ど全裸の状態だった。上半身に纏わりついているボロ布が、元はシャツか何かであったと理解するには多少時間を要した。
また、傷は全身余すところなく、刻まれており、中でも特に酷いのは背中の傷だった。動物の爪痕である。大きさからして、熊か何かだったろうか。背中以外の細かい傷は、それから逃れるために木や草に引っかけた物のようだった。
傷を消毒し、包帯を巻く間も、彼女は気を失ったままだった。意識があれば、まず間違いなく暴れていただろうから、都合はよかったのだが。
私はこの時点で、彼女を『野生児』ではないかと推測していた。ヴィクトール、君も知っているだろうが、『野生児』とは何らかの原因で、人間社会から隔絶された環境で育った子供の事だ。親にあの森に捨てられたのか、狼や狐、あるいは『マヌスバグハ』にでも攫われたのか。
勿論だが、私は前者の可能が高いと思っていた。過去には、狼に攫われて、そのまま野生児となった少女の記録が残っていたが、状況から見てこの事例は信憑性が薄いと感じていたからだ。研究者の間でも、これは子供を捨てた親の言い訳だろう、という説が濃厚だった。
それに加え、辺鄙な田舎では、つい最近まで、親の子捨てや子の姥捨てが公然と行われていたのだ。君のような都会育ちは分からないだろうが、田舎にはそういった野蛮な風習が今も尚存在している。これは忌むべき原始的なものだが、この問題が社会に知られるのはまだ先の話であろう。辺鄙な田舎に眼を遣るほど、我が国は余裕のある状態ではない。
また彼女の髪、爪の伸び具合、ボロ布のようなシャツが幼児用の物だったなどの事から、私は彼女が相当長い期間、森の中で生活していたのだと推測した。凶暴な熊さえ潜むあの森の中で、それほど長い間生き残ってきた事は、正に奇蹟としか言いようがないだろう。
彼女を保護したこの頃の私は、猟師ではなく、まるで研究者のような心持ちになっていた。彼女を、本物の『野生児』を対象に研究ができる。その事実は、大学に通っていた時の若く輝かしい活力を、私に取り戻させつつあったのだ。
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彼女が目覚めたのは、保護してから二日後の事であった。
彼女は半身をベッドから起こすと、落ち着きなさげに回りを見渡した。そして私と母を見つけると、全身の毛を逆立て――これは比喩だが、正に獣がそうするように、およそ人間とは思えないような声を発し、私たちを威嚇した。私は彼女のこの行為から、彼女が正真正銘の『野生児』であると確信するに至る。
そのまま唸りながら、彼女はベッドから降りて、外へ出て行こうとドアを開けようとした。彼女はこの時四足による歩行を行っていたが、詳しくは後述するが、この行為から彼女はとても怯えていたのだという事がわかる。
私は暴れる彼女を宥めようとしたが、案の定、こちらの言葉が通じている様子はない。仕方なく、脱走しようとする彼女を押さえ、ベッドに縛りつける事にした。無論、激しい抵抗に遭い、私は傷だらけになったが、何とか縛る事に成功した。
彼女はしばらく叫び声を上げ、私に威嚇を繰り返していたが、しばらくすると疲れたのか大人しくなった。この後も、彼女は時折脱走を繰り返したが、その度に私が捕まえて縛りつけていると、家から逃げようとすることは無くなった。
君は既に知っているだろうが、彼女の名前は『アマラ』という。彼女の唯一の持ち物であったボロ布から、辛うじて読み取れる文字がそれだった。それが本当に名前かどうかはわからなかったが、便宜的に私もそう呼ぶことに決めた。後で調べて分かったことだが、アマラは異国の言葉で『明るい黄色の花』という意味があるらしい。
彼女を初めて『アマラ』と呼んだこの日から、私と母とアマラの生活は始まった。そしてそれは、私の研究者(夢であった医者だと名乗ることのできない私だがそう名乗るのをどうか許して欲しい)として最後の研究が始まった日でもあったのだ。
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アマラとの生活、もとい研究において私が目指していたのは、『最終的にアマラを人間社会に適応させる』ということだった。過去の『野生児』の事例に於いて、これは殆どの研究者が取り組んでいたことだったが、未だに完全に達成できたという人間はいない。
野生児は白痴の人間である、というのが、研究者間においての有力な説の一つである。ならばつまりは、『野生児』を社会生活に適応させたということは、その教育方法がそのまま白痴の患者へ適応できるかもしれない、ということを示しているのだ。彼女を研究し、大多数の人間に比べ遜色の無い生活を送れるようにすることを通して、白痴の患者を治療せしめる方法を見つけるというのが、私の研究であった。
まず手始めに、彼女の身だしなみを整えることから始まった。伸び放題になっていた頭髪を短く整えてやり、ボロ布ではなく、きちんとした服を着せてやった。
きちんとした身だしなみをすれば、アマラは外見だけは何処かの貴族の姫のように美しかった。元々顔立ちは凛とした美形だったようで、獣のように世話しなく動き回る癖がなければ、嫁の貰い手すらあるだろう、と思えるほどだったのだ。
ただ、それは飽くまでも外見だけの話である。中身や行動は丸っきり、畜生そのものだと言うのだから笑えない。
というのも理由は多々あるが、その内一番の問題だったのが、アマラはこちらの言葉を全く理解できないという事だった。こちらの言葉は聞いているのかわからず、また自分から喋ることも『あー』、『うー』、などと言った喃語しかなかった。そのため、用はここで足せ、飯を食う時はスプーンを使え、このような簡単な事すら、教えるのにかなりの時間を要したのである。
他にもある。アマラは基本的に二足歩行を行っていたが、自分が脅威(例えば私が粗相したアマラを叱りつけるときなど)を感じたら、すぐに四足歩行で逃げた。どうやら、アマラにとってはそちらの方が速く走れるらしい。これは、森で狼などの動物の動きを模倣したのではないかと考えられた。だが、これでは丸きり獣である。私はアマラが四足で歩こうとする度に手を打ち、させないようにした。これについては成功し、アマラは私が見る限り四足歩行をしようとすることはほぼ無くなった。
これらの成果は、私にアマラは理解能力、学習能力が欠けているわけではないという事実をもたらしたのだった。決まった時間に料理を出すことを何度か繰り返せば、その時間になると私の傍に寄ってくるようにさえなったのだ。
他にも、頭を撫でてやれば眼を細めて気持ちよさそうにしたりと、人間らしい情緒が見えてきたりもした。
これらは私にとって、予想外に嬉しいことであった。
この分なら、思ったよりも早く私の求める研究結果へ辿り着けるかもしれない。
私はこの時、それらの研究を手土産に大学へ戻るという算段を立てていた。甘いと言われればそれまでだが、私は本当にこれで大学に戻れるものだと確信していたのだ。結果は君も知っての通りだったがね。だが、君も言っていたろう、『研究者を名乗るならば、例え評価されずとも、私は最後まで私の研究をやり通す』と。まあ、君はどちらかといえば根っからの医学者なのだろうが。
とはいえ、君のこの言葉を思えば、難しいアマラの教育も根気よく続けていく事ができた。
気がつくと、アマラを保護して一年が経とうとしていた。
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この時期には、アマラは自分でスープをお椀に注ぎ、最初の頃は私が着せてやっていた服も自分で着られるほどになっていた。私の言葉も、いくらか理解し始めているようにも見えた。アマラは既にあの森に生きる獣ではなくなっていたのだ。
この結果は私を実に満足にさせた。この頃はアマラを家族としてさえ扱っていたように思える。
嬉しかったのはこれだけではなかった。アマラが来てからというもの、母親の癇癪はすっかり治まり、私が猟から戻ると夕食が用意されていることも、多々あるようになったのだ。
母は眠るときはいつもアマラに寄り添っていた。毎晩、まるで母親が幼い子供を寝かしつけるように、愛おしげに頭を撫で、優しく抱きしめ、アマラを寝かしつけていた。
父がまだ健在の頃、一度だけ父から聞いたことを思い出した。私には姉が居たそうだ。最も生まれてすぐに亡くなってしまったらしく、私の記憶には全く無かったのだが。恐らく母は、亡くなった姉の姿をアマラに見ているのだろう。そう思っていた。そう思い込んでいた。
また、アマラに初潮が来たのも、丁度この時である。この事から、私はアマラの年齢をある程度まで推測する事ができた。
私はこれらのアマラの成長を見て、研究が次の段階へ進むのだという事を実感していた。
次の段階とは、即ちアマラの言語能力を育てる事である。基礎的な生活行動、或る程度の情緒が育ってきた今、より高度なステップに進む事は当然であった。
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アマラに言語能力を与える事は、私の想像を遥かに超えて困難であった。
リンゴを指差し、名前を何度も繰り返して、発声させようとしたが、どうしても拙い幼児のような喃語しか話すことができなかった。
私は一時期、アマラが聾者ではないかと疑った。しかし、『アマラ』と呼べば彼女は嬉しそうに近寄ってくるし、どれそれを持ってきてくれ、と頼めば簡単なものなら持ってくれるようにもなっていた。
聾者ではないならば、声帯にでも問題があるのかも知れない、と考えた。長い森での生活では、威嚇以外に喉を使う事はなかっただろう。やはりまともな発話が出来るようになるには、時間が掛るのかもしれない。
私は発話の練習はさせながらも、並行して別の方法も行う事にした。筆記を教え始めたのである。
アマラは幸い、『リンゴ』は『リンゴ』という名称である、『スープ』は『スープ』という名称である、といった事は理解できていたようなので、こちらは割合成功したと言える。暫く練習を続けると、簡単な単語ではあるが、書けるようになってきたのだ。
相変わらず発声はできなかったが、アマラの単語の習得数は目に見えて増えていった。私が用意したテストもある程度はこなせるようにすらなっていたのだ。
この時点でアマラの知力は、幼稚舎の園児程度まで達していただろう。最も、発声出来ない事を除いて、だが。
私はこの結果にも大いに満足し、アマラを褒め、我が子のように可愛がるようになった。
私はアマラを愛し、アマラも私を慕ってくれていた。私たちは確かに信頼関係で結ばれていたのだ。それだけは自信を持って言える。
思えば、この時点で私は研究を終えるべきではなかったのだ。そうすれば、私はアマラと共にいつまでも、村で平穏な生活が送れたはずだろう。
限界が来たのだ。今思えば、どうしてそれを限界だと認めてしまったのか。もっとアマラと二人で根気よく歩いていけば、良い結果が出たのではないか。理想かも知れないが、私はそう思わずにはいられなかった。
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アマラを保護して、三年近くが経った。その間の彼女の成長は著しく、幼かった少女は外見だけならば美しい、身内の贔屓目でみても、本当に綺麗な女性になった。
一方で、研究の方は見事に行き詰っていた。アマラは、何度も何度も練習を繰り返しても、まともな発声が行えなかったのだ。
筆記の方も多くの単語を覚えはしたが、それを活かす文法を覚える事がどうしてもできない。
最終的に彼女の知能は、初等学校の低学年より上昇することはなく、止まってしまった。
私は研究の結果に絶望した。アマラは或る程度知能が上昇したといっても、言葉は話せず、文字も中途半端にしか書けず、意思疎通をとる方法が殆ど無いのだ。精々身振り手振りで何とか自分の要求を伝えるだけで精一杯だろう。そのアマラの要求も、理知的なものでは無い。眠いから寝かせろ、腹が減ったので飯を寄越せ、そのような本能的なものだけなのである。
私は最初に掲げていた『アマラを最終的に人間社会に適応させる』という目標が、どれほど無謀なものであったのか、実感せざるを得なかった。
私はここで、アマラの研究を打ち切った。同時にまた、あの無機質で空虚な毎日が始まったのだった。
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私はアマラに対する関心をすっかり失ってしまっていた。それでも、もはや研究する価値のない、またこれ以上に進歩する事も無い獣を家に置き続けたのは理由がある。
アマラが居るだけで母親の癇癪が収まるからだ。これが無ければ私はすぐにアマラをあの森にもう一度置き去りにしてきたことだろう。アマラが家に居る間は、夜中の叫び声で目覚める事も無いのだ。まあ、食費は三人分掛かったし、母の垂れ流される糞尿の処理も、勿論しなくてはならなかったがね。
私が猟に出ている間、母はずっとアマラに話し掛けているようだった。私が戻ると、途端に言葉は止むのだが、外からはその言葉を聞くことができた。
ごめんなさい。
母親は幾度となくその言葉を言っていた。これはアマラではなく、古くに亡くした実の娘への言葉だったのだろう。その時私はそう解釈した。そして、実にいたたまれない気分になった。
母の人生は果たして幸せだったのだろうか。父と結婚し、産んだ最愛の子供も一人は死に、一人は街の学校へ取られ、挙句にその良人は熊に惨たらしく殺され、自分は精神の均衡を保てなくなる。私にはとてもじゃないが、幸せな人生には思えなかった。母がどんな思いを抱き、生きていたのか。それを知る術は最早無い。
母はアマラを保護して五年が経った冬に、死んだ。性質の悪い流行病に掛かり、呆気なく。
医学生止まりの私にはどうしようも無かったし、病院に行く金も無かった。君なら、それでもどうにかして金を作るべきだ、と言うだろうね。私は決して母に死んで欲しくはなかったが、無理をしてまでこの先生き続けるのが正しいとも思えなかったのだ。母を見殺しにした、と言われても否定はしない。だが、これが息子として、してやれる唯一親孝行になったのだと、私は強く思っている。
私は母を救ったのだ。
そう思わなければ、やっていけなかった。この時ほど自分の弱さを痛感した事はない。
■
母の葬儀を済ませた後、私は抜け殻のようになっていた。何をする気も起らなかったのだ。最低限、食べていくだけの猟は何とかしていたが、それも次第にしなくなった。それどころか毎日のように酒場に入り浸るようにすらなっていたのだ。
金はすぐに尽きた。それでも酒を呷り続ける為に借金をした。酒場ではまるで羽振りの良い人間のように振る舞う。そんな私の姿は、さぞ滑稽に見えただろう。
この頃の私がどんなに酷かったか、君はよく知っていると思う。手当たり次第に周りの者に絡み、因縁をつけた。それで喧嘩になり、痛め付けられることもままあったが、私は止めなかった。
母が死んだ今、自分は何のために生きればいいのだ。最早大学には戻れない。若かりし日に描いていた未来は露と消えた。友と語り合った理想を実現する事は、どうやってもできないのだ。街で活躍する無二の親友の噂を聞く度に、私は胸をえぐられるような気分に襲われた。
私はそんな鬱屈とした感情(そこには母への罪悪感も含まれていたかもしれない)を周りにぶつけていたのだ。そうでもしなければ、母のように狂ってしまいそうだった。
そして私は遂に最も忌むべき、私が人生の内で最も後悔している行いをした。
その日は、吐くほどに酒を飲み、家に戻った。
すると、アマラが自分の食器を持って、私の元に来た。いつもならばそこで酒場から持ち帰った料理を渡す所だっただろう。
だが、その日の私は酒を飲んで飲んで、溺れるほどに飲んで、正気を完全に失っていた。
何なんだこの女は。私はこんなに苦しんでいるのに、自分は飯の事ばかりか。ふざけるな。ただ飯喰らいが調子に乗るなよ。思い知らせてやる。
一瞬で暗い感情が私を支配した。アマラを力付くでベッドに押し倒し、行為に至った。何度も、何度も、何度も。最低な、鬼畜の所業だ。私はアマラを獣だと表現してきたが、どちらが獣なのかわからない。ただ欲望のままに、私はアマラを嬲り続けたのだ。
次の日から、アマラは私に近寄る事は無くなった。そして、また脱走を繰り返すようになった。
アマラとの関係は完全に崩れた。出来る事なら、この時の私を殺してやりたいとすら思う。これが無ければ、私はまだやり直す事ができただろうに。悔やんでも悔やみ切れないとは、正にこの事だ。
私は最低の人間だ。何度も言うが、私は最低の人間だ。君に救われる資格も無い、屑そのものなのだ。だから、どうか君は私を憐れまないでくれ。憐れむならば、私の為にあのような目に遭わなくてはならなかったアマラをこそ、憐れんでやってほしい。彼女は何も悪くないのだ。何も悪くないのに、人として生きる権利を奪われた。彼女が言葉を発する事ができたならば、きっと私を鬼畜以下の外道であると罵るだろう。そして何を言われようとも、私はただただアマラにわび続ける事しかできないのだ。私は自らの一生を賭してすら、償いきれぬ罪を犯した。
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私が愚かな、万人に非難されるべき行いをして、何か月か経った頃だった。君が私に会いに来てくれた。
君は私の悪い噂を聞いて飛んで来た、と言ってくれたな。嬉しかったよ。その場で君に行った、暴言無礼の数々、もう一度書面の上ではあるが謝らせてくれ。
天涯孤独の身となった私を殴って修正してくれたのは、君だけだ。君だけが、私の味方になってくれた。私を、助けようとしてくれた。私の借金を返してくれるとも、もう一度大学でやり直させてやるとも言ってくれたな。
君のような人格者を友人に持てた事を、私は誇りにすら思う。
ありがとう。そして、すまない。
私もアマラも養ってくれるという君の申し出は、実に魅力的なものだったが、それに甘える事はできなくなった。一度は君の申し出を受け、アマラと共に暮らそうと決心していたのだ。アマラは許してはくれないかもしれないが、私は一生を掛けて償い続けようと思っていた。
アマラはあの後、私の子を身籠っていた。君の言うようにこれから努力し、医者となり、アマラと我が子を養っていく事こそが贖罪である。心の底からそう信じていた。長い年月がかかるだろうが、三人で笑って暮らせるようになる日が来ればいい。心の底からそう願っていた。
だが、我々の神は、そう甘くはなかった。私は君の厚意を、結局無碍にしてしまうようだ。
あの忌々しい日記を見つけなければ、私の思い描いた未来も実現できたかもしれない。ここまで来ると、私の間の悪さも相当なものだと笑えてくる。同封してある日記帳は父の書いたものだ。君に会ってすぐ家で見つけた。これには、父の行った呪われた所業が書かれている。この日記の処分は君に任せたい。燃やすのも、公表するのも君の自由だ。死んだ父には、それ自体が罰になるだろうから。
今やっと、手配していた猟銃の弾が届いた。
アマラは少し前に森に脱走してしまった。今から私はアマラを殺害しに行く。理由は同封して父の日記帳を見て貰えば分かると思う。私もアマラも、もうこの世に生きているべきではない。罪に塗れた私は死んで地獄に行くべきだ。人として生きられぬアマラは、天上の母のもとへ行く事が何より幸せだろう。
アマラを、その腹にいる我が子を、殺害せしめる事に成功していれば、最早私も此の世にはいないだろう。
最期になるが、最も愛すべき人を手にかけ、生を受ける事すら忌まれる運命に我が子を置いた自分を、心の底から恥ずかしく思う。
数年前、文芸サークルに寄稿した小説に少し手を加えたものです。
感想や辛口の品評、お待ちしております。