一章 本物の悪意と偽物の善意 第一話 喝采の重み
◆ 第一章 本物の悪意と偽者の善意 ◆
『勇者』それは希望の象徴、人々の羨望の頂、未来への道を指すもの。超越者で英雄であり救世主でもある。
魔族との戦乱の時代を生き抜いてきたタンバ王国の民にとって、これほど待ち焦がれた人物はいないだろう。
事実、人類が危機に陥った大戦の命運を、勝利へと導いた勇者の伝説は数多く存在する。そんな誰もが知る伝説の勇者がついにこの時代にも降り立った。
「我はタンバ王国国王タンバ・ガルイゼル。その名と尊厳に掛けてラング・フォルステインを『勇者』と認定する。そしてその栄誉と功績を称え黄金騎士の位を与えるものとする」
首都中央広場で行われた国王の宣誓式に集まった5万を超える国民たちは王の宣誓を聞いた瞬間その胸の高鳴りは弾けさせた。その熱狂と歓声の渦は文字通り大地を揺らすほどだった。
「謹んで拝命いたします」
国の偉い方に囲まれる中、王より勲章を頂くラング。そして広場のに作られた特設舞台の上より振り返り国民たちの期待に手を上げ笑顔で応えた。
「やっちまったな」
顔や態度とは裏腹に、誰にも聞こえぬ声で一人愚痴った。
半日も経たずにフラスカを火の海に変えたあの戦闘の後、急いでラングは生き残りを探すため街へ戻った。その途中勝ち鬨を上げる兵達の声を聞き、守衛部隊の本体へいち早く合流した。
全滅したと思われていた門近辺の兵の帰還に喜びに沸く兵達だったが、ラングからの報告を聞くとその態度を怪奇と疑いの眼差しへと変えていった。
荒唐無稽な話なのはいうまでもない。平時ならその場で笑い話になって終わりだったのだが、状況が状況。今だに魔族がなぜここに攻め込んだのか、魔族側との国境からかなりの距離にあるこの場所に突然現れたこと。まったくもってなにもかも分かっていない現状では、上に報告するよりなかった。ラングの報告を聞いた兵達は頭を打ったか、恐怖で記憶がおかしくなってるのかと踏んでいた。
上司達の反応も似たようなものだった、その報告者の名前を聞くまでは。
報告した兵から見れば、守衛団長の息子の報告だったから慌てたのだろう、そう捉えられた。しかし権力や媚諂いで、彼らはラングを特別扱いしたわけではない。
守衛団長のラスカ・フォルステインは信頼を置く者をよく家の食事に招いていた。それはラスカにとっては、信頼の証としての儀式のようなものだった。そしてその席には必ずラングを同席させていた。
誰もが実の息子の顔を売るためにラスカが命じたと思うだろう。だが実際はそれを申し出たのはラングの方だった。
「鍛えられている上流に位置する人の、為人は見てみたい。特に親父の信頼している人ならなおさらね」
この言葉に一瞬ラスカは戸惑ったがこれもきっとラングの恒例行事の一環なのだなと理解した。それ以来ラングは食事会に同席していた。
ラングはただ同席して相手をじっと観察しているだけではなかった。最初はラスカと団員の日常的な会話に入り込み、それとなく団員の性格や知恵の度合いを測っていく。それをある程度理解し会話も弾むほどに仲を良くしていくと次第に疑問をぶつけていく。
これはラングのある種の癖だ。疑問をぶつけそれに対する答えと反応、そしてそこから生まれる討論から人の感性と知識を自分の物にしていく。『人』その力をを鍛えたり増やしたりするには、これが一番効率的で手っ取り早いとラングは思っていたからだ。
しかしこの疑問の投げかけは、ある一定の教養を持つものに行わないと、まるでバカにしているかのように相手に伝わり嫌悪の感情か、不気味さを味あわせてしまう事が多かった。
おかげで同輩達からは敬遠されている者が多い。まったく自分を誇示する事に関して無関心なラングからしてみればあまりに検討違いな話だ。
自分の鍛錬のために行っているだけの問答なのだが、教養と知恵を兼ね備えたフラスカ守衛団幹部達は会話による対応や反論、知識の豊富さや見識の広さを思い知ることとなる。
その結果、団の上層の人ほどラングに一目置いているものは多くなっていた。それ故にその報告には調査の必要があるとの決断に至り、大規模な現場検証が行われた。
そしてあの『魔王』と呼ばれていた老いた魔族との戦いの現場で、何度も詳しく説明をするはめになるラング。
(これは確実に面倒くさいことになるな……)
平穏を尊ぶ彼にとって、波紋の広がる生活などごめんこうむりたかったのだが、その願いはどうもかないそうになかった。
華やかで最高の盛り上がりを見せた式典を終えたラングは王城の一室へと招かれた。
王城にて最も重要と言われる『王の間』王座があり王様が要人との謁見を行う場所だ。そしてその次点に重要とされる場所『賢人の間』。タンバ王国は王政を執っているが絶対とは頭に付けてはいない。政治のや王国の運営に関する決定や方針は賢人と呼ばれる9名によって決められている。もちろん王政なので最終決定権は王にあるのだが賢人の決定を王が覆すことはかなり稀なことだ。
王政とははっきりいえば独裁政権だ。その弊害を解消するために6代前の国王が作り出した制度だ。それというのも6代前の王の跡取りは若くして戦役亡くなる者が多く、その結果王の孫に継承権が発生してしまった。もし自分が死んでしまえば成人もしていない孫に王国を背負わせることになるとの懸念から作られたものだ。
建前は独裁制の暴走の予防だが要は孫可愛さにつくられたというものだ。たとえ王とてやはり情には弱い。
9名の賢人達が座る半円上の机の中心あたりにラングは立たされていた。
「それではこれより『勇者ラング』への待遇を言い渡す」
「ちょいと議長よ、そんな性急に進めなくてもいいではないか。せっかく今代に勇者が現れたのじゃから少しくらい喋らせてくれてもいいじゃろう」
「言うと思ったわ、強欲爺が。勇者殿、どうやらここにいる者たちはお主に興味深々なようでの、少し話しをしてもよいかの」
部屋の中は落ち着いた雰囲気であった。しかし窓が無くランプの光が灯された部屋は僅かに暗いようにも思えた。そんな中さすが国を纏める賢人達はそれぞれにある種のオーラを纏っており、ラングは入室したときからまるで王様が目の前に9人いるのではないかという圧力を感じていた。
しかし議長と呼ばれている老人カーリアズ・リヴィアスの提案に少し気を落ち着かせると残りの8人の賢人達がラングに向ける視線がどうも子供が新しい玩具を選ぶそれに似ていると気付いたのだ。
天上の人と思っていた賢人たちの人間臭さを感じてラングは微笑を浮かべて返答した。
「俺の方からお願いしたい位です。お喋りは読書の次に好きですし、その相手が賢人ともなると想像のつかない物が得られるような気がしますしね」
「ふぉっふぉっふぉ守衛の一兵卒と聞いておったが流石勇者殿、肝の座った青年じゃ。初めてそこに立つものは老若男女、例外なくまともに喋れもせんというのに」
議長に話しをさせろと提案していた、顎からもみあげまで生え揃った立派な髭を結わえた老人ドム・ダヤックは心底嬉しそう笑い出した。
それからたわいない世間話や、今までどんな人生を送ってきたかや、時にはいつも通りラングの方から賢人に質問を繰り出すなど、話はなかなかの盛り上がりを見せた。
解説をしておくと賢人会の面々はなにも全員が老人で構成されているわけではない。確かに9名中5名は白髪の混じった老人で間違いないが、他の3名は妙齢の男性。そして見た目恐らく30に届かない女性が一人と多種多様な面子だ。
「なるほどのー。単独で魔王に挑んだと聞いて、伝記などで見聞きする勇者のように勇猛果敢なものと報告書を見て想像しとったが…。意外に知恵者ののようじゃのラング殿は。」
「賢人に知恵者って言ってもらえるのは最高の褒め言葉なんでしょうけど、買いかぶりですよ俺のこと」
「あれほどの賛辞と賞賛を式典で浴びて、少しも調子に乗っ取らんのかおぬし」
20分ほど話していた中で驚きは少しは賢人達の中にあったもののここで初めてラングの言葉に眉をひそめていた。恐らく世界最高の仕事を成し、世界最高の名誉と賛辞を貰ってなお腰が低いのは、謙虚と受け取るにはやや危なげな物を感じたのだ。
「本当はまったり生きるのが好きなんで、そういうのとは無縁で生きてきましたから。なんだか凄すぎて実感が湧かないっていうのが本音ですけどね。」
ハハッと頬を人差し指手で掻きながら少し恥ずかしそうに語るラング。
実際のところ今だに現実感を感じない様に足元が宙に浮いたようにふわふわしている。あまりに大きな出来事に出くわすと感情の起伏が無くなってしまうという事があるように今のラングはいつも通りという状態しか表せなくなっていたのだ。
しかしそれが国王や国民しいては賢人会の人々に、なんと堂々とした様なのだろうと無駄な好感を得るに繋がっている。
現にラングが実情を語った話でさえ勇者という肩書きと、最初に抱いた印象の色眼鏡を通して賢人達に受け取られ(底が知れん男だな。)という風になってしまっていた。星の巡りなのか昔からなぜかこのような誤解を受ける事の多いラングであった。
「すみませんが賢人方そろそろお時間が……」
中央に立たされたラングの後ろに控えていた案内役の騎士が時間が押している事を知らせた。
「そうか、もう少し語り合いたかったのじゃが、残念じゃの。あとは任すぞ議長」
先ほどまで楽しそうに語っていた面々も仕事となるや真剣な面持ちに切り替わり議長が一人立ち上がった。そして手に持つ書状を読み上げた。
「それではこれより『勇者ラング』殿は第六騎士団の客将として、城砦都市ソーンへと就任していただく」
「はい?」
それはラングにとって想定外の話だった。
「うぬ? 不服かの?」
「いやちょっと意外だったんで。ソーンってあの最前線の街ソーンですよね」
「そのとおり最前線にして魔族にとっては最大の壁。砦でもあり街でもある」
ラングはどこかの騎士団に組み込まれるのは想定していた。しかし力関係上恐らく第一、もしくわ第二騎士団だろうと思っていた。そうで無い場合でも王都にしばらくは留まることになるだろうと思っていたのだ。
「まぁ不思議に思うのもわからんでもないがちゃんとした理由もある。今までにある勇者伝記で、ほとんどの場合は魔王軍との戦乱の中で戦線を押し返しその上で魔王へ挑み雌雄を決するという形がほとんどだ。しかし今回の件では勇者殿が討ったのは魔王のみ。つまり魔王軍そのものは無傷で残っているということだ。ならば今後予想されるのは。」
「仇討ちですか……」
歴史に残る戦乱の時代の決着ならば大将の首を取られればそこで終りを迎えただろう。だが今回は例外的な決着だった。その差は余力の問題だ。魔王だけが死んだ現在でも、魔王軍の人材は豊富で士気に至っては落ちるどころか、仇討ちの為に燃え上がっているだろう。というのが賢人達と各騎士団団長が話し合って行き着いた結論だった。
「まるで厄介者の様に最果ての地に送るようだと思われるだろうが。我々は勇者殿を死なせるつもりは毛頭ない。だがもし勇者どのがいる場所へ軍勢が攻め込んだ時、たとえ備えをしていようとも非戦闘員までを守れるかと言われると難しいと言わざるおえんのだよ」
「なるほど、それで常時戦闘に備えているソーンなんですか」
「それも一つじゃ。だが別にソーンではない砦でも該当する場所はある。わざわざソーンだという理由は第六騎士団団長がわざわざ名乗りを上げての。それがもう一つの理由じゃよ」
『騎士団』それはダンバ王国において、そして世界においても最高戦力を意味する。魔族との抗争を何百年に渡って跳ね除け続けてこれたのは彼らのおかげと行っても過言ではない。
団長自らなぜ? という疑問は残るものの大体納得の行く結論だった。不満が有るかどうかは別として。
城の侍女に連れられ家族の待つ一室まで辿り着く。
「名誉なのは肌で感じるけど……。はぁ面倒事の山済みで、しばらくはすっきりとした視点は望めそうにないな。」
勇者の称号は嬉しい事だが、気楽に生きたいラングにとっては正直重し、重圧でしかなかった。体まで重くなるのを感じながら、扉を開けた。
「おお! ご苦労だったなラング」
「ニイサマお疲れ~」
父は座りながら息子を労い。ルーティーは数日会えなかった寂しさを埋めるため、兄の懐に顔をうずめてきた。
「みんな来てくれてありがとう」
「……なんかあったですか?」
笑顔で家族に感謝を表したつもりだったが不満と不安を妹のリーンに見抜かれてしまった。
内なる感情を表にあまり出さないラングにとって、リーンのこの察しの良さは救いでもあり……少し寂しくもあった。
「……しばらく家には帰れそうにない」
「え……えええええええええええええええええええええなんでぇぇぇぇぇ!!!!」
腰にまわした手をさらに締め上げながら、ルーティーは地団駄を踏んだ。
「だろうな、もはや君はこの国……いやこの世界の最重要人物の一人だ」
さすが守衛団長だろうか、事の詳細はほぼ予測済みといった落ち着きだった。そして今にも泣き出しそうな目をしたルーティーが声を振り絞る。
「いつ……帰ってこれるんですか…………」
「わからない」
いつまでという期限を設けられていない任命、そしてこれから先の見えない見通しを考えると無期限の任務に就いたともいえる。
「嫌だよ!! ニイサマと離れるなんてイヤだ! イヤだ! イヤだーーーー!!」
うずめた顔を左右に振り、さらに地団駄をふむルーティー。母親がいない彼女らにとって、頼れて甘えさせてくれる兄は、あまりにも大きな存在だった。それをラングも感じており。この決定を二人に納得してもらう言葉を兄は持ってはいなかった。
「わがままいうんじゃないですよルーティー。そりゃリーンも嫌ですけど」
「じゃあニイサマについて行く!」
抵抗する動きをやめ満面の笑顔で短絡的解決法を提示した。
「それはだめだ!!」
生まれてこのかた妹たちを怒鳴ったことすらないラングは、真剣な顔で廊下に響くほどの大声を放った。
さきほど賢人に言われた事を脳裏に過ぎった。非戦闘員が巻き込まれる。もしもそれが妹達だったら、と連想してしまったのだ。
「ヒッ!!」
「兄さま!?」
初めての怒号に、双子は硬直していた。
「―――すまない。本当にそれしか言えないけど。でも俺にはどうしてもやらなきゃならない大事な任務があるんだ。だからいい子にしてフラスカで待っていてくれ」
いつもお気楽で、落ち着いていて、妹たちにとって尊敬できて。誰かを傷つけるようなことを嫌う優しい兄が。いままで見せたことのないような真剣な表情で双子を見据えた。
「……」
「……」
(大人になったものだ)
黙って傍観していた父親は感心すると共に、このどうにもならない問題に決着をつけるため立ち上がる。
「フラスカのことは心配するな。被害は甚大だがあれしきでへこたれるような街ではないさ。だからがんばってこい」
こう言われれば、兄が大好きな妹たちは何も言うことはできない。妹達もなんとなくではあるがわかっているのだ。これから一番大変なのは兄本人なのだと。
「ラング様。そろそろお時間です」
道案内として廊下で待っていた侍女が別れの時間を告げた。
「わかった、今行くよ」
「ニイサマ!! いい子に……いい子にしてるから早く帰ってきてね!」
ラングは離れ際、ルーティーの頭をワサワサと撫で愛しさ溢れる声で答えた。
「ああ、もちろんだ」
「ちゃんと健康を考えてご飯食べるんですよ! 向こうの人と仲良くしてください! リーンが居ないんですから夜に腹出していつもみたく寝てたら風邪ひきますですよ! それからそれから、ええと……とにかく! リーンがいないからってだらけてたら承知しないですよ!」
無言でラングはリーンに歩み寄り、そっと抱きしめ頭を撫で始める。
「あ」
「お前は、俺のいないとこで無理するんじゃないぞ」
生意気で、天邪鬼、弱気を見せるのは駄目、なんて思ってる負けず嫌いな頑張り屋。そんな彼女も兄が支えていたからこれまでやってこれたという自覚と感謝は持っていた。だからここでも意地をはって強がって見せて、親愛なる兄に心配などさせず、見送るの事が彼女にとっての正義……そのはずだった。
「――はい」
しかしこれから困難に立ち向かわなければならない兄が、自分を心配してくれた一言に。彼女の涙腺は耐えることができなかった。
「じゃあ行ってくる」