夕暮れのチャイムと置き去りの想い
夕闇が忍び寄る空に、学校のチャイムが響き渡る。まるで僕らの時間稼ぎを許さないかのように、それは下校を告げる無情な音だった。もう少しだけ、ほんの少しだけでいいから、このままでいたかった。君の隣で、この取るに足らない会話を続けていたかった。
「なんかまだ明日も部活に出ないといけない気持ちになっちまうんだよな」
君がそう言って、あははと笑う。その無邪気な笑顔が、僕の胸を締め付けた。当たり前のように毎日通っていたグラウンド、汗を流した部室、そして何より、そこで共に過ごした君との時間が、まるでつい昨日のことのように鮮やかに蘇る。もう僕らは、そこに立つことはない。
「そうだね。俺達もう部活はやらないのにな」
僕がそう返すと、君は意外そうな顔をして目を丸くする。
「なんだ。お前もそうだったのか!俺達相性いいよな!」
君はそう言って、僕の肩をポンと叩く。相性か。そんな言葉でも君と接点がもてるならそれでいい。この気持ちは僕だけが知っている秘密の領域だ。君が思っているよりもずっと深く、僕は君の事を想っている。
「おう。今頃気が付いたのかよ」
わざとぶっきらぼうにそう言うと、君は「あはは。悪い、悪い」と頭をかく。その仕草すら、愛おしい。
「……たまには帰ってくるのか?」
衝動的にそんな言葉が口をついて出た。進学の進路が別れてしまった時は絶望した。卑怯な僕は君が受からない事を望みながらも、共に図書館に通い続けた。ひたむきに勉学に勤しむ君の姿はまぶしく見え、結果無事に合格通知が届いた。君は遠くの大学へ行く。僕はこの街に残る。僕らの未来は、まるで別の線路を走る列車のように、もう二度と交わることはないのだろうか。そんな不安が、胸の奥で渦巻いている。
「ん~。しばらくは無理かな」
君の言葉は、僕の胸にすとんと落ちた。やっぱり、そうだよな。新しい環境、新しい生活。君はきっと、あっという間に僕のことなんて忘れてしまうだろう。それでも、僕の気持ちはこのまま君に寄り添っていたいと願っている。
「俺、大学行ったら髪伸ばすんだ」
君はそう言って、スポーツ刈りの自分の頭をなでる。その手つきは、まるで未来の自分を想像しているかのようで、希望に満ち溢れていた。君は新しい自分になる。僕は、取り残される。そんな漠然とした寂しさが、僕の心を覆った。
この街で君と過ごせるのも、あと少し。卒業までの、本当に短い時間だ。あとどれだけの思い出を作れるだろう。あとどれだけ、君の隣にいられるだろう。焦燥感にも似た感情が、僕を駆り立てる。
君は僕の気持ちも知らないで、僕の隣で笑っている。それが、今の僕にとって、何よりも幸せで、そして何よりも苦しいことだった。このまま、君の隣でずっと笑っていたい。君の隣で、くだらない話をしていたい。だけど、僕の願いは、このチャイムの音と共に、夕闇に溶けていくしかないのだろうか。
僕がどれほど君を大切に思っているか、どれほど君の存在が僕にとって大きいか、君はきっと気づいていない。あるいは、気づいていても、あえて気づかないふりをしているのかもしれない。どちらにしても、僕のこの片想いは、叶うことのない、切ない願望として、僕の胸の奥底に秘められていくのだろう。
僕らの日々は、あとわずかで終わりを告げる。制服を着て、この校舎に通い、そして放課後、こうして君と時間を過ごす。そんな当たり前だった毎日が、もうすぐ過去になる。僕は、その事実を受け止めきれずにいる。
君が遠くに行ってしまう前に、僕は何かを伝えたい。この胸の奥に秘めた想いを、言葉にして君に届けたい。だけど、僕にはその勇気がない。君との関係を壊してしまうのが怖い。このままの友情でさえも、失ってしまうのが怖いのだ。臆病な自分が、僕の足をすくませる。
夕暮れの空は僕らの気持ちを映すかのように、どこか切なくてそして美しい。茜色に染まる雲が、ゆっくりと形を変えていく。時間だけが無情にも過ぎ去っていく。
僕らはそれぞれの未来へと歩き出す。君は希望に満ちた新しい世界へ。僕は君のいない日常へと。それでも、僕はきっと君との思い出を胸に、この先も生きていくのだろう。
チャイムの音が、遠くでまた一つ鳴り響く。それは、僕らに別れを促す最後の合図だった。