1話 終わった尊い命と始まる物語
――人が死ぬとき、本当の姿を見ることができる
今にでも死んでしまいそうな少女を前に、颯太郎はふと思い出す。
ただし、誰に言われたのかすら覚えていない子供の頃の断片的で、曖昧な記憶だ。
「颯太郎、痛いよぉ、苦しいよぉ」
「――桜花!」
それもそのはず、桜花の腹部は右側四分の一を削られていた。しかもその致命傷は颯太郎を守った代償に得たものである。
颯太郎の腕の中で一粒の涙と大量の血を流し、切なる思いを伝える。
「もう死んじゃってごめんね……約束守れなくてごめんんね……」
「謝らないで! 今はそんなこと言ってる場合じゃないよ……」
「死ぬのはわかってたけど、まだ死にたくない……ごほっ」
長くしゃべりすぎたのか、桜花は吐血し咳込む。
「楽しかったよ颯太郎と一緒に過ごせて……」
体温と同じ温かさを持つ血とは逆に段々と冷えていく桜花の体を颯太郎は強く抱きしめ放さない。
桜花が死んだ。それは色あせていく彼女の目を見れば一目瞭然である。
でもその様子が颯太郎の目に、なんとも儚く可憐に見えたのはなぜだろうか。
「ごめんよ……本当にごめん」
桜花に何もしてやれなかった無力な自分を振り返り、謝ることしかできない。
だがこの時、颯太郎の胸の中に奇妙な感情が生まれていた。
「なんてきれいなんだ」
無意識に出た言葉に慌てて口を塞ぐ。命の終わりを迎えた少女のいるこの場において、颯太郎の言葉は不謹慎極まりない。
だが、颯太郎は思ってしまった。少女の死に様が美しい、と。
そして恋心に似た感情を桜花に対して抱き、胸のざわめきを感じていた。
自分のことを本当の家族のように慕ってくれていた桜花が死んだ事実と、彼女に対する奇妙な感情に颯太郎の意識は混沌し、だんだんと薄れていった。
「――たろぅ、颯太郎? どうかした?」
颯太郎の意識が覚醒した時、目の前にはたった今命を落としていった桜花がしっかりと立っていた。
「あ、いやなんでもない」
「じゃあ話すね。今日を生き抜いたら、二人で暮らそう」
「えっ?」
この光景は颯太郎にとって、二度目となる。
颯太郎の理解が追い付かないまま桜花は話し続ける。
「もう、戦うのなんていやなの。だれも傷つかない場所でそっと生きたい」
「そう……だね。僕もそう思う」
以前と同じ回答をすると、颯太郎の意識は飛ぶ。
気づくと、目の前には傷だらけながらも自身の足で立っている桜花の姿があった。
「桜花! よかった」
「うん、私たちの勝ち。だから今日の夜ここを発とう」
ここで颯太郎はあることに気が付く。それは今自分が見ているのは桜花があそこで死ななかった場合のただの理想であるということ。つまり、もう来ることのない未来の話ということだ。
途端に颯太郎は寂しくなり桜花に抱き付く。顔は涙でぐしゃぐしゃだが、優しく包んでくれた。
「もう泣かなくても良くなるんだよ、これから二人で幸せになってもいいんだ」
「ありがとう……!」
桜花の茶色いのショートボブの髪の中に紛れた薄い桃色の部分がが風でふわっと揺れる。
颯太郎の頭にいろんな人の顔が浮かびかかるが、気に留めることはなかった。
そしてまた意識は飛び、颯太郎はベッドの上に寝ていた。
横を向くと一緒に寝る桜花の姿に、真ん中で寝る小さな生命の気配。
「ん、おはよう颯太郎」
「おはよう……」
「今日は颯花も連れて三人で水族館でも行かない?」
まだ小さい赤子の方を向いて、少し髪の伸びた桜花は言う。
この赤子は二人の子供である。どちらの顔に似るのだろうか、と颯太郎はちょっとした想像をした。
「うん、行こう!」
そうして彼らは準備を始めて家を出る。
家の外は様々な建物があって、どれも風化が進んでいないのに加えて、草木がコンクリートにはびこることもない。その光景に颯太郎は少し驚く。
「もう着くよ! 準備はいいかな?」
「もちろんオーケーだよ。水族館なんて初めて行くなぁ」
真っ青に塗られた外観が目印の水族館に入り、颯太郎は言葉を失う。
「わぁ……すごい、すごいよ! 桜花見てよ大きな魚も泳いでる!」
「ほんとだ、視界一面水槽で水の中みたい」
どこを見ても魚がいるこの場所で、颯太郎は子供のように目を輝かせている。その様子を桜花は微笑んで見守っている。
すると寝ていた颯花は起きて、目を見開いて笑った。その様子を見る限り、大きくなったら少なくとも性格は颯太郎に似るだろう。
「あのひょこひょこしてるのって何?」
「かわいいー! あれチンアナゴだよ!」
颯花も触れんと手を伸ばす。
傍から見ればただの幸せそうな家族に見えるだろう。だが、彼らには忘れられない過去がある。
「話変わるようだけど、私が颯太郎を好きになった理由って知ってる?」
「えっ……どうして急に……」
「ふと思ったの、こんなに私たちは幸せに暮らしているけど、あの子たちはどうしてるだろうって」
「あの子たち?」
颯太郎の頭の中に幾人かの少女が、顔は思い出せないが浮かび上がった。
「私たちがまだ小さかった時、自分の未来に絶望して泣いていた私を颯太郎は背中をさすって親身に話を聞いてくれた……颯太郎を慕う理由にはそれだけで十分だったの」
そんなこともあったなと颯太郎は懐かしむ。それは彼らが出会って間もない頃の話だ。
「でも、今こうして二人で幸せになっちゃったら抜け駆けしたみたいなんじゃないかって……」
「そんなことない! 現に僕は君に救われた、それだけで十分じゃないか!」
あまりにも桜花が不安そうにしていたのが見ていられず、颯太郎は桜花を抱きしめる。
「大丈夫! 助けてもらった分これからは僕が守ってみせる!」
「ふふ、ありがとう。昔から変わらないねそういうところ」
気が晴れたようで桜花はにっと笑って見せた。その笑顔も昔と変わらず可愛らしい。
周りから冷ややかな目で見られている、その理由は間違いなく子連れの若い男女が抱き合っているからである。
「ちょっと目立ちすぎちゃったみたいだね」
「そう……だね、ちょっと移動しようか」
自分達の子の前で愛を語り合った二人は改めて水族館を回ることにした。
颯花も二人の仲が良いと嬉しそうに手をじたばたさせて喜んでいた。
「今日はありがとう! 相談にも乗ってくれたみたいになっちゃって」
「いや、お礼を言うのは僕の方だ。初めての水族館だったし」
「それならよかった。そろそろ帰ろっか」
「うん帰ろう、僕らの家に」
夕日を背景に後ろに手を組んで話していた桜花は綺麗で、ずっと見ていたくなる。こんな生活が続いてくれれば良いのにと颯太郎は思っていた。
だが、大切な人を守れなかった颯太郎にそんな永遠はもう存在していない。
――なぜなら今見ているこの場所、人物全てが颯太郎の理想に過ぎないものだからだ。