夢の終わりに
男はタクシーの後部座席に身を投げた。とりあえず自宅近くの中学校を行先に指示した。
「近くに行ったらまた細かく言いますよ」
「了解しました」
運転手は定年を終えたばかりの年頃に見えた。男は窓に肩を持たせかけて、過ぎゆく景色をぼんやりと眺めた。
今日でこの慌ただしい東京ともおさらばか。未練がないと言えば嘘になる。
「う~ん、やっぱり時代に合わないんだよね」
お偉いさん方の声が脳裏によみがえる。
「やっぱりさ、才能が無いっていうのはきついよね」
そう言ったのは確か副社長だったか。
「そういう訳で今までお疲れさん」
まるで肩のほこりを払う様な調子で、契約は打ち切られた。
「お客さん、飲み会の帰りですか?」
運転手の声で現実に引き戻される。
「ええ、まあ」
うそだ。安い居酒屋で一人で呑んでいた。
「いやあ、若いって良いですねえ。夢も見れるし未来もあるし」
「そうですかね」
今日で夢も未来も終わったんだよな。
「私もねえ、若い頃は夢があったんですよ。俳優になりたくてねえ」
「そうですか」
駄目だ、やっぱりやけ酒は良くなかった。返事をするのも気怠くなってきた。
「だけど結局は現実を選んだんですよ。子供ができましてね」
よくある話だな。平凡な小説のお決まりの展開ってところか。
「しかし結構幸せに過ごさせてもらいましたよ。現実も悪くないもんです」
そうですか。幸せでよーございました。
「だけど女房に先に逝かれましてね。一年前でした。待ちきれず息子の後を追ったんですなあ」
ほら見ろ。やっぱり神様なんていないんだよ。
「一人になって孤独になりましてねえ。そりゃあ落ち込みましたよ。そんな時ね、出会いがあったんですよ」
そう言って運転手はCDディスクをプレイヤーに差し込んだ。アコースティックギターのイントロが流れる。車内が音楽で満たされていく。
「良いんですよねーこの歌。ギター一本で時代遅れなんですけどね」
その通り。もう言われたよ偉いさんに。
「時代遅れなんですけど、カッコ悪いんですけど、私の事を見てるんですよ。おかしいですよね、こんな言い方。でもね、私みたいな人間の事を歌ってくれてるんですよ。流行らないってわかってるのにね。」
気づけば男の頬を一筋の涙がつたっていた。
ふん。まあ来た甲斐はあったかもな、東京に。
運転手の続けて行った言葉が、男の頬を今度は容赦なく濡らした。
「私はねえ、応援しますよ、こういう若者を。会ったら言ってやりますよ、絶対に幸せを掴めってね」