表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

タクシー怪談

 学校の帰り道、僕は心霊現象に遭遇してしまった。

 何でそんなものに遭遇したのか、よく分からない。僕にはそういった能力は皆無で、所謂『見える』方の人間じゃない。勿論これまでだって幽霊のようなものを見たことはないし、写真を撮っても何か変なものが写っていたなんてこともない。妙な物音、いないはずの人の声、その他の怪奇音を聞いてしまったこともなければ、ありえない場所で線香の匂いを嗅いだことも、目に見えない何者かに触られたことだってない。五感とも無い無い尽くしで、いや、五感ではなく四感だった、でも味覚における心霊現象なんて普通―――無いよね。兎にも角にもこれまで何にも感じなかった僕が、とうとう見てしまったんだ。

 でも、どうしてこんなことがと考えてみるに、恐らくこの日特別に開けてもらった学校で、みんなして夏休みの恒例行事であるお化け屋敷の小道具を作っていたものだから、それでたまたまそっち方面の感覚が一時的に備わったんだろう、と思われる。このお化け屋敷は学校でやるんじゃなくて、近くの生涯学習センターで年に一回地域で催される出し物なんだけど、準備のために特別に小学校の教室を使わせてもらったんだ。おどろおどろしい血染めのマネキンの頭部及び手足(勿論バラバラ)、丈夫な紙で作った幽霊用の白い着物、赤色発行塗料で彩色した人魂の模型、白い荷造りビニールひもを細かく裂いて束ねて作ったざんばらの白髪のかつら、などなど。こんなものばかり一生懸命作っていたら、そりゃあ本物を見てしまったっておかしくはない。

 で、その心霊現象なんだけど、実は見たんじゃなくて見えなかったんだ。状況からすると見えなきゃならないはずのものが見えなかったという恐るべき心霊現象―――なんだけど、これじゃあどうにも要領を得ないだろうし、始めから説明します。

 ということで、お化け屋敷の小道具制作を終えて、お疲れ様それじゃあ皆さんさようならと解散し、校門を出ての学校の帰り道、時刻は大体午後六時頃、夏休み中盤とは言えまだまだ明るい、けれどもそろそろ日も暮れかかるよといった時間帯、僕は家へ向けて歩いていた。いつも通る通学路、周囲のお店もアパートも、街路樹もガードレールも横丁もみんなお馴染みなんだけど、ただいつもと時間帯が違うせいか雰囲気が違う。いつもと少し違う雰囲気―――人通りが多いようだ、人通りは多い、確かに沢山人はいるのだけれどその人々の様子に朝のような新鮮さがない、明るさはない、午後のようなのんびりした感じとも違っている。これはどうした訳だとよく観察してみた。するとどうやらそれは道行く人達の表情のせいではないかと思われた。皆疲れた顔をしているんだ。勉強やクラブ活動帰りの中学生や高校生、元気そうで楽しそうではあるけれど目じりや口元のあたり、足取りなんかが明らかに疲れている。仕事帰り買い物帰りの大人の人達、こちらはくたびれ具合が体全体に直截的に表れている。皆さん口をへの字に曲げているし、俯いているし足取りは重いし肩も下がり気味だし、そうしてよろよろ歩いている。(中には張り切って歩いているようなおじさんも見受けられるけれど、残念ながら背中にちゃんと“空元気”と書いてある)人間達がそんな有様だから、車道を走っている自家用車やバンやトラックまでもが、のろのろとごろごろと重たげに這いずっているように見えてしまう。運転している人達がそんな風だからなんだろうか。それともこの景色に、このくたびれて恨めし気な空気に染まってしまっているからなんだろうか。ところがこんな怪しげな時間帯に、タクシーだけは常と変わらずひょうひょうと流している。頭の上に光る角を生やしたあのタクシー連中だけは―――そうそう、僕が出会った心霊現象は正にこのタクシーを舞台にして起こったのでした。

 けれどここでちょっと仕切り直しをした方がいいかも知れない。いつもはこんな変なこと考えたりはしないのに、この時の自分は少しおかしかったんだ。やはりお化け屋敷の小道具作りが僕の繊細な神経によろしくなかったに違いない。さて―――学校の帰り道、毎夏恒例のお化け屋敷開催のための準備作業で疲れた僕が校門からさほど離れていない所を歩いていたら、前方五メートルくらい先に一台のタクシーがいきなり駐車ランプを点滅させながら道路わきによって停車した。僕は何気なくそのタクシーに目をやった。普通こうやってタクシーが止まるのは、お客を乗せるためかお客を降ろすためかのどちらかだろう。運転手さんが休憩したいという時もあり得るけれど、そういうことはこんな街中ではしないはず、と言うかそんな非常識な人はいないはず。だからまあ、お客さん絡みと考えていいと思う。それでこのタクシー、停車してすぐに後部座席のドアを開けた。やはりお客さん絡みのようだ。だから後はお客さんを乗せるか降ろすかなんだけど―――奇妙なことに車の内にも外にもそれらしい人影が見当たらないのです。何も遮蔽物のないすぐそこでの出来事なんだから見まごうはずもない。確かに誰もいなかった。車の中にもその辺りの歩道にも。何事だろうと僕はそのまま立ち止まりしげしげとその様子を見ていると、何故かさっき開いた後部座席のドアが閉まり、運転手さんが後部座席の方へ少しばかり体を向けて何やら話しているような素振りをし、それからゆっくりと正面に向き直ると(これはこの時やっと気が付いたんだけど)それまで点いていた『空車』の表示を『満車』に替えて停車ランプを消して、今度は右ウインカーを点滅させながら道路の車の流れに上手いこと乗っかった。そしてあっけにとられている僕の横を通り過ぎるとごく当たり前といった様子で後部座席は無人のまま池下の方へと走り去って行く。僕は呆然とそれを見送った。

 これは心霊現象だ。あのタクシーは確かに何者かを乗せたんだ。ただし、運転手さんには見えていて僕には見えなかった何者か、だ。あのタクシーはその何者かに指定されたところへ行く。でも、きっと暗いさびしい不吉なところなんだろう。そこで停車して、さあ着きましたと運転手さんが振り返ると、どうしたことか後部座席には誰もいない。ただお客の座っていたあたりのシートがぐっしょりと濡れているだけ―――きゃあ!幽霊だ亡霊だ怨霊だ物の怪だ、怖い怖い―――いや、別に僕はここで悲鳴を上げたわけじゃない。正直、上げそうにはなったけど、でもそれは喉の途中で抑え込んでしっかり飲み込んだ、嘘じゃない。

 とまあ、そんなことはどうでもいいんだけど、確かなことは僕が心霊現象を目撃したということだ。見えるはずのものが見えなかったという、ではなく‥‥‥『見えるはず』ではないでしょ、どう言ったらいいのか、取り敢えず頑張って表現してみると、僕には見えない何者かがタクシーを利用したという心霊現象、どうにも様にならない言い方だけれどもまあこんなもんで勘弁してもらいたい。

 僕はこの経験にすっかり参ってしまった。だからだろうか、家への帰り道、いろいろなことが頭の中をよぎっていた。あの時、僕の目には見えないものが運転手さんの目には見えていたというわけだ。あのタクシーは何か得体の知れないものを乗っけたんだ。考えてみれば成程、タクシーにまつわるそういう話って妙に多いんだよね。やっぱりそういうことって時々起こることなんだ。あの密閉された狭い車内に正体不明の禍々しいものが時折入り込んでくるのかも知れない―――けれど待てよ、僕は今自分の目が正しくて運転手さんの方がおかしい、という前提でこんなことを考えている。今回はそれで多分本当だと思うんだけど、では『いつも』そうなんだろうか。『いつも』僕の方が正しいんだろうか。実は時々僕自身も『見て』いるのかも知れないじゃないか。本来無いはずのものを見ているのかも知れない。そしてそれが正しいことだと思い込んで済ましているのかも知れない。ごく当たり前の光景、街中でタクシーがいきなり歩道の方へよって停まる。後続の車が不平のクラクションを鳴らしたりする。そこには手を上げている人影があり、タクシーは後ろのドアを開ける。その人影はタクシーに乗り込む。ドアは閉められ、運転手さんは半身或いは顔を半分後ろに向けて乗って来た人影に挨拶し、行き先を問う。人影は何処やらの名を伝える。運転手さんは軽く会釈をし、向き直ると『空車』表示を『満車』に切り替え車を発進させる―――というごくありきたりの光景、これまで何度となく目撃してきた光景、これらは果たして全てこの通りのものだったんだろうか。本当に運転手さんと僕は事実を見ていたんだろうか。ひょっとしてそこには本当は誰もおらず、運転手さんも僕も両方共が実は『見て』いたということは無かったんだろうか。こういうことはタクシーに限ったことじゃない。例えばあそこの小さなスクランブル交差点、あそこの歩行者用信号が青になって多くの歩行者が縦横斜めに歩き出す。僕もその中の一人、いろいろな人が僕の周りを行き交う。僕はそれらの人達が実際にそこにいると思っている。しかしその中に、実はこの世のものじゃない『何か』がいて、それが僕に見えていたのかも知れない、僕が全然気付いていなかっただけで。と言うか、そういうことが全く無かったと断言出来るんだろうか。僕は見えない方だからなんて言いつつ、これまで僕は知らないうちに存在しないものを実は『見て』しまっていたなんてことが本当に無かったんだろうか。(さらに再び)と言うか、そういうことがこれまで全く無かったという確かな証拠が果たしてあるんだろうか―――きゃあ、もっと怖い、嫌だ、考えたくない考えだ―――言っておくけど僕はここで悲鳴を上げたりはしなかった、しつこいようだけど。ちゃんとしっかり飲み込みました。

 それでも、僕はぶるぶると身震いしてしまって、家路を急ぐことにした。そしてこの逢魔が時はやはり薄暗く元気がなく疲れてしまっていて、いつになく不気味な雰囲気につつまれていたのでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ