6. 交友 1
用意された豪華な部屋で、レンリは一人物思いに耽っていた。
レグルスの計らいか、先程まで数名の侍女が世話係として傍に付いていたのだが、既に困りごとはないため下がっても構わないと退出を促したところであった。
それは一人になりたい気分であったのと、人間の世界で過ごしていた時は人に世話を焼かれるということがなかったため、ほんの少しだけ抵抗を覚えたというのが主な理由だった。
リーシェもおそらく扉の外に控えているのだろう。
静かな部屋でレンリが思うのは、王城の行方とそして人間達のことであった。
レンリの思考の大部分は、今現在王城を奪還するために何をすべきかで占められている。
それでも、ふとした時に人間のことを思い出すのだ。
それは、彼らの置かれていた状況が自分の今置かれている状況に似通っていることにあるのだろう。
正体不明の強大な敵を前にして、どう戦っていくべきなのか。
彼らならこんな時どういう選択をするのか、どういう決断をするのか。
それが机上の空論だとは言え、レンリは気になって仕方がなかった。
レンリは多数が納得する意見を選ぶ。
それが最速で出来る決断だと知っているからだ。
けれど、きっとテイトは違うのだろう。
たとえそれが如何に難しく、とてつもない時間がかかることだったとしても、全員が納得できる選択を探すのだろう。
けれど、どんなに話し合っても決して分かり合えない者は確実に存在するのだ。
そのためそれが最善かと聞かれれば、レンリに是とは答えられない。
そうやって悩んでいる時間に、決断していれば解決できたであろう機会が失われる可能性があるからだ。
しかし、長い目で物事を見た時、テイトの選択はおそらく大勢のためになるのであろう。
レンリはゆっくりと息を吐き出した。
やはりこれは理想論である。
現実的に考えて、熟考するだけの時間は残っていない。
不意に、コンコンと扉を叩く音が耳に入った。
それに伴いレンリの意識は浮上したが、それでも返事には遅れてしまった。
その所為か、扉の向こうから揉めるような声が聞こえてきた。
「――……もう、お休みになっているようです……申し訳ございません」
「リーシェ?」
恐る恐る扉を開けると、三対の目が向けられた。
リーシェの他に誰が、と認識する前にレンリの身体は衝撃と共に温かさに包まれた。
「っ良かった。私、心配していたのよ! 誕生日にはいつも招待状をくれていたのに、今年は全然来ないから……」
本当に良かった、とこちらを気遣うような声が耳元で聞こえてレンリは戸惑った。
助けを求めるように視線を動かすと、おろおろとした様子のリーシェと、焦ったような顔でこちらに手を伸ばす若い騎士の姿が見えた。
「ア、アンジュ殿下、困っていらっしゃいますよ……」
「っもう、外野は黙っていて! 私達の感動の再会に水を差すようなこと言わないで!」
大声で文句を言う声は、よくよく聞けば聞き覚えがあった。
視界の端に映る美しい瑠璃色の髪も、レンリの良く知るものであった。
「……アンジュ?」
途端、がばりと身体が離れ、深い青色を宿した瞳と目が合った。
その瞳はみるみるうちに潤んだかと思うと、再びレンリは彼女によって抱き寄せられた。
「無事で、本当に良かったぁ」
国同士の関係は良好だとは思っていたが、アンジュが想像以上に自分を好いていてくれたことをレンリは初めて理解した。
勿論、自分も真っ直ぐな性格のアンジュを好ましく思ってはいたが、飽くまで交流の一環だと考えていた。
そんな自分の浅はかさに、レンリは恥ずかしくなった。
「ごめんなさい。心配させてしまって」
「謝らないで、貴女が元気ならそれでいいのよ」
ゆっくりとアンジュの背中に手を回すと、アンジュは痛いほどに抱き締める力を強くした。
それがなんだか暖かくて、レンリは年上であるはずのアンジュを確かに愛しく思った。
回廊では目立ってしまうためアンジュを部屋の中へと招き入れると、それに続いて彼女と共にいた騎士も入室してきた。
それを見てかリーシェも警戒するように中に入り込み、守るようにレンリの背後へと控えた。
レンリとアンジュが席に着くと、アンジュに付いていた侍女達が忙しなく動き始めた。
僅か数分で温かい飲み物を用意して並べ終わると、彼女たちは綺麗な礼と共に退出していった。
「突然押しかけてごめんなさい。お休み中だったかしら?」
「いいえ。寧ろアンジュに会えて嬉しい」
「もう、可愛いこと言うのね。そんなの、私だってそうよ」
アンジュは照れ隠しをするようにカップに口を付けた。
真っ直ぐで嘘偽りを言うことのないアンジュを見ていると、自分を慕ってくれたナナの存在を思い出した。
「……何があったのか知りたいけれど、それは明日お父様と話す予定ですものね」
「ええ、一応」
レンリは目を伏せた。
レグルスは協力をしてくれると口約束してくれたが、得体の知れない者が相手と知っては協力を渋る可能性だって捨てきれない。
そんな不安が顔に出ていたのか、アンジュは殊更優しい声を出した。
「大丈夫、お父様は優しい人よ。でも、万が一貴女を泣かせるようなことがあれば、私が代わりにお父様に言い返してあげるんだから」
「……ありがとう、アンジュ」
「ふふ、なんだかレンリ変わったわね」
微笑まし気に見られて、レンリは目を丸くした。
「変わった?」
「悪い意味じゃないわ。前は、そうね……綺麗なお人形さんって感じだったけど、今はそれに心が宿ってる感じ。あ、勘違いしないで。前の貴女が良くないって話じゃないのよ」
アンジュは弁解するように両手を振った。
身に覚えのない言葉にレンリがただただ目を瞬かせていると、それをどう捉えたのか、アンジュは焦りを帯びた声で続けた。
「ごめんなさい、ちょっと喩えが下手よね。えーと、とにかく、私は好きってこと!」
最終的に投げやりに告げられて、レンリは半ば呆然とお礼を述べた。
アンジュは一度手を叩くと、上目遣いでこちらを見遣った。
「そう言えば、貴女の騎士は別の方ではなかった? ほら、こっちに留学に来てたって以前言っていたでしょう?」
アンジュがチラチラとリーシェを窺うと、リーシェは居心地が悪そうに身体を竦めた。
「ホセは、王城に残っていて」
「そうなの。――残念ね、イオリ」
アンジュが振り返って背後の騎士を見つめると、実直そうな青年は穏やかに笑った。
「いいえ、好都合です」
「あら? 会いたかったわけではないの?」
アンジュの問いに曖昧に微笑むと、イオリと呼ばれた騎士は数歩歩み出てレンリの傍に跪いた。
「お初お目にかかります。近衛騎士団所属のイオリと申します。ホセとは養成機関時代の同期でした」
レンリは思わず目を瞠った。
ホセからエジダイハにいた時の話は余り聞いたことがなかった。
他者から養成機関は如何ほどだったかと訊かれても、まぁ大変でした、と当たり障りの無いことを言ってのらりくらりと躱している印象であったため、詮索されるのが嫌いなのだろうと認識していた。
「……折角の再会の機会でしたのに、気の利かないことをしてしまいましたね」
「いいえ。ホセはそういう奴だと分かっていましたから。私からの手紙に返事の一つすら寄越さないような薄情な男なのです」
この気安い物言いは、なるほど確かに彼はホセの学友なのであろう。
言い終わった後に、イオリはどこか気遣うようにレンリを見上げた。
「申し訳ございません。レンリ様の騎士に対して、少しばかり馴れ馴れしい発言でした」
「とんでもありません。エジダイハで修練を積んだ時の話をあまり聞いたことがありませんでしたので、仲の良いご友人が存在したことに正直安心いたしました」
素直に伝えると、イオリは柔らかく微笑んだ。
「あらぁ、イオリ。レンリの騎士と同期なことを理由に私に付いてくると思ったら、まさか、そういうことなの?」
意味ありげに笑うアンジュをイオリが呆れたように見遣ったため、レンリはまた驚いた。
王族相手に遠慮のない感じが、それだけエジダイハにおいて騎士の立場が確立されていることの表れのように思えた。
「アンジュ殿下、お止めください。レンリ様にも失礼ですよ」
「何よ。レンリは可愛いでしょう?」
「お転婆な殿下に比べればそれはそうでしょう。ただ、私はホセの本性をレンリ様にお伝えしてあげようと馳せ参じただけです。きっと彼はセレシェイラでは猫を被っているはずですから」
それにはレンリも少し興味があった。
しかし、この場にいないホセについて話すことは少し憚られるような気持ちもあった。
何より、楽しそうに彼との思い出を語ろうとするイオリに申し訳なさを覚えた。
ホセの生死は未だ分からないのだから。
「なによそれ。イオリの養成機関在籍時の話でもしてくれるのかしら?」
「それがご希望とあらば」
薄く笑ったイオリに、リーシェもどこかそわそわと身体を揺らした。
騎士である彼女にとって、エジダイハの騎士の話を聞くことは願ってもないことなのであろう。
「因みに、ホセの印象についてお伺いしても?」
悪戯っぽく目を細めて聞かれては中断するのも悪い気がして、レンリは考えるように目を伏せた。
「そうですね。不可能なことなど無いのではと思わせるほどに、技量と経験の備わった信頼の置ける騎士だと思っています。普段は飄々としているけれど、その実とても優しくて、私はそんな彼に甘えてしまう部分も多くて……」
イオリはその発言を聞くと僅かに目を丸くし、やがて困ったように眉尻を下げた。
「……そんな風に思われるなんて、騎士冥利に尽きますね。なんだか、自分の性格の悪さが露呈しただけのような気がしてきました」
「隠れて人の悪口を言おうとする時点でお察しよ」
「確かに、意趣返しするにしても本人でなければ意味はありませんね」
イオリは肩を竦めると優しげな表情で首を傾けた。
「では、若気の至りエピソードだけにしておきます。その代わりと言っては何ですが、ホセに手紙の一つぐらい寄越せと言っておいてくれませんか?」
レンリ様に伝令役をお願いするのは大変忍びないのですが、と続けるイオリにレンリは微笑んだ。
出来ることなら、伝えてあげたいと思った。
「ありがとうございます。――じゃあ、先ずは初めて私とホセが闘技祭に出場した時のことなのですが、それはもう大切な行事なのにホセの悪ノリが凄くて、」
「結局話してるじゃない……」
アンジュは呆れたように溜息を吐いていたが、イオリの話は案外面白く、途中からはアンジュも興味津々といった様子で耳を傾けていた。
そうして楽しい話を提供してくれたおかげか、その日は久しぶりに悪い夢を見ることなく眠ることができたのであった。




