3. 帰郷 2
オルフェは騎士を数名帯同させ、城門を潜って結界の境界線へとレンリを案内した。
レンリの護衛を引き受けたリーシェもレンリのすぐ後ろに控えており、やや緊張の滲んだ表情で周囲を警戒していた。
結界のすぐ側まで来ると、オルフェは気遣うようにレンリを見遣った。
「レンリ様、こちらで何を?」
「私が結界の中に入れるかどうかを確認いたします」
レンリ自身は自分が結界に拒まれるとは少しも考えていなかった。
何故なら、アルデラにレンリの入場を拒む理由はないからだ。
ただし、一度入ってしまえばレンリも出ることは叶わないだろうから、入るのであればそれなりの準備が必要になる。
今はただ、念のためその前提の確認を行いたかった。
外からではやはり結界の有無は分からず、目と鼻の先には綺麗な庭園を構える王城が見えた。
しかしその実、ここにいる殆どの者が見えない壁に阻まれてその中に入ることが出来ない。
更に今目に見えるこの景色も全て虚構であるため、この美しい庭園が本当は枯れ果てている可能性もあれば、無人に見えるが敵が潜んでいる可能性すらある。
レンリは気を引き締めながらそっと結界に手を伸ばした。
「――おぉ」
騎士達からどよめきの声が上がった。
レンリの右手は難なく結界を通り抜け、視覚的にはまるで手首から先が失われたかのように消え去っていた。
拒まれないだろう事は想定していたが、レンリは安堵から僅かに息を吐き出した。
「――っ」
その時だった。
見えない右手にぬるりと冷たいものが触れたため、レンリはビクリと肩を震わせて手を引っ込めようとした。
しかし、その手はびくとも動かず、逆に結界の中に引きずり込まんとばかりに強く引っ張られた。
「レンリ様っ!」
驚きと恐怖の余りレンリは声も出せなかったが、異変にいち早く気が付いたリーシェがレンリの身体を抱え結界の中から右手を引き抜いた。
そのまま反動で尻餅をついたが、レンリはリーシェに抱き留められていたため衝撃はそれほど来なかった。
「っレンリ様、お怪我はございませんか!?」
血相を変えてオルフェが駆け寄ってきたが、レンリはただ頷くことしか出来なかった。
「ですが、手首が」
言われて自分の右手に目を向けると、強く握られた後のようにくっきりと赤い跡が残っていた。
(……今のは、)
握られたと言うよりは、何かドロドロとした液体に手全体を包まれたというような感触の方が強かった。
その形状で思い当たるのは、やはりあの時見た黒い生物に他ならない。
それがこの出入口近くまで闊歩しているという事実、それが指し示すのは。
震えを隠すようにレンリが袖で右手を隠して立ち上がると、それを支えるようにリーシェが肩を抱き寄せた。
「大事ありません。リーシェもありがとう」
「いえ……とんでもございません」
密着していた所為か、リーシェはレンリの震えに気付いたのだろう。
何か言いたげな様子ではあったが、きゅっと唇を引き結ぶとレンリの裾に付いた汚れを払った。
「一体何が起こったのですか?」
「……何かに引っ張られるような感覚がありました。おそらく、今城内を巣食っているであろう生き物に」
「そんな……」
レンリがここを離れる前よりも城内の状況は悪化しているようである。
最悪の場合、中にいる者達は全て犠牲になってしまっていることも考えられる。
レンリは不安を読み取られないように目を伏せた。
「唯一中に入ることの出来る私がアルデラ様と接触を図り、結界の設定を変えていただこうかと考えていたのですが……」
「――危険です! お止めください」
悲痛な表情を浮かべたリーシェがレンリの言葉を遮るように声を上げた。
オルフェも深く頷き、厳しい表情で顎に手を置いた。
「……それは、得策ではありませんね。結界内部では私達は誰も護衛として貴女をお守りすることが出来ません。況してや、敵が出入り口付近も彷徨いているのならば尚更」
オルフェは考えるように目を閉じていたが、不意にスッと開いてレンリを見遣った。
「レンリ様、方法は二つあると仰っていましたね」
隈に縁取られた瞳は、それでも眼光は鋭く、今起こっている問題を解決したいという意志が見られた。
「はい。……一ヶ月後であれば、結界の出入りは自由に行うことが出来ます」
オルフェは目を瞠った。
しかしながら、その言を疑う気持ちもあるようで、僅かに眉根が寄せられていた。
「それは、」
「アルデラ様は、私の即位前に少しずつ権威を譲渡してくださっていました。結界もその一つであり、私が十七を迎える日に譲渡される予定となっています」
一度に全ての権限を与えては混乱の元となるため、アルデラは以前から自分が持つ権威を数回に分けてレンリに与えていた。
無論、国の運営に関わる重要なものは即位の時にしか与えられない予定にはなっていたが、それ以外の普段は行使しない力であったり、然程重要でないものに関してはその限りではないとのことで順番に譲渡されていた。
結界も使用頻度が極めて少ないものだと言うことで、即位前に与えられる算段となっていたのだ。
混乱状態に陥っている現在、わざわざ結界の権威をレンリに譲渡しない方向に修正し直すなんてことは考えにくい。
「っなるほど、それならば!」
オルフェの声に明るさが滲んだのが分かった。
たった一ヶ月。
然れど一ヶ月である。
こちらがその機を待って結界外で過ごしている間に、中にいる者の犠牲が増えてしまう可能性があると思うと、レンリは素直にこの案を良しとすることが出来なかった。
勿論、自分が無力なのも分かっている。
単身乗り込んだところで、アレをどうにかする力は備わっていない。
だからこそ、余計に自分が情けなかった。
「そちらの案で作戦を立てましょう」
「……ええ」
レンリは懸念を押し込めて頷いた。




