【 婚約 3】
美しく着飾った己の主を見てホセは頬を緩ませた。
そんなホセの表情を見て、心なしかレンリも微笑んだように見えた。
レンリの縁談相手が到着したことは既に耳に入っていた。
そして、晩餐会までに顔合わせだけでも済ませたいという相手方の希望に応えるために、張り切った様子の侍女達によってレンリは部屋に閉じ込められた。
部屋の前で控えること一時間、満足した様子の侍女の後に姿を見せたレンリに、ホセは僅かに目を瞠った。
元々群を抜いて美しい少女ではあるが、薄く化粧を施された顔を見ると少女というよりも女性のような色があった。
濡羽色の髪も緩く結われ、上品な髪飾りで彩られている。
正装に身を包んだその姿は、女神が如く神々しさがあった。
「――どうですか、ホセ様?」
言葉を失って見つめていたホセに、自信満々な様子を隠さずに侍女が問いかけた。
自分よりも長くレンリに仕えるこの侍女は、確かエマという名前だっただろうか。
「大変、お美しいです。妖精かと思いました」
呆然としながら紡いだ言葉に、侍女達が黄色い声を上げた。
「ふふっ、ホセもそんな風に言うんですね」
レンリは口元を抑えて可憐に笑った。
その唇も普段とは異なる色に色付いていて見慣れないが、笑う姿はいつもの少女のそれで、ホセは人知れず安堵した。
「心外です。私だって美しいものを美しいと思う感性ぐらいありますよ」
レンリは殊更に笑った。
周囲の侍女の方が大袈裟に反応を示すので、ホセも可笑しくなって微笑んだ。
「レンリ様の御姿を見たら、どんな殿方だって射止められてしまいますわ!」
エマが勇んだように言うのを見て、レンリは微笑んだ。
その微笑みの中に困惑の色を見つけたのは、おそらく自分だけだった。
太鼓判を押されながら、会合場所として設定された裏庭へと足を進める。
その途中でこちらへと向かってくるミラの姿を見留め、ホセは内心舌打ちをした。
ミラは何かとレンリに突っかかってくるのだ。
その根底にあるのが嫉妬だと気付いたのは、レンリの騎士となってすぐのことだった。
「まぁ、レンリ。とても美しい装いね」
「ありがとうございます」
すぐ傍で立ち止まったミラは、上から下までレンリに視線を滑らせるとにこりと笑顔を見せた。
「これからアラン様と会われるのかしら?」
アラン、とホセは一瞬考えた
そして、その名がレンリの縁談相手であるストラトスの第二王子の名であることに気付き顔を顰めた。
レンリの前で親しげにその名を呼ぶとはどういう了見があってのことなのか。
「えぇ、その予定です」
「あのね、ここだけの話なのだけれど……」
ミラは内緒話をするように声を潜め、レンリの耳元へと口を近付けた。
「この縁談はお父様が勝手に決めたことでしょう。私、貴女やアラン様が不憫で……」
「お気遣い痛み入ります」
「それでね、アラン様にも伝えたのだけれど、貴女やアラン様からお父様に言いにくいことがあれば、私が代わりに伝えてあげたいの……例えば――婚約をなしにしてほしいとか」
レンリは目を丸くしてミラを見つめた。
ミラは可哀想な者を見る目でレンリを見遣り、彼女の手を両手で掴んでギュッと握った。
「王位継承者だから仕方ないとはいえ、本来婚姻は望んでするものでしょう?」
これについてはホセも完全にミラに同意であった。
ミラと考えが合致する日が来るとはと驚いていると、ミラの口角が僅かに上がった。
「私、一応立場上は貴女の姉に当たるわけだし、婚約を代わってあげてもいいとも思っているの」
それでか、とホセは呆れた。
レンリの縁談の話が公になった時、ミラは自分のことについてはどうなっているのかアルデラに直談判したのだと噂を耳にした。
ミラはレンリが何でも与えられていると思い込んでいる節がある。
それに伴う責任などをまるっと無視した態度は呆れを通り越していっそ清々しいまであるが、望まぬものには与えられ望むものには与えられないとは、なんとも不条理なことである。
しかし、わざわざミラがこの話をレンリにすると言うことは、第二王子はミラのお眼鏡に適う色男らしい。
レンリの騎士である自分にも初対面で熱視線を浴びせたミラが、次はレンリの縁談相手に擦り寄るとは、どうやら人のものが欲しい性質の女性のようだなとホセは頭の片隅で考えた。
「私も、そのことについて殿下に確認しなければと思っていました」
「まぁ、そうなの?」
「この件はアルデラ様がストラトス国王陛下と取り付けたお話であり、もし、殿下が望まないものであれば、アルデラ様にその旨をお伝えしようと」
「私もそれがいいと思うわ」
ミラは同意を示しながら笑顔を見せた。
レンリも人形のように綺麗な笑みを返し、そこでミラとは別れる形となった。
歩みを再開しながらホセは少し前を歩くレンリを伺い見たが、人形のように動かない表情からは何の感情も読み取れなかった。
彼女がミラの言葉をどう受け取ったのか、今回の縁談をどうするつもりなのか、ホセには全く見当がつかない。
レンリはただアルデラの決めたことに従うだけだと言っていたが、それは即ちこの縁談を受け入れると言うことではないのだろうか。
ホセは顔を歪めた。
レンリの騎士になってから早一年。
アルデラ王のような感情のない人形に変わっていく彼女を、どうにか人のままでいさせてあげられないかと努めてきた。
しかし、レンリは僅かに人らしい感情を残しながらも、結局は操り人形のように動くことを厭わない。
ホセは自分の無力さを実感せずにはいられなかった。
前を歩いていたのにも関わらず、ホセのその表情の変化に気付いたのだろう。
裏庭のガゼボに到着した際、レンリは少し困ったようにホセを見上げた。
それに気付かないふりをしていればレンリも別段何かを言うことはなく、ホセは無表情を貫いた。
ここまで来たら四の五の言わずにただ相手が彼女に相応しい人物であるかどうかを見極めようと無理矢理に心を決めた。
美しい庭園の中に佇む、お伽噺に出てくるような白いガゼボ。
そして、そのガゼボ内のテーブルの上には既に軽食がセッティングされており、後は第二王子の到着を待つのみとなっている。
ふ、と人の気配を感じて視線を遣った。
遠くにアルデラの従者であるフィルの姿と、彼に連れられた人影が数名確認できた。
正装を身に纏った金髪の男性は、なるほどミラが好みそうな整った甘い顔立ちをしていた。
その傍らには彼の従者であろうか、精悍な顔つきの青年と、背後に騎士服を身に纏った二名の男性の姿が見えた。
「……レンリ様、いらっしゃったようです」
こそっと耳打ちすると、レンリはたちまち余所行きの美しい笑みを湛えた。
実の娘であるミラよりもよっぽどアルデラの娘らしいその表情の変化に、ホセは口を噤んだ。
歩み寄ってくる者達の前に立ち、レンリは美しくカーテシーをした。
ゆっくりとレンリが顔を上げた瞬間、対面する者達が惚けたような顔をするのが見えて、あ、これは落ちたなとホセは確信したのであった。