2. 帰郷 1
上へ上へと高く飛び続ける。
そうして雲の切れ間から覗いた空に浮かぶ大地を目にし、不安と安堵という相異なる感情を胸に抱いた。
レンリはぐるぐると渦巻くその感情に蓋をし、大地に降り立つと同時に竜化を解いた。
見知った緑豊かな大地は相変わらずそこにあり、遠くの方に夕日を受けてキラキラと輝く白亜の城が確認できた。
外套を頭から羽織り、祈るように城下町に入り込むと、先ず活気ある声が耳に入った。
そして、常と変わりなく動き回る民の姿に、最悪の事態には陥っていないことを知って僅かに緊張が緩んだ。
王城での出来事などまるで嘘であったのではないかと錯覚させられるほどに、そこには日常が溢れていた。
季節の花が咲き誇る美しい白い街並み、靴の音が絶えず鳴り響く石畳、歩行者にしきりに呼びかける露天商の人々。
自分が過ごしていた時と何一つ変わらない街の様子に、レンリは戸惑いを覚えた。
レンリが人の地で過ごしたのは約五ヶ月もの期間に及ぶ。
それだけの時間があれば王城での問題が解決したとしても何ら不思議ではない。
ただ、王位継承者である自分が放っておかれたのだけが疑問だが、それは現場がまだ混乱していることの表れなのだろうか。
ドクドクと嫌な音を立てる心臓を落ち着かせるようにゆっくりと歩きながら、レンリは中央に聳え立つ城を目指した。
王城も外から見る分には異常は見当たらなかった。
しかし、結界が発動したままなのであればその視覚的な情報は何も当てにはならない。
内部の異常を悟られないために、見える映像を固定化するのもまた結界の役割だからだ。
故に、実際近くまで行って確かめるまではまだまだ気が抜けなかった。
城門は閉ざされていた。
門の前には騎士が警戒するように立っていたため、レンリは静かに距離を詰めた。
「――申し訳ありません。今現在セレシェイラ城への出入りは、たとえ書状をお持ちだとしても、いかなる者も認められておりません。お引き取りを」
すぐさま騎士が前へ躍り出て追い返すための文言を述べたため、レンリは頭にかかる布を外した。
「現状を、教えていただけませんか?」
「レ、レンリ様!?」
目を丸くしながら膝を折って礼をしようとする騎士を制し、レンリは返答を促した。
「は、はい! ですが、私も詳しくは……」
困った様子で告げた騎士はチラチラとレンリの背後を気にする素振りを見せている。
レンリが振り返ると、先程の騎士の大声の所為か少しばかり注目を集めていることに気が付いた。
「……レンリ様、宜しければ騎舎の方へ。私達の隊長ならば、貴殿の求める答えを持っているかも知れません」
「ええ。そうします」
「取り敢えず、レンリ様のご無事が分かっただけでも、安心いたしました」
ホッと息を吐く騎士に、レンリは罪悪感が募るのを自覚した。
彼の様子から察するに、おそらく結界はあれからもずっと張られたままなのだろう。
自分が守られて人の世界で過ごしていた間に、きっと彼らに多くの不安や苦労を与えたに違いない。
目を伏せながら再度外套を頭から羽織ると、騎士がもう一人の門番に事情を説明に向かったようで、時折驚きの声が耳に届いた。
顔を上げて声の方を確認すると、胸に手を当てて小さく騎士の礼をされたため、レンリも目礼を返した。
「――レンリ様、こちらに」
騎士に連れられるままに歩くと、塀に囲まれたシンプルな造りの建物へと案内された。
王城勤めの騎士の訓練所や宿舎として使われているそこは、他の建物に比べて大きく堅牢な印象を受けた。
塀の中に足を踏み入れると、騎士以外の者が立ち入ることは滅多にないのであろう、中にいた騎士から興味深げな視線を受けた。
その不躾な視線に、案内をかって出てくれた騎士は慌てた様子で注意をしようとしてくれたが、レンリはそれを制した。
事情を知らないのであれば仕方の無いことであるし、今は何よりも状況を知りたかった。
騎舎の中に入ると、そのまま小さな応接室のようなところへと通された。
「申し訳ございません。あまり綺麗ではありませんが……」
「先触れもなく訪れたのは私の方です。お気になさらず」
「お茶もすぐに淹れてまいります。王城で使われていたものと同じ茶葉をご用意できるかはわかりませんが」
「どうか気を遣わないでください。私は騎士である貴方方に侍女の働きを要求するつもりはありません。それは本分ではないでしょう」
レンリが外套を脱いで席に座ると、騎士はほんの少しほっとしたような表情で息を吐いた。
「……そう言っていただけると助かります。い、いえできることに越したことはないのでしょうが」
「ホセも流石にそこまではしませんでしたよ」
ホセの名を出すと騎士の緊張も解けたようであった。
エジダイハ出身のレンリの騎士ですらしていないということを知って、存外気が休まったようである。
騎士はレンリから外套を受け取ると、胸に手を当てて騎士の礼をとった。
「隊長をお呼びいたしますので、今しばらくお待ちください」
部屋から立ち去る男の後姿を見送り、レンリは小さく息を吐きだした。
気分は酷く重たかった。
しかし、導くべき自分がそれを表に出すことは憚られた。
詳細を知り得ぬままに結界を張られ、情報を遮断された状態で五ヶ月近く経過した彼らの心情を考えると、自分が弱音を吐くことは正しいことではない。
今出来ることは、この国と彼らの現状を知り、自分の知り得ることと擦り合わせて解決の糸口を探ること、ただそれだけである。
レンリは表情を引き締めて背筋を伸ばした。
騎士達が安心できる王でいられるように。
そう時間を置かずしてノック音が聞こえたため、レンリは入室を許可する言葉を返した。
開かれた扉から壮年の男性が入り込んだかと思うと、彼はすぐさま膝を地に着けて頭を下げた。
「レンリ様、息災なお姿を拝見できて、胸に迫る思いです」
「貴方方に如何ほどの苦労をおかけしたのか計り知れません。どうか顔を上げてください」
何度か見たことのある顔であったため、彼が騎士の言っていた隊長だとレンリにはすぐに思い当たった。
名は確かオルフェと言っただろうか。
傷の残る顔には以前には見られなかった疲れが滲み出ているように思えた。
それでも、レンリの姿を見留めるとその目尻は柔らかく緩み、精悍な顔つきはそれだけで優しい印象を与えた。
オルフェが顔を上げてこちらに歩み寄ると、続けてその後ろから少し緊張した様子の女性騎士が部屋の中へと入り込んだ。
強張った顔をしていたが、それでもレンリと目が合うと綺麗な礼をして見せた。
「彼女はリーシェと言います。レンリ様がこちらに滞在される際の護衛等を任せるべくお呼び致しました」
「お初お目にかかります。リーシェと申します。ホセ殿には遠く及びませんが、このような大役を任されたこと大変光栄に思っております」
オルフェに促されるまま一歩前に出たリーシェは、切れ長の目を僅かに細めて胸に手を当てた。
年の頃はレンリの数個上ぐらいであろうか。
燃えるように赤い髪を高い位置で一つにまとめ上げている様子は凜としていて、彼女を実際よりも大人っぽく見せていた。
女性騎士をレンリに宛がってくれたのは彼なりの配慮だろうと察して、レンリは笑顔でリーシェを見遣った。
「よろしくお願いします」
挨拶を終えて早速オルフェに向き合うと、オルフェは真面目な顔をしながら一つ頷いた。
「話は伺っています。現状をお知りになりたいと。しかし、私でお力になれるかは……」
「構いません。私の知り得ることもお伝えして、最終的に知恵を借りることが出来ればと思っています」
「……そういうことでしたら」
オルフェがレンリの正面の席に腰を下ろすと、リーシェはレンリの斜め後ろへと控えた。
「私の持つ情報は、結界が張られた日以降変わっておりません。――私は城門周辺の警備の任を担っていましたので、その日もこの騎舎におりました。警笛が聞こえたため城門まで移動したところ、慌てた様子で城から走ってくる侍女達と遭遇いたしました。何があったのか尋ねると得体の知れない者が城にいるため逃げなさいと言われたと。しかし、彼女たち自身はそれを目にしていないために、酷く困惑しているようでした。結界が張られる前に中に入ろうかとも考えましたが、外に待機する者も必要かと思い私は隊の者も含めて結界外にいるよう指示を致しました。それがまさか、こんなに長期にわたるものになろうとは……」
悔恨に苛まれた表情で、オルフェは息を吐き出した。
「オルフェの判断は正しいものだと思います。貴方がここにいたからこそ、今もこうして騎士達の統率が取れているのではありませんか」
「そのようなことは……」
オルフェは目を伏せた。
彼一人に負担を強いてしまったことに、レンリは胸が締め付けられる思いだった。
「その後は、結界が解かれるのを待って今に至ります。私の持つ情報はたったのこれだけです」
「……結界発動後に外に出られた方からは、何も聞けていないのですか?」
「結界が張られて以降は誰も出ておりません。レンリ様が初めてです」
「そんなはずは……中には、アラン様もいらっしゃったはずです」
レンリは動揺して目を瞠ったが、オルフェはゆっくりと首を横に振った。
「アラン殿下も出られておりません。故に、ストラトスから何度か使者が参りましたが、私達にも答える術がなく、結界が発動されていることしかお伝えは出来ませんでした」
レンリは言葉を失った。
狼狽えていることを悟られぬように、レンリは目を伏せて膝の上で手を固く握り込んだ。
客人であるアランが出られていないというのは、全く以て予想外のことであった。
事態はレンリが想像する以上に深刻なことになっているのかも知れない。
そう考えると、背筋が冷たくなるようであった。
「レンリ様は、ご存じなかったのですか?」
「私は……ホセと行動していたため、アラン様の動向は分からず」
「なるほど、そうでしたか」
とても言えなかった。
ホセに逃がされて人間の世界で過ごしていたなどとは、言えそうになかった。
本意でないとは言え、記憶を失くすという失態の所為で長いこと彼らにいらぬ心労を与えてしまった。
レンリがすぐにこの国に戻ってきていれば、役に立つかどうかは別としても、彼らに何も知らないままその役割を従事させることはなかったであろう。
人の世界で過ごした日々を後悔はしていない。
しかし、タイミングが最悪だった。
レンリの心を占めるのは自己嫌悪のみであった。
「……私は、その得体の知れないモノの姿を見ています」
「真ですか」
「人の形を取っていましたが、黒くドロドロした形状の生き物でした。騎士達はそれらを倒そうと奮闘しましたが、寧ろ切れば切るほど分裂して増えてしまうような、そんな厄介なモノでした」
レンリは記憶を辿った。
思うことは色々とあるが、この国に戻ってきた本題を解決するためには、反省する時間すら惜しかった。
情報の共有のためにあの恐ろしい生き物を思い出すと、指先は僅かに震えた。
「アレは人を捕食し、捕食した者を摸倣する性質があるようです。犠牲者の中には、騎士であった者も含まれています」
「なんと……」
少ない言葉で王城に入り込んだ異物の異常性を理解したオルフェは目を見開いた。
「アレは本当に倒すことが出来ないものなのか。倒すことが出来ないのなら、せめて安全に全員が待避できる経路を確保したい。それが、ホセに逃がされて結界の外に出た私の願いです」
オルフェは難しい顔のままで目を伏せた。
「無論、協力させていただきたいと思っています。……しかし、私達には結界の中に入る術がありません」
苦々しい表情でオルフェは言葉を絞り出した。
それはレンリの予想するところであった。
一度結界が張られてしまえば、王の許可なしに出入りは不可能である。
外で待機する選択をした彼が、中にいるアルデラから許可を貰うことができるのであれば、とっくに連絡を取って王城の中に入り込んでいたことだろう。
それができないからこそ、彼はただ待つことしか出来なかったのだ。
「……二つ、方法があります」
「私達も結界の中に入ることが出来るのですか!?」
オルフェの声は期待するかのように上擦った。
レンリは一度考えるように目を伏せ、それから真っ直ぐにオルフェを見つめた。
「まだ、確証はありません。ですから、先ずは私を結界の傍まで連れて行ってくれませんか?」
レンリの申し出にオルフェは確かに頷いて見せた。




