1. 目醒め
お久しぶりの更新失礼します。
こちらのお話は前作「神聖国 ―竜の名を冠する者―」を読んでいなければよく分からないお話となりますので、今作だけを読んでいる方は飛ばしてくださって大丈夫です。
レンリは弾かれるように飛び起きた。
自分の荒い呼吸音だけが嫌に大きく聞こえ、息苦しいほどの動悸に思わず胸を押さえこんだ。
深い呼吸を数回繰り返し、夜にしてはやけに視界が明るいことに気付いて顔を上げると、そこが見慣れぬ部屋であったため一瞬動揺を覚えた。
しかし、徐々に記憶がはっきりしてくると、ここが数ヶ月もの間過ごしていた場所であることを思い出した。
酷い頭痛がした。
無理矢理こじ開けられるようにして暴かれたその情報の多さに、絶えず眩暈もしていた。
どうして、こんなにも大切なことを忘れてしまっていたのだろうか。
しかし、順を追って自分の身に起こった出来事を辿ってみれば、次に覚えたのは恐怖だった。
レンリは約四ヶ月半もの間、自分が竜であったことすらも忘れて、人間の世界で過ごしていたのだ。
状況から考えておそらくホセによって結界の外に出されたのだろうが、それでもこの間迎えや連絡の一つすらなかったということは、セレシェイラで起こった問題は今も尚何一つ解決していないということになる。
無事、なのだろうか。
考えれば考えるほど、血の気が引くようであった。
口の中は乾き、指先は震えた。
冷たくなった両手を握り込み、自分の額に押しつけた。
帰らなければ。
そう強く思った。
寝かされていたベッドから下りようとすると、足に上手く力が入らないことに気が付いた。
そんなに長い間眠っていたのだろうかと更に怖くなったが、震える足を無視するように立ち上がり、バルコニーの方へと歩を進めた。
力を入れて窓を開けると、一陣の風が吹き込んで髪を揺らした。
中枢館の三階のバルコニーからアスバルドの街を見渡し、そして、少しの違和感を覚えた。
街が妙に静まりかえっているような気がしたのだ。
レンリの人の世界での記憶は、貴族と話すために首都に向かうテイトに同行し、議会に参加したところで途絶えていた。
話し合いがどう決着したのか、彼らの戦いがどうなったのか、それについての情報は何もない。
ただ、アスバルドに戻っているということは話し合い自体は完結したのであろう。
人の気配が近くにないため、その真偽を確かめることも、記憶を取り戻したため帰国の旨を伝えることもできない。
別れの挨拶をすることも感謝を伝えることもせずに去るのは申し訳ない気もしたが、何故か竜のことを忘れている彼らに本当のことを告げることも憚られたため、内心では安堵の息を吐いた。
良くしてくれた彼らに薄情すぎるのではないかと気は咎められたが、それでも早く帰ってセレシェイラの様子を確認しなければいけないのもまた事実である。
自分を逃がした彼らの無事を確かめないことには、今胸に抱くこの不安は消えそうにないのだから。
レンリは意を決してその場で竜化した。
人である自分の姿が、黒い竜の姿へと変わっていく。
その不思議な感覚の後に、レンリは羽根を揺らして空高く飛び上がった。
遙か上空から、それでもテイト達のことが少しだけ気になって地を見下ろした。
人の往来が盛んだったアスバルド内は、今は数えるほどしか人がいないようである。
戦いが終結してそれぞれ故郷に帰ったのだろうかと考えたところで、正門近くに人集りを見つけた。
そして、正門を出たところには軍服のようなものを見に纏う集団が整列している。
何かあったのだろうかと見遣った先に、膝をつくテイトと、彼に向かって剣を振りかざす人影が見えた。
レンリのルバヌスが発動したのは間一髪のことであった。
自分のルバヌスの発動条件が見ることであったことに初めて感謝しながら、キョロキョロと周囲を見回すテイトの元へと下降した。
自分が竜の姿であったことに気付いたのは、目を丸くしてこちらを呆然と眺めるテイトと目が合った時だった。
人間は竜の存在をお伽噺のように考えていたことを思い出し、自分の不用意な行動を反省した。
それでも、真っ直ぐに前を見据えた。
『何をしているのですか』
テイトに剣を向けていた軍服の男性に問いかけると、男は慌てたように後退った。
「ぇ、あ、」
『何故、テイトに剣を向けていたのですか』
「僕の名前を知って……」
驚いたように、けれどどこか嬉しそうに呟くテイトの声が聞こえて、少しだけ悲しく思った。
普段から冷静なシンでさえも、敵か味方かを見定めるように遠巻きにこちらを観察するのみで、彼らは竜がレンリであるとは微塵も認識していないようであった。
「っ何を動揺しているのですか! あれは、敵の魔法です!」
対立する側の女性が声を張り上げて魔法を放ったが、テイトが庇うように前に立ってくれたため、自分のルバヌスが上手く発動して攻撃は消え去ったようである。
「っ竜神様になんてことをしているのですか!」
割り込むようにアニールが飛び出してきたかと思うと、彼はそのまま自分の前で跪いた。
「折角その尊き御姿を現わしてくださったというのに、数々の失礼な言動誠に申し訳ございません! ですが、全ての人間があのような者であるとは、どうか思わないでいただきたい!」
『知っています。ずっと、見てきましたから』
「り、竜神様っ」
竜のことを信仰している様子の彼すら、竜とレンリは別のものだと捉えているようであった。
「竜神様が魔法で創られたものなどとは笑止千万。できるものなら、今すぐに竜神様を創り出してみなさい、さぁ!」
アニールが言い募ると、周囲に困惑が満ちたのが分かった。
「貴方達も本当は分かっているのではありませんか。竜神様が味方する彼と、それに相対する貴方達。どちらが真に正しいかということを!」
混乱を逆手に取り、更に畳み掛けるようにアニールが言葉を発すると、相手側が揉め出したのが見えた。
レンリ自身も戸惑った。
自分が竜であることは判然たる事実だが、竜だからと言って全てが正しいとは限らない。
竜を全肯定するアニールの思想はとても危ういものだと思った。
「竜が何だと言うのですか!」
女性は声を荒げて憎々しげにこちらを睨んだ。
「誤解を解かせてください!」
張り合うようにテイトが声を上げた。
そしてテイトの語る言葉を聞いて、彼らが誰かの陰謀によって思い違いをして対立していたことを理解した。
テイトは騙されて陥れられようとしても尚、彼らの手を取ってお互いに理解して歩きたいのだと語っている。
難しい道だ。
考えの違う全ての者が、それぞれの折衷案を探すために話し合うことはとてつもなく途方のないこと。
一方がそう望むだけでは決して叶わないこと。
それでも、その道を選ぼうとするテイトに確かに畏敬の念を抱いた。
「違う、違う違う違うっ」
女性は首をかきむしりながら悲痛な声で叫んだ。
それは、癇癪を起こす子供のように見えた。
「私は、公爵家を守ろうと、ずっとっ」
不意に、憎々しげな瞳から一転して縋るように見つめられた。
「竜、本当に……」
その瞳に、先程まで激情していた面影はない。
ただ夢を見る少女のような純粋な眼差しでこちらを一心に見つめている。
「ルカに教えてあげないと。一緒に竜を探すって、約束だから」
泣きながら笑う女性は、酷くアンバランスに思えた。
真っ直ぐに助けを乞うような視線を受けては、逸らすのもなんだか悪い気がして見つめ返した。
その間に、話し合いは一旦の収束を得たようであった。
軍服の者達はこちらを気にしながらも、泣き続ける女性を連れて去って行く。
彼らの掲げる旗に竜が描かれているのを見て、何故か切なさを覚えた。
「あの、ありがとうございました」
『私は何も。全て、貴方達の行いの結果です』
恐る恐るといった様子でテイトに見上げられ、その離れた距離感にまた胸が痛んだ。
そう感じてしまうのは、ここで過ごした時間が長かった所為だろうか。
このような感情は王には不要だと切り捨ててきたはずなのに、そう意思を固めたはずなのに、目の前で力を失ったように座り込むテイトに驚いて、思わず手を差し伸べてしまった。
テイトは驚いた様子ながらも、その手を取ってくれた。
その目は僅かに潤んでいる。
「あ、ありがとうございます。本当に、」
『こちらこそ、ありがとう』
テイトが自分を認識していないとは言え、お礼を言えたことに肩の荷が下りた気がした。
きっと彼とはもう会うこともないのだろう。
さようならと心の中だけで呟いて、ズキズキと痛む胸の痛みには気付かないふりをして、翼を羽ばたかせて空高く飛び上がった。




