【 星の行方 7】
扉越しに外の音を聞いていたホセは、ベチャベチャとした足音が通り過ぎて遠離っていくのを確認した。
どうやら特殊な察知機能はなさそうだと、一先ず安堵の息を吐いて部屋の中に視線を戻した。
「取り敢えずは大丈夫そうです。念のため、もう少し様子を見てから陛下の元へ向かいましょうか」
「良かったぁ」
ロクスはいつも怯えたような瞳でこちらを見ていたくせに、こういうときだけは自分を頼りにしてくれているらしい。
妙に熱の籠もった視線を向けられて少しだけ居心地が悪い。
顔背けそのままレンリに視線を向けると、おそらく侍女や騎士のことを気にしているのだろう、その表情はあれから浮かないままで今も目を伏せている。
彼女の憂いを晴らしてあげたいが、声をかけたところでやせ我慢して大丈夫と言うことは分かっていた。
もう少し慎重に機を窺おうと視線を逸らし、それから、アランを見遣った。
ホセはアランを見てもう一度目を細めた。
今までこちらに向いていたはずの嫉妬の感情が抜け落ちたかのように殆ど読み取れなくなっている。
緊急事態だからそれどころではないのか、いや、それにしてもこれほどまでにあからさまになるものだろうか。
ホセは座っているアランの元に近寄り、傍に膝をついた。
アランは驚いたように目を丸くしたが、やはりそこに自分への嫌悪感は見当たらなかった。
「殿下、何かありましたか?」
「何か、とは?」
アランは困ったように眉尻を下げている。
本当に思い当たることがないのか、それとも隠しているのか。
然程彼と交流がないホセには判断が付かなかった。
「いえ、余計なことを申しました」
ホセは頭を下げながら考えた。
アランから無くなっているのは自分に対する負の感情だ。
負の感情と聞いて真っ先に思いつくのはミラのことだった。
「因みに、ミラ姫殿下は今日もそちらへご迷惑をおかけに行ったのでしょうか?」
「っ何故、そのようなことを?」
「ミラ姫殿下は特殊なルバヌスを有しているので、殿下に悪影響を及ぼしていないか気になっただけです」
「少し、話をしただけで……特には何も」
「そうですか」
アランは目に見えて動揺していた。
しかし、それを悟られないようにか自然な動作で目を逸らされてしまい、ホセは内心で顔を顰めた。
何かあったと言っているようなものだが、いまいち腑に落ちなかった。
ホセが聞いたミラの能力は、負の感情の増幅だ。
これまでのアランの様子であればそれが当てはまっているように考えられたが、今の彼の様子からはその関連性が説明できない。
「――レンリ様は、ミラ姫殿下のルバヌスの仔細をご存じですか?」
「え?」
突然話を振られたレンリは不思議そうに目を瞬いた。
それから、それが今話すべき内容なのかを考えるように手元に視線を落としたため、ホセは困らせているのを自覚しながらも辛抱強く視線を送った。
それは、あの化け物と対峙した時にミラにかけられた言葉がずっと胸の奥に引っかかっているからに他ならない。
「今、どうしても必要な情報なのです」
駄目押しで再度頼み込むと、ゆっくりと顔を上げたレンリと視線がかち合った。
「ミラ様は、他者の負の感情を増幅させることができると聞きました」
「それだけですか?」
「……私は見たことがないのですが、増幅させた分を具現化できると」
具現化と聞いてアランの顔が青ざめた気がするが、ホセは顎に手を遣って考え込んだ。
「具現化するとどうなるのですか?」
「私もアルデラ様に聞いたのみですので、それ以上は分かりかねます」
それを聞いて、アランから負の感情が無くなった理由を考えてみた。
ミラは増幅させた分をこのタイミングで具現化して取り出したのだろうか。
しかし、何のために。
考えたところで、レンリもこれ以上は知らないとなると埒があかないなとホセは腰を上げて立ち上がった。
「まぁ、休憩はこれぐらいにして――」
突然、ピィーーーーっと王城内全体に警笛が鳴り響いた。
アランとロクスは何事かと慌てたように立ち上がったが、ホセとレンリだけはこの音が何を意味するのか分かっていた。
「随分と早い。捕食した者を真似るのは真だったということか」
ホセの呟きを聞いて、レンリが瞳を揺らした。
ホセはアルデラの早い決断に内心焦りが募っていくのを感じた。
アランが動揺したような視線でホセを見つめた。
「……今のは、もしかして?」
「御察しの通り、十五分後に王城に結界が張られる合図です。今後、王の許可が無い限りは何人たりとも結界内外への出入りが不可能となります」
ホセの説明にアランもロクスも眉を顰めた。
各国にも緊急事態時に結界発動に似たシステムはあるだろうが、このように事前連絡があるのは珍しい方だ。
「あの化け物を外に出さないため、ですか? でも、倒す方法が無いだけで動きは鈍いからそこまで脅威では無いと聞きましたが」
「その前提が覆ったのでしょう」
取り込んだ騎士の動きを真似するとすれば、一般の者では太刀打ち不可能となるし、騎士にとっても倒す見込みがない以上それは絶望を運ぶものでしか無い。
ここはもう、安全では無い。
「どういう意味ですか?」
「アレは捕食した者の動きを摸倣するようです。相手はもう鈍間な何かでは無く、こちらに敵意のある不死の騎士だとでも思ってください」
そう伝えると、明らかに二人の顔が強張った。
ホセは徐にレンリに視線を移した。
出来れば彼女だけでもこの危険の巣窟となった王城から出してあげたいが、結界が張られてしまえばそれはもう叶わない。
次期国王であるレンリにここを離れる選択肢など与えられるはずがないからだ。
しかし、次期国王と言ってもレンリはただの十六歳の少女だ。
即位までは民の一人と変わらないと謳いながら、その細い肩にのしかかる責任はとても重たい。
ホセはただただ彼女の幸せを祈っているのだ。
自分の感情を押し殺すことなく、笑いたい時に笑って泣きたい時に泣いてほしい。
それはここでは絶対に実現できないことだ。
彼女のルバヌスが危険から目を背けることを許さないように、彼女は不自由に縛り付けられている。
「……殿下、結界が張られる前にレンリ様を連れて外へと逃げていただけませんか?」
ホセが小さく発した言葉に、三人とも息を呑んだのが分かった。
本当は、王族などそんな面倒なこととは無縁のところで生きて欲しいが、それも難しいというのならせめて、彼女を傷付けることがない人が傍にいてくれればそれでいい。
「ホセ、何を、」
「結界が張られたとして、殿下とロクス殿については今はまだ客人ですから、外に出る許可は簡単に与えられるでしょう。しかし、レンリ様にはきっとそれが与えられません」
「国の有事なのですから、それは当然のことです」
「いいえ、レンリ様。当然のことではありません」
ホセはレンリを諭すように跪いて視線を合わした。
物心ついた時から王になるための教育を受けてきたレンリには少しも響かないかも知れないが、それでも知ってほしかった。
「貴女は普通の女の子です。見たくないものから目を背けても、恐ろしいことを忘れたとしても誰も貴女を責める権利はない。それで貴女の心を守れるのであれば、それに勝ることはありません」
レンリは困ったように唇をきゅっと引き結んでいる。
それをいいことにホセは更に続けた。
「貴女の幸せが、私の幸せです。どうか、逃げてください」
この混乱に乗じて逃げてほしい。
恐ろしい化け物からも、縛り付けようとする不自由な鎖からも。
それは、ホセが彼女の騎士になった時からずっと願っていたことだった。




