【星の行方 5】
ホセに抱えられながら、レンリは呆然としていた。
嫌な予感がするからと散歩に行くなどと言わなければ、あの黒い塊から一瞬でも目を離さなければ、彼が命を落とすことはなかったのに。
どこで間違えたのか。
どうすればよかったのか。
次から次へと後悔が押し寄せた。
様子を見に行くと言って離れたエマがどうなったのかも分からない。
今のところ合流はできていないが、あれの口の中から出てきた指のことを考えると、他にも犠牲になった者がいるのは確実なのであろう。
今はただそれが彼女ではないことを祈るのみである。
気付けば周囲は混乱に満ちていた。
見たこともない奇妙な生き物と対峙して、騎士達もその対処に困り果てているようであった。
すれ違った騎士とホセが情報を交換し合っているのを聞きながら、レンリは少しずつ落ち着きを取り戻した。
騎士は初めレンリが抱えられているのを見た際ぎょっとした様子で、もしかしてどこかお怪我をと焦っていたが、この方が守りやすいのでというホセのデタラメな弁を信じたようである。
「――アレの特性が分かるまでに複数の犠牲者が出ましたが、攻撃したら分裂して増えることは既に通達済みで、それ以降被害は縮小傾向のようです。ただ、現時点でのはっきりとした被害状況やアレが何体彷徨いているかも未だ把握できずで」
「俺も何体か切っちゃったからなぁ」
「私もです。幸か不幸か、アレの目撃情報は王城内部のみで、街では確認されていないとか」
「どちらかと言えばいい情報だな。因みに捕獲とかってできたの?」
「捕獲用の檻を用いてもあの泥々の性質の所為か容易に抜け出してしまうみたいで……」
「捕まえるにももう少し頭を使わないといけないってことね。――アルデラ陛下はなんて?」
「今は団長に対応を一任しているのみで、まだ何も」
自分に話す時よりも大分砕けた話し方で会話を進めるホセと騎士は、死者が出ているにも関わらず冷静な様子だった。
普段から野獣を相手にしている彼らにとって、死はそれだけ近しいものなのだと理解して少しだけ胸が苦しくなった。
意図せず首に回す手に力が入ったのだろう、ホセが優しげな視線をレンリに向けた。
「どうされましたか?」
「……もう大丈夫です。下ろしてください」
「この方が私は守りやすいのですが」
レンリが気にしないようにか、ホセはからかうように笑いながらも壊れ物を扱うような丁寧な手つきでレンリを下ろした。
レンリがきちんと立つのを確認し終えるまで背には支えるように手がまわされ、レンリが感謝を述べるとその手はゆっくりと離れていった。
「為す術がないとすれば、アルデラ様なら結界を張る決断をなさるはずです」
先程の会話を補うように口を挟むと、二人の表情は厳しいものに変わった。
「今の話が真実であれば、得体の知れないものを万が一にも外に解き放つわけにはいきませんから」
結界を張ってしまえば、国王の許可なしでは内側から外に出ることも外側から内に入り込むことも不可能となる。
本来であれば外からの襲撃を想定した役目のものではあるが、事情が事情故に発動はやむを得ないであろう。
内側にいる自分達の危険は増すこととなるが、外に住む国民の安全は確保されるのだから。
「確かに、外に出して悪戯に奴らを増やされても困りますし、それが一番でしょうね」
「ですが、私達は、」
「俺たちの安全は国民の次だろう。陛下が俺達をどうするつもりかは分からないけど、兎に角今は懸命に対応策を考えようか。幸い動きは鈍いから、いくらでもやりようはあるだろう」
不安げな騎士とは異なり、ホセは楽観的に答えた。
ホセの言う通り対象の動きが鈍い分、戦い慣れた騎士達にとっては苦労する相手ではない。
しかし、今のところどんな攻撃を持ってしても倒す手段がないため、不気味な相手であることは変わりない。
その時、また水音がした。
ホセ達が顔を真剣なものにと変えて剣を構えた。
「……ここはお任せください。ホセさんはレンリ様を安全なところに」
「助かるよ。ところで安全なところって? 部屋の中にでも籠もればいい?」
「……部屋の中も形状を変えて隙間から侵入してくると聞きました」
「なるほどね、いい情報をどうもありがとう」
ホセは肩を竦めた。
その間にも水音はゆっくりと近付いてくる。
「゛オ゛チ゛ャ゛ヲヲヲヲ」
黒い塊が声を発した。
言葉と言うには不明瞭で、まるで水の中で懸命に声を出しているような雑音混じりの音だった。
「アレって喋れたのか?」
「そういう報告は、まだ受けていませんが……」
「゛レ゛ェェエエ゛ンンン゛リ゛ィィイイイザァ゛マ゛ァアアア」
その高い声には聞き覚えがあった。
記憶を辿ってそれを思い出した時に、レンリは身体から急激に体温が奪われていくような感覚を覚えた。
「……あれは、途中ではぐれてしまった、私の侍女の声です」
それを聞いた二人の顔は一瞬にして驚愕と焦りに染まった。
何か恐ろしいものを見るかのように黒い塊に目を遣り、視線を逸らさぬままにホセが口を開いた。
「捕食した者の真似をしているのか、それとも取り込まれた者は意識があるのか? どう思う?」
「どうと言われましても……」
ホセがチラリと騎士に視線を送ると、恐る恐るといった様子で騎士は黒い塊に近付いていく。
レンリが止めようと身体を動かすと、ホセの手がやんわりとそれを制した。
「確かめるだけです。お気になさらず」
「確かめるって……」
甲高い声を上げる黒い塊は、ゆっくりと近付いてきた騎士を襲うように黒い手を伸ばした。
しかし、それは騎士に届く前にジュッと蒸発し黒い塊はエマと同じ声で苦しげな叫び声を上げた。
それはレンリのルバヌスが発動した証だったが、その痛ましげな声を聞いているとレンリは自分がいけないことをしてしまった気分になり、思わず耳を塞ぎたくなった。
騎士は剣を構えて警戒しながらこちらへと戻ってきた。
「本人の意思はなさそうですね、捕食した対象を真似ているのが有力かも知れません」
「となると、少し厄介だね。もし、動きとかまで真似できたりしたら……」
ホセの言わんとすることは分かった。
レンリの護衛をしてくれていた騎士を先程あの化け物の群れの中に置いてきたばかりだ。
彼が捕食されたとして、もしその動きを真似できるのであれば、きっと状況は一気に不利になる。
「取り敢えず、私は団長にこのことを報告しに行きます」
「それがいい。こっちは陛下の考えを伺いに行こう」
騎士は礼をすると黒い塊を避けるかのような動きで去って行く。
それを見送って、ホセもレンリを見遣った。
「私達も取り敢えずアレから離れましょう」
「……ええ」
「また抱き上げましょうか?」
ホセは明るくそう言ってくれるが、レンリにはそれに付き合うだけの余裕がなかった。
無言で首を横に振ると、ホセはレンリの手首を優しく掴んで引っ張った。
後ろからは侍女の苦しげな呻き声がずっと聞こえてきていた。




