【耳飾り 9】
暗い部屋で一人になって目を閉じた途端に昼間見た野獣の恐ろしい形相が思い出された。
レンリは思わず寝台の上で上体を起こし、震える身体を抱き締めるように膝を抱えた。
ホセにその話を出された時もつい思い出してしまい、顔には出さないように細心の注意を払って話を続けたつもりだったが、それでも指先が震えてしまった。
聡いホセはそのことに気付いたのだろう、咄嗟に話題を変えてくれたことは本当に有難かったが、今思えば気付かれたならその恐怖をどう乗り越えたのか聞いとけば良かったと自嘲した。
アルデラから他人に弱みを見せないように努めなさいと言われて育ったレンリは、所謂負の感情を隠すのが当たり前のこととなっていた。
王は弱みを見せてはいけない、というのがセレシェイラでの教えだったため、レンリもそれを疑問に思わずに享受してきた。
しかし、ホセに気付かれる程度であるならば自分はまだまだ感情のコントロールが下手だということ。
即位まで二年を切った今、レンリは少し焦りを覚えた。
立派な王になれるのだろうか、という漠然とした不安は物心ついた時からずっと付きまとっている。
負の感情が連鎖していることに気付いて、今日は眠れそうにないと覚悟した。
広い部屋で一人蹲ると、普段隠しているはずの恐怖や不安が際限なく募り、レンリはそれらを全て押し込むように抱き締める腕に力を入れた。
不意にコンコンと控えめなノック音が耳に届いた。
突然のことで口を噤んだまま扉の方に目を遣ると、扉は再度小さく叩かれた。
夜も更けた時間で、周囲は静けさに包まれている。
こんな時間に誰が尋ねてきたのだろうと訝しむと同時に、ノックの音の大きさからしてもしレンリが寝ていた場合は起こさないようにとの力加減がされている気もした。
「――レンリ様、起きていらっしゃいますか?」
次いで聞こえてきたのは、エマの声だった。
その声はやはり小さく、こちらへの配慮が見て取れる。
レンリは聞き知った声にホッと息を吐いた。
「はい。何かありましたか?」
「眠れるようにとハーブティーをお持ちしました」
扉越しに伝えられた言葉にレンリは目を丸くした。
まるで、今の自分の状況が筒抜けだったみたいだと感じ、返事に一拍遅れてしまった。
「、ありがとう、頂きます」
「失礼いたします」
エマが入室し、ほんの少し明るくなった部屋でテキパキと準備を始める。
レンリが寝台から下りてそのテーブルへと近付くと、すかさずもう一人の侍女が傍に寄り肩にショールを掛けてくれた。
少しだけ呆然とした心地で席に着き、レンリはエマを見上げた。
「何故、起きていると分かったのですか?」
「ホセ様がそのように仰って」
「ホセが?」
「野獣を初めて見た日は自分も恐ろしくて眠れなかったから、レンリ様もそうではないかと気にかけていらっしゃいました」
実は今も扉の外に控えていますわとエマはクスクスと笑った。
「流石にこんな夜中に女性の部屋に入るわけにもいきませんから、と私達にレンリ様のことを託されたのです」
「……そう」
やはり気付かれていたのだと、レンリは自分の至らなさを実感した。
「私達はそのことに露程も気付かず……申し訳ございません」
「いいえ。あの時はアラン様も近くにいてくださったから、二人が思うほど恐怖はしていないの」
アランの名を出すと、侍女達の声に喜色が混じったのが分かった。
「殿下と言えば……その耳飾りなのですが、」
エマはハーブティーをレンリの前に置くとそわそわとした様子でレンリの顔を見つめた。
「こちらの侍女の方に聞きました。耳飾りを片方だけ渡すのは、愛する者に贈る証だと!」
「私も聞きました! とても素敵な文化ですから、セレシェイラでもこれを機に耳飾りを贈る殿方が増えそうですよね」
侍女達は声を潜めながらも興奮を隠しきれない様子で、ほんのりと頬を赤らめている。
以前も自分とホセのことを面白く噂話をしていたようだし、彼女たちはそういう話題に人一倍敏感なようである。
おしゃべりが過ぎるだけで仕事はできるし、噂の対象もアランに変わったから特に注意の必要はないだろう、とレンリは静かにハーブティーに口を付けた。
不思議と心が落ち着いていくような気がした。
「殿下からどのように渡されたのですか? 差し支えなければお聞かせください」
ワクワクとした様子で尋ねられ、レンリは苦笑してしまった。
どう答えてもきっと好きなように解釈するのだろう。
「ちょっと、そういうのはきっとお二人で大切にしておきたいはずよ」
「確かにそうね。レンリ様出過ぎたことを尋ねてしまい申し訳ございません」
レンリがまだ何も口にしていないというのに、話は完結したようである。
それでも、侍女はうっとりとした様子でレンリの耳飾りを見つめている。
「でも、本当に綺麗。レンリ様の瞳と同じ色だわ」
「帰国した後にレンリ様のことを思い出しながら選ばれたのかしら」
「まぁ! きっとそうに違いないわ」
侍女達は盛り上がって、それでも時間を考えてか小声できゃーと黄色い声を上げている。
しかし、レンリがすぐ傍にいることを思い出したのか、慌てた様子でぱっと姿勢を正した。
その切り替えの早さに、レンリは小さく微笑んだ。
彼女たちのこういった感情的なところは、自分には許されないものではあるけれど、レンリは好感を抱いていた。
「相談が、あるのだけれど」
「はい、なんでしょうか?」
「アラン様に素敵な物を頂いたからお礼がしたいのだけれど、どういうものがいいかしら?」
そう尋ねれば、侍女達は目を輝かせて色々と提案してくれる。
自分が眠れないからと彼女達を巻き込むことには罪悪感を覚えるけれど、今この時に話し相手がいることはレンリにとっては救いだった。
それに、お返しに悩んでいることもまた事実なのだ。
アランは愛おしげに自分を見てくれるが、自分にはその感情が分からず今はまだ同じものを返せない。
せめて、なにか贈り物で感謝を伝えたいと考えたのは本当のことだった。
優しい人だ。
自分もいつか同じ気持ちを向けることができるだろうか。
誰かが傍にいてくれても、やはり奥に巣食う不安は消えそうにない。




