【耳飾り 6】
レンリにとって町人に紛れて城下を歩くことは勿論初めての経験であり、それは驚きと困惑の連続であった。
始めに辿り着いた大通りは人の数が一際多く、自分の行きたい方向に思うように歩いて進むことができない。
今まで過ごしていた王城はこのように人で溢れかえることはないし、レンリの立場上道を空けてくれる者も多いため、先ずはその歩行の困難さに驚いた。
しかし、街の人はその状況を少しも意に介さず上手に移動して目的の場所に向かっているようで、それにもまたレンリは目を丸くした。
アランに手を引かれながら道の脇に移動した時、大通りの賑わいの訳を知った。
道に沿うように露店が数多く開かれ、店員が興味を引くための謳い文句を多用してしきりに手招きしている。
露天に置かれている工芸品は店によって置いている物や価格が多少異なるようで、客となる人物が商品を見比べ迷っているのを見留めれば、おまけで安くしてあげるよとすかさず声をかけている。
そこに彼らの商魂逞しさが透けて見えるようであった。
人波を縫うように移動すると、次は食べ物の匂いが鼻を掠めた。
スパイシーな香りから甘ったるい香りまで、まるで合うはずのない匂いが混ざり合っているというのに、それでもどんな物が売っているのだろうかと興味が引かれた。
中には歩きながら食べている人もいたため、王城では先ず見かけることのないその光景にもまた驚いた。
忙しくなく道行く者達の姿や持ち歩きしやすい形状の食べ物を見ていれば、きっと食事の時間を少しでも短縮する必要があるのだろうと推察させた。
こうして街の様子や人の様子を見るだけで確かに驚きや発見があって、アランが楽しいと表す感情と同じかは分からないが、レンリも間違いなく浮かれているような気がした。
「大丈夫ですか?」
アランが心配そうに振り向いた。
その声は喧噪の中にありながらもはっきりと聞こえたため、レンリは笑顔を返した。
慣れない道を歩くのは確かに疲れるが、休憩が必要なほどではない。
「もう少ししたら、人の数も落ち着くと思うのですか……」
途中でアランがレンリよりも更に後方を見てすっと目を細めた。
顔を強張らせながらもその口角は楽しげに上がっている。
「……思ってたより、早く来たみたいです。――こっちに」
手を引っ張られて路地裏へと入り込んだ。
大通りの華やかさとは対照的に、どこか暗く人影もまばらなそこに足を進めることは戸惑われたが、アランはずんずん進むとレンリと共に物陰に身体を潜めた。
「……アラン様?」
「騎士達がもう街に下りてきたみたいです」
レンリはそっと物陰から大通りの方へと目を向けた。
今のところ止まることなく歩き続ける人の姿しか見えないが、多少ざわついているだろうか。
人と人の隙間に僅かにストラトスの騎士の証である紺色の騎士服が見えたような気もするが、確信はなかった。
「やっぱり、心配させてしまったのでは?」
まだ街に出て三十分程だが城下ならではの雰囲気は堪能できたし、戻った方がいいのではないかと暗に伝えてみると、アランは眉尻を下げた。
「そうかも知れませんが、もう少しだけ私と街を歩いてくれませんか」
見つかったら終わりにしますから、と子供のような誘い方にレンリは思わず口を押さえて笑った。
それを了承と捉えたのか、アランはレンリと繋いでいる手に力を込めた。
先程よりも周囲を警戒しながら進む様子は、やはり悪いことをしたから怒られないように逃げる子供のようで、自分の事ながらも可笑しく思えた。
逃げ隠れするような散策は、必死になっている騎士達に罪悪感を覚えながらもどこか楽しかった。
思いがけず近くに騎士の姿を見つけた時はどちらともなく息を潜めてしまい、それに気付いた時には思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
アランのルバヌスは逃げることに対して非常に有効で、通常であれば通り抜けできないところにも道を作ってしまうため、騎士達から身を隠すことはそう難しくはなかった。
また、子供のように周囲の目を気にせず走ったりするのは、恥ずかしくも高揚するようであった。
息を切らしながら走り抜けた先には大きな噴水があった。
息を整えながらアランがその縁にハンカチを敷いたので、レンリはそれに従って座った。
アランもその横に腰を下ろし、こんなにも必死に逃げていることが可笑しくてまたどちらからともなく笑った。
「疲れていませんか?」
「少しだけ」
素直に答えると、アランは申し訳なさそうな顔をした。
「連れ回してすみません」
「いいえ、楽しかったです」
アランはそれを聞くと安心したように微笑んだ。
「見つからなかったのでこっちの勝ちですが、休憩したら戻りましょう」
何を競っていたのか。
アランの物言いが面白くて笑うと、アランは優しい瞳に緊張を滲ませてレンリを見つめた。
「戻る前に、お渡ししたい物があります」
アランは徐に自身のズボンのポケットに手を入れた。
出てきたのはベルベット生地で装飾された小さな箱でレンリは小首を傾げた。
「ストラトスには、大切な人と一つの物を共有するという伝統があります」
アランは箱を開けた。
そこには、碧色と紫色、丁度レンリとアランの瞳のような色合いを持つ宝石が飾られたシンプルながら美しい耳飾りが納まっていた。
「それが元となり、恋人とは耳飾りを分け合うという風習があるのです。他国で言う、婚約指輪のような物です」
少し紅に染まった顔で説明される話を聞きながら、そういえばストラトスの両陛下が同じデザインの耳飾りをそれぞれ片耳に身につけていたことを思い出した。
皇太子夫妻もそうであったが、そういうことだったのかとレンリは今更ながらに納得した。
今思えば、そのどちらも女性が身につけるにはシンプルで、男性が身につけるには華やかなデザインだったかもしれない。
「私が石を選びました。どうか、貴女に受け取ってもらいたい」
真っ赤な顔で、それでも真っ直ぐにアランはレンリを見つめた。
そして、彼が城下に連れ出したかった最大の理由はこれだったのだと察した。
そういう伝統がある国ならば、照れやすい彼が衆目の前で贈り物を渡すことは憚られたのかも知れない。
「はい」
微笑みながら肯定を返すとアランは嬉しそうに頬を緩め、二つある耳飾りの内の一つを自分の左耳に付けた。
「私が、つけてもいいですか?」
レンリは記憶を辿った。
陛下の左耳と皇后陛下の右耳に耳飾りがあったはずだとその姿を思い浮かべた。
アランが今左耳に身につけたとなれば、女性が右耳に身につけるのが正式なものなのだろう。
レンリは右耳に髪をかけて、付けやすいように横を向いた。
「お願いします」
自分よりも幾分か固い指がそっと耳たぶに触れ、その壊れ物を触るかのような優しさにくすぐったさを覚えた。
少しすると手が離れた気配を感じたので、レンリは噴水の水面を覗き込んでみた。
自分の右耳を彩る宝石は、水鏡を通しても美しく煌めいた。
「レンリ、殿」
小さく名を呼ばれ、レンリはアランへと視線を戻した。
頬を染め、瞳に熱を宿したアランの左耳には、レンリの右耳にあるものと同じものが飾ってある。
その顔が徐々に近付いてきたため、レンリは求められていることを察して目を閉じた。
肩に触れる程度に手が添えられ、段々と息遣いが近付いてくる。
不意に柔らかくて熱い感触が頬を掠め、そしてすぐにそれは離れていった。
近くに感じた気配も同様に遠離り、レンリがゆっくりと目を開けると真っ赤に染まった顔を僅かに片腕で隠すアランの姿が見えた。
レンリの視線に気付くと気まずそうに顔は背けられたが、それでも赤い耳ははっきりと見えた。
「すみません、格好がつかなくて……」
「いいえ。素敵な贈り物をありがとうございます。嬉しいです」
レンリが微笑むと、アランも漸く顔に笑みを浮かべた。
「喜んでくださったなら、良かった。――そろそろ、戻りましょうか」
先に立ち上がったアランから手を差し伸べられた。
その頬はまだ仄かに赤いが、先程に比べれば十分にいつも通りだ。
レンリは応えるようにその手に手を伸ばした。




