8 グロリア先生の異世界解説2
ぼくたちは、広場から伸びる大通りのカフェに入った。
よく晴れた空の下、ぼくたちはテラス席に腰掛ける。
「冬休みもうすぐだし、課題さっさと終わらせて、1ヶ月まるまるここで過ごそうかなって」ぼくはメニューを開いた。
グロリアはタバコを吸いながら小首を傾げた。ぷかーっと、口の端から煙が漏れていた。「良いんじゃない? ただ、身を守る術は学ばないとね。身体強化とか、武器とか」
「身体強化は出来る。それをやりながらの護身術も授業でやってるし」
「この世界にいるのは、純魔ばかりで……、みんな魔法の扱いに慣れてる」グロリアは人差し指を立てて、ウェイトレスを呼んだ。
ぼくたちは、とりあえず、ニホニアン・ユニコーンを注文した。先日、ティムさんのいるサルーンで飲んだホワイトビールだ。
「良いところだよね……、この世界」グロリアは言った。「改めて思うわ」彼女は、メニューを取り、おすすめだと言う料理をいくつか教えてくれた。
注文から1分も経たずに、ビールが運ばれてきた。
グロリアは、おすすめの料理を全部注文すると、グラスを持ち上げた。「かんぱーいっ!」
「乾杯っ!」ぼくは、グロリアのグラスに自分のグラスを当てた。
グロリアは、一息でグラスを空にした。「足りないね」彼女はゲップをして、笑った。「ソラもさ、一応見た目は可愛い女の子なわけだから、身を守れないとダメ」
ぼくは、ゲップをしながら眉をひそめた。「なんて言った?」
「身を守れないとダメ?」
「その前」
「女の子?」
「もうちょい」
「一応?」
「行き過ぎ」
「可愛い」
「ありがと。続けて」ぼくはビールを啜った。
グロリアは笑った。「ほんと自分のこと好きね」
「自分くらいは自分を愛してやらないと」
グロリアはほくそ笑むと、頷いた。「だから、あんたには身を守る術を学んで欲しいの。まず第一に、危機を見分ける目、次に逃げ足、最後に護身術」グロリアは、タバコの煙を吐いた。「危機を見分ける目。胡散臭さを感じたら距離を置くこと。距離感のおかしい奴からはすぐに離れること」
「キモい奴には近づくなってことでしょ?」
「そう。次に、逃げ足だけど、あんたは、生命の魔素の持ち主だから、全身に魔力を流して、筋肉とかを活性化させれば、結構な速さで逃げられる。あとは、生命の魔法の応用で、火を自分の生命の源に流すイメージ。火の魔力を、血や細胞、骨の髄、体の隅々まで流し込むイメージで、自分の体を構成するあらゆる素粒子と素粒子の間にある隙間を意識して、その隙間に、火の魔力を流し込むイメージをする。火になるわけだから、自分の体を個体でも液体でもなくて、気体だと考えること。そして、自然と同化しているときは、常に理性を保ち、冷静でいること。パニックになったら、あんたの体が空中分解することになる」
「そうなんだ怖いね」ぼくは、右手を火に変えた。
グロリアは目を見開き、小さく笑った。「出来たの?」
ぼくは頷いた。「出来るよ。体育の時間とかじゃ出来ないフリするけど、ぼく、結構なんでも出来るんだよ」
「なんでそんなこと」
「目立つの嫌いだから。褒められたいとか思わないし、悪目立ちなんて最悪だし、蔑まれるのは嫌だし、褒められるのは恥ずかしいし」ぼくは、右手を元に戻した。衣類は魔力の膜で覆っていたので、燃えずに済んだ。
「可愛くないね」グロリアはほくそ笑んだ。
「なにも知らない奴らから知ったような顔で評価されるのが嫌いなんだ。グロリアには言う機会がなかったから言わなかった」
グロリアは頷いた。「護身術は、雷の魔法を使えたら良いんだけどね。相手の体を麻痺させればすぐ逃げられるし、体を雷に変えられたら、そもそも滅多に捕まらないし」
「でも無理。持ってない」
「じゃあ、あげるわ」グロリアは、両方の手の平を、空気を包み込む様に合わせ、ぎゅっと握りしめた。周囲の魔素が、グロリアの手の平に集まる。魔力を込めているようだった。グロリアの顔に汗が滲んだ。1分ほどして、グロリアは深く息を吐いた。震える手の平を彼女が上向きにして開けば、そこには指輪が現れた。宝石がついていない、フレームだけのシンプルな、銀色の指輪だった。「これがあれば、雷の魔法を使えるわ。着けてみな」
ぼくは、右手の人差し指に指輪を着けてみた。指輪から、なにか異物が流れ込んでくる感覚。暖かい。不快感はなかった。グロリアの魔素の一部だということが、指輪に触れた瞬間にわかったからだ。血管を流れる血が体内を巡るように、その異物が、グロリアの魔素が、指先からぼくの体を巡っていく。暖かな魔力がぼくの心臓に届いた途端に、そこから急速に全身を駆け巡っていくのがわかった。視界が澄み渡ったことを感じた次の瞬間、視界の中で火花が散った。続いて襲いかかってきたのは、酔ったような感覚。視界がぐるりと歪み、明滅する。おでこが痛い。いつの間にか、テーブルに額を押し付けていた。
「急激に魔力の総量が増えたから、脳とか精神とか心とかがパンクしてるのよ。1日くらいで体が順応するわ」視界が明滅してなにも見えない中、グロリアの声が聞こえてくるが、どこか夢見心地だった。
ぼくの視界は、徐々に戻っていった。「あー……」ぼくは唸った。「しんど……」ビールを一息に飲み干して、ハンカチで顔を拭く。嫌な汗をびっしょりとかいていた。
いつの間にか、料理が運ばれてきていた。サラダ、フルーツ、肉料理、魚料理、スパゲッティ。新しいビールもテーブルに並んでいる。
「ぼく気絶してた?」ぼくは、ナイフとフォークを取りながら、グロリアに聞いた。
「3分くらい目玉回してた」
「恥ずい」ぼくは白身魚のムニエルを切り分けた。「あ、ぼくにくれたみたいだけど、グロリアは、今まで通り問題なく使えるの? 雷の魔法」
「使えるよ。その指輪を作る時に大気中の魔素をいくつか使ったの。この世界は大気中の魔素濃度も高いから、こっちの負担も少なく済んだわ。大気中の魔素のおかげで、ここだと体調も良いし傷の回復も早いのよね。ここで酔っ払ったまま元の世界に戻ると酷い目に遭うけど」
「ふーん。よくわからん。これって、ヴェルの持ってる指輪みたいなもん?」
「そ。自分の魔素の一部を相手に分け与える物。分け与える本人は空っぽ寸前まで魔力を注ぐんだけど、1日寝れば元に戻るし、多分、ここでなら半日過ごせば戻るんじゃないかな。分け与えられた方は、新しい力を使いこなすのに苦労するけど、それも、慣れちゃえばなんともならないし、これが1番でしょ。その指輪を扱いこなせれば、75パーセントくらいの精度で、わたしと同じ魔法を使える」
「ありがと」
「可愛いソラちゃんのためなら喜んで」グロリアは再び1リットルのビールを一息で空にした。次のグラスは、すでにテーブルに乗っていた。
ぼくは、右手の人差し指の先に雷を纏わせた。表面に纏わせた雷を、皮膚に吸い込ませる。続いて、薬指、中指、親指、小指。雷は、指先を手の平に下っていき、そこから手首、肘、肩を伝っていく。そこで、ぼくは右腕を雷から肉体に戻した。「出来そう。火の扱いと同じだね。他にはなにかある?」
「あとはそうね。元の世界独自のスキルを覚えてもらうっていう手もあるんだけど、わたしの先生はあまりそういうのを好かないのよね。この世界の人たちは敵っていうわけじゃないけど悪人もいる。そういう人たちに、あっち独自のスキルを持った人が、仮に捕まったら、悪人たちにスキルが流出しないとも限らない」グロリアはビールを啜った。「そうね。手の平に武器を生み出すの。手の平を離れた瞬間に魔素の霧に戻るっていう風に設定してね。その時は、なるべくパーツが少ない、簡単な設計の物にした方が良い。例えばナイフとか」グロリアは手の平に小さな銃を生み出した。短距離走の時に体育の先生が空に向けて撃つようなヤツだ。「これは、1回しか撃てないけど、その分、部品も少ないから生成に時間もかからない。1発の銃弾に、一瞬で高濃度の魔力を流し込んで撃てば、ものすごく強力な武器になる。ヴェルが物語の中で闇落ちのドラゴンを倒した武器は、これと、切れ味を上げまくった剣と短剣よ」
「なんでわかるの?」
グロリアは、銃を消して、ビールを啜った。「わたしも読んだことがあるのよ。それで、わたしの方が物知りだから、なにが比喩で、なにが史実かっていうのもわかんの。大方、銃で翼を撃ち抜いて、剣で鉤爪やらなにやらを削って、短剣で脳みそを突き刺したってところね」
「ふーん。ぼくは銃は良いや。映画じゃ悪役の武器だし」
「わたしやヴェルも悪役?」
「そうは言わないけど、アクション映画ってスカスカで見応えないからあんまり好きじゃない。スカッとするシーンだけは好きだけどね」
ぼくは、ムニエルを口に運んだ。魚の旨味と、バターやハーブ、スパイスの芳醇な香りが最高な1品となっていた。「ぼくもね、1つ心配してることがあるんだ。ここで1ヶ月過ごしたら、それじゃ物足りなくなって、気がついたら10年とか20年とか、ここで過ごすことになってるんじゃないかって」
「それはわたしも思った」グロリアは笑った。「この世界の料理って美味いし安いしね」と、大きく切り分けたステーキを頬張った。
ぼくは頷き、少しだけ悩んで、グロリアを見た。「今何歳なの?」
「今?」グロリアは、ステーキをワインで流し込むと、少し切なそうな目をして、それを隠すように、微笑んだ。「そうね、18ってことにしておいて」
ぼくは笑った。「じゃあさ、教えて欲しいんだけど、この世界で、絶対に行った方が良いってところ教えて」
「それはもう、南フロンジェリーヌよ」
「南フランスっぽい感じ?」
「うん」
ぼくは笑った。「この世界って、なんで、いちいち名前もじるのかな」
「ね。でも、ワイン美味いし、安いし、料理もハーブ上手く使ってて美味いから行くべき。過ごしやすいしね。あとはヴェニツァーノね。これはヴェネツィアっぽいとこ」
「パリは?」
「パリはパリって感じね。ロームァはこの世界の中心ってことで行きたがる人多いし、良いとこだけど、まあ、普通って感じ。少なくとも、持ち上げられてるほど良いとこじゃないわ。スカンジナヴィア辺りもおすすめ。中南米はあんまりおすすめ出来ないかな。アレだ、あっちでいうヨーロッパ辺りをテキトーに周っておくのが1番安全。北半球が夏の時は南半球が冬っていうのも一緒。中には年中夏で、年中冬って街もあって結構面白い。そういう街はロシアの山奥とかコーカサスの山奥とか、アフリカとか中南米に多い。地形や風向きによる魔素の停滞とかが原因で起こるケースが多いみたい」グロリアはワインを飲んでグラスを空にすると、ボトルからお代わりを注いだ。「確かに1年じゃ足りないかもね。飲む?」
「もらう」ぼくはグラスを持ち上げ、注がれたワインを啜る。ぼくは首を傾げた。
「美味しい?」グロリアは言った。
「美味いけど、わからない。赤と白とロゼとスパークリングの違いはわかるけど」
グロリアはほくそ笑むと、グラスを持ち上げた。「ふっ、子供ね」と、ワインを啜るグロリア。
「わかるの?」
グロリアは頷いた。「酒なんてなんでも良いけどね。酔えれば良い」
「アル中」
「大人になればわかるわ」
「大人はみんなそう言うよね。ほんと大人になるのが怖くなってくる」ぼくはボトルを持ち上げた。これはどこ産だろう。フロンジェリーヌと書かれている。ラベルにはどこかの農場の絵が描かれていた。モンタージュ風。鉛筆で描いたような感じだが、繊細で優しい、柔らかな筆遣いで、遠近法や影を使った立体感なども表現されている。南ポロヴァンセーヌ農場で採れたブドウを使用したものらしい。ポロヴァンセーヌ……、プロヴァンス……。地名はもじるのにブドウとかクロスタータとかカプチーノとかはもじらないのか……。ぼくはボトルを置いた。「この世界って、英語なの?」
「都市部はね。基本はみんな、母国語と英語を話せる。田舎の方は訛りキツイけど、一応英語が通じるし、田舎の方でもその国の言葉なら問題なく通じる。こっちもこっちでなんとなくあっちが喋ってることわかる」
「なるほどなるほど」ぼくは、カレーライスを食べつつ、グロリアの話に頷いた。
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この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)