7 グロリア先生の異世界解説
7:50
ぼくたちは先日の用具室の前にいた。
グロリアは、手の平でどうぞ、とぼくに示したが、ぼくは遠慮した。
この盗撮女は、今度はどんなイタズラを考えているのか……。
「あの純粋なソラちゃんが、こんなに疑り深くなっちゃって……」
「お前のせいだ」
「動画は後で消しといてあげる」
「おう、頼むわ」
グロリアは、笑って、例のリズムでドアをノックしてから、ドアに魔力を流し込み、その表面を撫でてから、ぼくを振り返った。ニチャリ……。
「おいっ」ぼくは笑った。「やめろ」
「おんねがぁ〜いダァ〜」「やめろって」ぼくはグロリアの肩を叩いて笑った。
グロリアも笑った。
ぼくは振り返って、ゾーイさんや、後ろから痴態をつけ狙ってくる変態を探そうとしたが、それらしい気配はどこにもなかった。
今日は撮られていないようだ。それもそのはず。盗撮女は目の前にいる。
ドアを潜れば、そこには、昨日と同じ景色。
だが、今日は人が違った。
白い肌に、ショートブロンド。淡褐色の瞳。スレンダーで背の高いおねえさんだった。
おねえさんは、グロリアに向けて、にっこりと微笑んだ。「お久しぶり」
「うん」グロリアは、この人にしては珍しいことにそっけない様子で返事をすると、スタンドテーブルに近づき、書類に記入をした。「変わらないなー」
おねえさんは、ふふふっ、と笑った。
ぼくは、おねえさんを見上げた。
ぼくは156cm。
グロリアは180cmと、背が高い方だが、おねえさんの方はさらに背が高い。多分、2m近くある。
おねえさんはにっこりと微笑んだ。
ぼくも笑顔を返した。
グロリアはぼくを見た。
ぼくは、魔法で自分の体を宙に浮かべて、スタンドテーブルの上の書類に記入をした。
【出入国記録 2010 #144】
書類には、いくつもの名前が並んでいた。記入に使われている文字や、記入されている名前を見るに、グロリアと同じ国出身の人たちのようだ。
記入を終えたぼくは、箒を手に生み出した。
「ニホニアね」グロリアは言った。
「はいはい」おねえさんは言って、ドアを開けた。
先日見たような大空が、ドアの向こうに広がっていた。
この場所はかなりの高度にあるが、部屋の中が気圧の変化による強風によって掻き乱される、などといったことはなかった。
グロリアは、箒も持たずに大空に飛び出した。
ぼくは、箒に乗って大空に出た。宙に滞空しながらおねえさんを振り返ると、彼女は優しく微笑んで、ぼくに向かって手を振った。ぼくも、彼女に手を振り返し、グロリアを追った。
○
箒がなくても空を飛ぶことは出来る。ただ、それにはある程度以上の慣れが必要だ。
グロリアは、鳥のように両手を広げて、大空の中をものすごい速さで滑空していった。
ぼくも負けじと、箒に乗って彼女を追う。
追いかけっこをしているからか、いつもよりも速度が出ている気がする。
グロリアの横に追いついたと思ったら、グロリアは楽しそうな様子でぼくを一瞥して、再び速度を上げていく。
腕の差を見せつけられているようで、なんかムカついた。
そこからはレースだった。
おかげで、先日よりも早く地表に降り立つことが出来た。
○
石畳に足を着けたグロリアは、ジャケットを脱ぐと、それを振って、パッ、と、手品のように消した。瞬きをした次の瞬間には、グロリアの服装が変わっていた。白のTシャツに、七部丈の黒のパンツに、歩き易そうな水色のスニーカー。
魔法で生み出した物だ。
彼女の服はいつもハンドメイドで、その時々でシルエットやデザインが違う。
気に入った物が出来た時は、先程のジャケットのように消したりはせずに、小さく丸めてポケットにしまったりするようなので、先程のジャケットはそのラインには達していないようだった。
グロリアはタバコを咥えて火をつけた。「変わんないねーっ」その楽しそうな声から察するに、なんだかんだで、グロリアもこの世界が好きな様だ。「カフェ行こ。ドーナツドーナツ」と、グロリアはぼくの左腕を抱き寄せた。
グロリアの新しい服装も納得なほど、今日は暖かかった。暖かいを通り越して、暑いくらいだ。
○
グロリアが連れてきてくれたカフェ【Dolce Donut Donatello】は、先日訪れた中央広場から伸びる道にあった。
幅の狭い木造の店内にはレジカウンターと、その下にドーナツをはじめとしたお菓子や、パニーニなどのサンドウィッチの入ったガラスのショーケースがあるだけだった。
壁には古びた絵画や黒板が下がっている。黒板には、ぶどう酒やコーヒーや紅茶などのドリンクや、ジェラートやグラニータなどのメニューがチョークで書かれていた。
テラス席はなく、テーブル代わりの大樽が1つ置かれているだけだ。大樽にはすでに先客がいた。カメが日向ぼっこをしながら眠っていた。
どうしよう、これじゃ食べる場所がない……。おろおろしていると、グロリアはカメの横に、フツーにエスプレッソの小さなカップを乗せ、幸せそうな顔でカンノーリを頬張り始めた。
「え、ぼくの分は?」
「自分で買いなよ」
「ちぇ」
ぼくは、カプチーノとフルサイズのクロスタータというイタリアのパイを買った。パイには、砂糖漬けのブラックベリーがぎっしりと詰まっていた。
レジカウンターの上に商品が出されたところで、ぼくは眉をひそめた。
驚いたことに、カプチーノにはソーサーがなく、直径15cmほどもある大きなパイの方にはフォークがついていなかった。
しょうがないので、ぼくは自分で魔法を使い、ソーサーやティースプーンやフォークを生み出すことにした。
「7FUだ」店主であるドナテッロさんは言った。
「え?」ぼくは、メニューを見た。【カプチーノ−1FU、クロスタータ・ディ・モーレ−3FU】。「でも、そこには……」ぼくはメニューを指差した。
「それは持ち帰りの値段だ。表で食べていくならプラス3FUだ」
「なるほど……、それならそうと書いておいてくれればいいのに」
「貴重なご意見どうも。参考にさせてもらうよ」ドナテッロさんは言った。その様子を見るに、絶対に貴重なご意見だなんて思ってないし、今後の参考になんかしないだろうということが窺えた。
支払いを終えたぼくは、カプチーノとクロスタータを手に、店を出た。
樽のテーブルに戻ると、グロリアがニヤニヤしていた。
「なに?」
「いくらだって?」
「ここで食うなら3FUプラスだって」
グロリアは笑った。
「なに?」
「あのね……」ヴェニツァーノ(地球で言えばヴェネツィアに相当する場所)から遠路遥々ここニホニアまでやってきたアテリア人であるドナテッロさんは、信じられないことに、店を訪れる人の顔を全て覚えているらしい。それだけ聞けば、なんて良い人なんだろう、きっとドナテッロさんは人が大好きな暖かい人なんだな……、と思うものだが、さらに話を聞いてみれば、どうやらそういうわけでもないらしい。奴は、初めて訪れる客からは、必ずぼったくるらしい。その名目は、イートインスペースの利用料だったり、入会費だったりと様々なようだ。ドナテッロさんのお菓子を気に入って2度目に来店した者たちは、『あんたはイートインスペースの利用料はタダだ、常連さんだからな』という、ドナテッロさんの欺瞞に満ちた笑顔に感動してしまうらしい。
イタリア人が観光客からぼったくるというのは有名な話だったが、驚いたことに、連中は遠路はるばる異世界転移をしてこんな場所にやって来てまで、ぼくのような観光客からぼったくっているようだ。
まったく困ったもんだぜ……、と思いながら、クロスタータを食べてみると、さくさくもちもちのパイ生地からはバターの風味がして、ブラックベリーが甘くて美味かった。パイによって刺激された嗅覚と味覚が、周囲に漂う、心地良い花の香りを掴んだ。
ぼくは、目を瞑り、鼻で深く息を吸った。
バターとブルーベリーの香り、花の香り、カプチーノの甘い香り、コーヒーの香ばしい香り、街に漂う秋の香り。新鮮な空気には、様々な香りが含まれていた。
サクサクのパイ生地を噛む音、そよ風に揺られる花壇の花々、鳥の鳴き声、硬い靴底が石畳を叩く音……、コト……、と、すぐ近くで、なにか硬いものが、硬い木の板に置かれる音に目を開けてみれば、グロリアが、樽の上にエスプレッソのカップを置き、タバコを咥えていた。
視線を感じてそちらを見れば、樽の上で眠っていたカメが、いつの間にやら目を覚ましていた。カメは、ぼくを見上げて、パイを見て、再びぼくを見上げた。
ここでも利用料を要求されてしまった。
ぼくは、パイを摘んで、欠片をカメの前に置いた。カメは、しゅっ、と、首を伸ばしてパイの欠片を食べようとしたが、パイ生地は、ビリヤードの玉を弾くように、カメの顔に弾かれて、地面に落ちてしまった。
その時、どこからともなく、ネコ顔のグリフォンがやってきて、そのパイ生地を食べた。ネコ顔のグリフォンは、ぼくを見上げた。
視線を感じてそちらを見ると、カメも、無表情にぼくを見上げていた。
こいつらグルなんじゃないか……? と思いながら、ぼくはネコ顔のグリフォンを睨みつけた。
ネコ顔のグリフォンはスタスタと歩き去って行ったが、10mくらい離れたところで、こちらを振り返って、再び歩き去っていった。
ぼくは、ため息を吐き、カメの前にパイ生地のかけらを置いた。「これで最後だぞ」
カメは、今度は上手にパイ生地を咥えることが出来た。
満足した様子のカメは、ぼくに頷きかけると、首を引っ込めて、昼寝に戻った。
「ネコ顔のグリフォンには気をつけなよ。あいつら調子に乗るから」と、グロリア。
「うん。知ってる」
「ワシ顔の方は、自立してて、自分でネズミとか獲って食うから良いんだけどね。でも、ワシ顔にねだられたらあげてやんなよ。あいつらプライドが高いから滅多に人にすり寄ってくることはないんだけど、そういう連中が助けを求めてくる時は、本当に困ってる時だから。プライドが傷つく痛みを堪えて、胸の中で啜り泣きながら助けを求めてくるのよ」
「なんか、どっちにしろめんどくさい奴らだね。グリフォンって」
「関わらないのが一番よ」タバコを吸い終えたグロリアは、店内に入ってすぐに戻ってきた。両手にエスプレッソのカップを持っている。
「お? ぼくに?」
グロリアはニンマリとして、左手のエスプレッソを1口で飲み干し、右手のエスプレッソを啜った。
「けち」
「それ美味しそうだね」
「分けてあげない」
「お願いっ! 一口だけっ! ねっ、先っちょだけで良いからっ! お、オレさぁ……、もう我慢出来ねんだよ……、でへへへへへ……」グロリアは、鼻息を荒くしながら言った。
「しょうがないなぁ」ぼくは、グロリアにパイの載った皿を差し出した。
グロリアは、パイをちぎった。
結構ごっそり持っていかれた。
グロリアはあーん、と頬張って、むしゃむしゃとした。「美味い」
「だよね」
「ソラってちょっとお願いしたら簡単にヤらせてくれそうだよね。なにとは言わんけど」
「かっ、死ね」ぼくは、残りのパイを頬張り、むしゃむしゃした。ごくん。「死ね」
「大事なことだからって2回も言わなくて良いじゃん。うぇえ〜ん」グロリアは泣くフリをした。「うえんぴえんぱおん」
「なんだよぴえんぱおんって」
「数年以内に流行る。流行らなくてもわたしが流行らせます」
ぼくは笑った。カプチーノでパイを流し込み、息を吐く。「美味しかった。タバコちょうだい」
グロリアはこちらにタバコを差し出してきた。
「ありがと」ぼくは、背もたれに寄りかかって街を眺め、タバコの煙を吐いた。
良い街だ……、と思った。西部劇っぽかったり、イタリアっぽかったり、ポーランドっぽかったり……。小6の修学旅行を思い出す。
「そういえば、こっち来る時あのおねえさんに、ニホニアね、って言ってたけど、あれってどういうことなの?」
「土地名を言えばそこまで繋いでくれるの。なにも言わなかったら、あのドアからはニホニアに繋がる」
「そうなんだ」
「うん」
「この世界広いみたいだから、どうやって見て周ろうかなって考えてたの。細マッチョのスライムを雇うか、自然同化の魔法で行こうかって考えてた」
「細マッチョのスライムねー。スライムに乗るなら、普通のプニプニのスライムが一番よ。筋肉ついたスライムだと走ることしか出来ないし寝心地も硬いけど、プニプニのスライムならウォーターベッドみたいで寝心地最高だし、なんにでも変身出来るし、融通も効くから。鳥とかドラゴンになってもらって空から観て周るのも良いし、ユニコーンに変身してもらって地上を駆けても良いし。ただ、スライムって対象を包み込んで形とか性質や能力を記憶してから変身するっていう性質なのよね。形状記憶のボキャブラリーが多いほど強くて、自立心も旺盛で、ヒトと仲良くしようっていう感じがなくなるのよね。雇う費用も高くなるし。鳥に変身出来るだけなら、細マッチョのスライムより安いから、オススメね」
「性質とか能力って?」
「たとえば、スライムがドラゴンを包み込んで形状を記憶しているときにドラゴンが火を噴いたら、スライムもドラゴンの火を吹けるようになるの。ドラゴンほど強力じゃなくても、魔法使いの火よりは全然強力なヤツ」
「どういう理屈?」
「コピーをして進化するのよ。それがスライムっていう生き物なんだとしか説明出来ないわね。この世界は幻獣を尊重して、連中と共存しているけど、生態の研究や解明には積極的じゃないの。スライム1つとっても、地球にいる幻獣とはところどころで生態が違うみたいだし、地域ごとにも違いがある。それにインターネットもないし、土地も広いから、情報の共有も手間だし。多分、幻獣の研究に力を入れてる人もいるとは思うけど、そういう奴はこんな街中にはいないだろうし。そういうのは秘境にいるケースが多い」
「スライムってドラゴンの火食らっても生きてられるの?」
「連中は不老不死だから。歳を取ったら、活性化している細胞と弱りかけている細胞に分裂して、弱りかけている方は消滅するんだって。年取ったスライムは、幻獣保護委員会のシェルターに行くみたいよ。で、シェルターの中で若返るんだって」
「繁殖は?」
「たまにするみたい」
「分裂?」
「謎」
ぼくは左手に作った輪っかに、右手の人差し指を差し込んで首を傾げた。
グロリアは笑った。「本当に謎なんだって」
ぼくはタバコの煙を吐いた。「この世界にインターネットがあったらやだな……」
「なんで?」
「ここにいれば肌が荒れないのに、インターネットが普及したら、地球と一緒になっちゃう」
「女の子みたいなこと言うね」
「やめろ」
グロリアは肩を竦めた。「わたしにはわかんない悩みだね」
「ラッキーだね。でも、それなら交通手段で悩む必要もないね。地図あるし、行きたいと思った地名を言えばそこまで行けるっていうなら、それに越したことない」
「自然同化の魔法って高等部から学ぶんだけどさ、基礎だけなら教えてあげよっか?」
ぼくは、うーん……、と唸った。実は、それについてはグロリアの幼馴染であり、ぼくの友人でもあるレオーニさんという、イタリア人のおにいさんから教えてもらって、すでに出来るのだ。「失敗したら死ぬ系はやだよ」
「死なんし。大丈夫。やってみよ」
「良いよ」ぼくは頷いた。「でも、また今度が良いな。今日は思いっきり遊びたい」
「思いっきりね」グロリアは、ニヤリとした。こいつがこういう顔をするときは、ろくでもないことを考えている時だった。「なにか食べたいものある?」
「ビール」
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この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)