4 スライムとグリフォン
ぼくは、ニホニアの中央広場にいた。
先程の西部劇の舞台のようなウェスタン・ニホニアと違い、この一帯は、石畳の足元に、煉瓦造りの建物といった、以前訪れた西欧の街の旧市街のようだった。
町のあちこちにある花壇では、優しいそよ風に揺られる花々に混じって、ダンシングニホニアにゃんが踊っていた。
空は晴れ渡っていて、薄雲が漂っている。
日陰の下では肌寒く、日差しの下では程よい暖かさだった。
ぼくは、カフェのテラス席に腰掛けると、ジャケットを脱いだ。
晴れた日に、Tシャツとデニムという、リラックス出来る格好で過ごせるのは、幸せなことだった。
「なににしますか?」
ぼくは、やってきたウェイトレスさんを見上げた。
堀の深い顔立ち。小麦色の肌。黒髪で琥珀色の瞳にハニーブラウンの光輪。背が高くほっそりとした体型だが、胸はデカかった。こいつは間違いなくぼくにケンカを売っていた。
「メニューをもらえますか?」ぼくは言った。
ウェイトレスさんが指を振るうと、カフェの店内から、紙のメニューがゆらゆらと漂いながら、こちらにやってきた。
メニューには、数種類のお酒や料理が、数十種類ずつ書かれていた。
先ほどたらふくビールを飲ませてもらったのだけれど、それらはとっくに外に出て行ってしまったので、飲み直しだ。
ビールのリットルグラスは1杯1.2FUから。
ぼくは、安い順番から、1杯ずつ違う銘柄のビールを飲むことにした。「じゃあ、1番上のビールを」
「リットル?」
「ええ、お願いします。あと、サーモンのムニエルも」ぼくは、メニューを隣の椅子に載せた。
丸テーブルの上に開くのは、ニホニアの観光案内所で買った、羊皮紙の世界地図だった。ティムさんが仰っていたように、この世界の大陸の形や位置の大まかなところは、地球と同じだった。だが、州の数は地球よりも多く、国境の数は異常なほどに少ない。数えてみたが、州の数は24で、国の数は100もない。また、地図上には、地球にあるはずの国のいくつかが存在しておらず、そこは、広大な砂漠や巨大な森と記されていた。ここ、ニホニアは日本と同じ場所にあった。ティムさんが仰っていたロームァーにゃんの生息地は、イタリアのローマの部分にあり、そこがこの世界地図の真ん中だった。地図の右端にはニホニア、左端にはアメリカやカナダ、中南米アメリカが存在した。表記されている名前は、いずれも地球での名称をもじったものばかりだ。この世界の歴史は800年近いらしいが、地球にアメリカがないときからAWにはアメリックやカナドゥアがあったのだろうか。それとも、元となった地球の地名やその歴史に応じて、この世界の地名も変わっていったのかもしれない。
ビールを飲みながら、そんなことを思っていると、足元になにかが擦り寄ってきた。
「あら」見れば、砂色の毛並みの可愛い仔ネコだった。
「にゃー」仔ネコは、ぼくを見上げて鳴いた。まるで、『さて、飯をねだるにしてもなにをするにしても、まずは挨拶からだよな、このお嬢ちゃんは俺を見た途端に目を輝かせて笑顔を浮かべた、ちょろい相手だ、俺らネコが好きなんだろうな、ま、当然ってヤツだな、人間どもは俺らが大好きだからよ、さて、お次は足元に擦り寄って距離を縮め、媚びた鳴き声でもう一鳴きして相手の心に入り込む、そして、見上げて、お嬢ちゃんが俺の顎の下を撫で始めたら、今日のランチゲットだぜ』とでも言っているかのようだ。
そんな仔ネコの心の声を朧げに聞いていながらも、ぼくは、ランチ目当てにすり寄ってきた仔猫の魅力に抗うことが出来なかった。「あらあらあら可愛いですねぇおやおやおや」
ぼくは仔ネコの背中を撫でようとしたが、ふと、妙な寄生虫や病原菌がこの世界にいないとも限らない、いや、いないはずがない、と思い直し、手を引っ込めた。そういったものに対する抗体を、ぼくの体が保持しているとも限らない。そもそも、この魔素濃度の高い大気が、地球で生まれ育った魔法使いであるぼくの体にどんな影響を及ぼすかも判ったものじゃない。
この世界に来てから、3時間ほどが経った。そろそろ帰ったほうが良いかもしれない。授業もあるし……。
「あ……」そのとき、ぼくはある事実に気がついた。「あー……」ぼくは、自分の手の平を見た。もうすでにユニコーンを撫でちゃったから、そんなこと気にしても手遅れか……。
そんなことを思いながら、体調に意識を向ける。
心拍数、体調、異変はない。しゃーない……、ひとまずもふるか……、そんなことを考えながら、舌なめずりをして仔ネコと目を合わせると、あざとく首を傾げる仔ネコの背中に、なにかを見つけた。「ん?」
よく見てみると、なにかがおかしい。背中には、ワシの翼のようなものが生えていた。グリフォンだ。見れば、あちらこちらで、グリフォンたちがテラス席の客に食事をねだっていた。グリフォンたちは、ネコっぽかったり、ワシっぽかったり、翼が大きくて分厚くて立派だったり、小さくて薄くて可愛かったりと、個性も豊かだった。どうやら、ネコっぽいグリフォンの翼はハトの翼っぽいフォルムで、ワシっぽいグリフォンの翼はワシの翼っぽい立派なフォルムだった。
「……ちっ」ぼくは笑顔を仕舞い、舌打ちをした。
デフォルメされた顔のニホニアにゃんは良いし、ただのネコも良い。だが、こういうキメラっぽいのはダメだ。
ぼくはキッシュをつまみ、隣のテーブルの足元に放った。
グリフォンは、ぼくを見上げてにゃあ、と鳴くと、ぱちぱちと瞬きをして、するりと身を捻り、てってってっ……、と、そちらへ向かった。
ぼくは舌打ちをした。たくっ……、ふざけたデザインしやがって……。
ぼくは、もう一度だけ舌打ちをして、石畳を踏み鳴らしてから、テーブルの上に広げた地図を見た。この世界は、隅々まで見て周るには広すぎる。そして、ぼくは魔法使いであり、人間よりも寿命が長いとはいえ、せいぜい300から360歳。行きたい場所を絞り込み、ルートを考え、行く方法を考えないと、目的地にたどり着く前に、野垂れ死んでしまう。いや、ムキムキのスライムに乗せて貰えば、効率よく世界を周れるかもしれない。
ウェイトレスさんが、3杯目のビールを運んできてくれた。
1番安いビールも美味かったが、2番目に安いビールも美味かった。今飲んでいるビールは、柑橘系の風味のするホワイトビールで、先程のサルーンで飲んだものとは違ったが、こちらもこちらで美味かった。アルコール度数も、地球のビールより高かったが、あんまり酔えない。アルコールに強いのもまた、魔法使いの肉体の長所であり、短所だ。
「すみません。──」ぼくは、ウェイトレスさんに話を聞くことにした。どうやら、ムキムキのスライムはそれなりの値段がするらしい。ニホニアからウズベキスタニアまでが、日本からイギリスまでのエコノミークラスの航空券代くらい、ニホニアからグレートブリタニアやトルキアまではその2倍、ティムさんの故郷であるヴェネズーラまでだと、3倍近い値段がするらしい。細マッチョのスライムはもう少し安いみたいで、燃費も良く、より環境に良く、近年注目を集めているらしいのだが、馬力が足りず、最高速度もムキムキのスライムに及ばず、山道などではペースが更に落ちるらしい。コストパフォーマンスを考えるなら、細マッチョのスライムかもしれない。
「上等な箒を買うっていう手もあるけど、高いしね……」と、ウェイトレスさん。
「箒を買う?」
「自分で生み出す箒よりも、自分よりも優れた魔法使いたちが生み出した箒のほうが早いのよ。コントロールには慣れが必要だけどね。それにオーダーメイドだから高くなる。お嬢ちゃんは、どんな魔法を使えるの?」
「持っているのは純魔の素の魔力と生命の魔力で、自然の魔力は火と土です」
「自然同化の魔法は?」
「まだ教わってないんです。高等部からだから」
「そっか。生命の魔力と火の魔法が使えるなら、うまく使えればビューンって飛んでけるのにね」
「そうなんですか?」
ウェイトレスさんは頷いた。「ニホニアからグレートブリタニアまでなら、大体半日で着くはずよ。直線のルートを選んで、寄り道しなければだけどね」
「ほうほう」帰ったら、グロリアにご教授願うことにしよう。「ありがとう」
ウェイトレスさんは可愛く微笑んだ。「お代わりは?」
「もらいます」ぼくは、メニューの4番目を指差した。「あ、そうだ。あの、グリフォンって……」ぼくは、あちらこちらでにゃーにゃー言っている連中を指さした。
ウェイトレスさんは、連中を見た。「あぁ……」彼女は冷めた目で頷いた。「可愛いわよね。ただ、ネコの顔の方は性格悪いわよ。あいつら、子供みたいな目でこっちの様子を伺いながら擦り寄ってくるでしょ? あれって、デカく出ても大丈夫な相手かなって考えてるのよ。ちょっと甘い顔して餌あげると、それを服従の証と勘違いして、急に態度がデカくなって、テーブルに乗って皿を食い散らかすから気をつけなさい」
「とんでもないですね」
「そ、調子に乗る奴には甘い顔しちゃダメってこと。同じグリフォンでもワシの顔の方は大丈夫よ。お嬢ちゃんも旅人なら、肝に銘じておきなさい。どうせ、あいつら、お腹空いたらゴミ箱に落ちてる残飯とか雑草とか砂とか勝手に食ってるんだから、お嬢ちゃんは餌付けしないようにね」
「はい、教えてくれてありがとうございます」
ぼくは、こちらを見上げて口の周りを舐めるネコ顔のグリフォンを思いっきり睨みつけた。
ネコ顔のグリフォンは、弾かれたように素早い動きで身を翻して、遠くへ走っていった。
ぼくは足を組み、ご機嫌でビールを啜った。
ーーー
ぼくは、箒に乗って、空中に浮かぶ【飲酒運転禁止】という虹色の馬鹿でかい文字の横を通り過ぎ、【この先日本】の文字の横を急上昇した。紙袋の口は、魔法で生み出したラップとダクトテープで覆っておいたので、ニホニアにゃん達は落ちない。
ぼくは、空中に浮かぶ、日本の国旗が描かれたドアの前にやってきた。
「……ひっく」
ぼくはドアを開け、あの用務員室に戻った。
あの男性は、ぼくに気がつくと、にこ、っと微笑んだ。「おかえり。飲酒運転禁止って看板あっただろ?」
「次から気をつけますよ。落とされてびっくりしましたよ……。空飛べなかったらどうするつもりだったんです?」
「そしたら、あっちの奴らがきみを助けてたさ。良いところだったろ?」
「楽しかったですよ。また明日来ます」掃除用具室の壁掛け時計を見る。「あれ?」ぼくは首を傾げた。てっきり、もう夜が明けているかと思っていたのだけれど、時計の針が指し示す時間は、真夜中だった。
「あっちでは、時間の進むスピードが遅いんだ。きみがあっちに行ってから30分だから、6時間ってところか」と、男性は言った。
「なんか夢みたいですね」
「夢?」
「ほら、夢の中でどんな長い時間を過ごしても、目を覚ましたら8時間しか経ってなかったって感じ」
男性は、にっこりと微笑んだ。「良い表現だな。ギルだ」
「空です」
「なあ、ソラ」
「なんですか?」
「きみって、トランス?」
「そうですよ」
「せっかく可愛いのに」
「知ってます。でも、ぼくは男だから」
「もったいないな」
「残念でしたー」ぼくは、笑いながら舌を出した。
「じゃあ、男らしくハグで別れるか?」ギルさんは、両手の指を、にぎにぎと曲げた。
ぼくの全身に鳥肌が立った。「やです。長い付き合いになるんですから、急いで仲良くなる必要もないでしょう」
ギルさんは首を傾げた。「じゃ、ハイタッチ」
「ぼくは日本人なので、お辞儀で」ぼくは、ギルさんにお辞儀をした。「では、失礼します」
ギルさんは、にっこりと微笑んだ。「またおいで」
ぼくは、彼に微笑みを返し、掃除用具室を出た。
少しでも楽しんで頂けましたら、評価やブックマークをお願いします!(*´∀`*)
※
この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)