3日目 ゾーイの稽古
肩を揺られて目を覚ませば、ゾーイさんだった。
身を起こすと、鼻がムズムズして、くしゃみをしてしまった。
誰かが噂でもしているのかもしれない……、そんなことを思った瞬間に、脳裏に、ドアにおねだりをした恥ずかしい思い出が浮かんだ。
見れば、完全武装のユアンさん、ノエルさん、フィリップさん、マークくん、ビルギッタちゃんがいた。もう出て行ってしまうらしい。
ぼくは、マークくんとビルギッタちゃんにインスタントヌードルをいくつか渡した。
代わりに、ユアンさんは、地図の写しをくれた。点と線と簡単な絵で作られた地図だった。ぼくが寝込んでいるうちに用意をしてくれたらしい。
ラシアとユーレップ、ぼくが行こうとしているエリアに存在する、まだ、公の地図には載っていない場所だった。秘境の奥にある美しい景色や、面白い村、そこへの安全なルート。ルート上には、危険な生物と、その生物を見かけた場所、生物の生態なども書かれていた。あとは、その場所ごとの物価や、おすすめの宿なども。ユアンさんたちの書いている地図は、ガイドブックのようなものだった。
「ありがとうございます」ぼくは言った。
「良いんだ」ユアンさんは、控えめながらも暖かな微笑を浮かべた。「楽しめよ」
ぼくは、5人とハグをして、別れの挨拶をした後、再びベッドに入り込んだ。
◎
次に目を覚ました時、目の前にいたのは、簡素なワンピースドレスに身を包み、右手に剣を持ったゾーイさんだった。
ほっそりとした幅の刃。その長さは、短剣よりも長く、長剣よりは短かった。柄は丸く掌を覆う形になっている。フェンシングの剣のようだが、あれは確か、刃が丸い棒のようになっていて、切ることは出来ない形状をしていた気がする。
そんな武器を持っていながら、ゾーイさんは暖かく微笑んでいた。
ホラーだ。
「わたしは明日にはグァンマーに行くから、今日中に、ソラを1人にしても大丈夫だって、自分を安心させたいの」と、ゾーイさんは言った。
つまり、稽古をつけてくれるらしい。
ありがたいけれど、余計なお世話だった。危なくなったら逃げる。戦うのは最終手段だ。その最終手段に自信を持つようになったら、その手段を選ぶようになり、逃げる余地を自分で潰してしまうんじゃないか。人は、武器を手に持っている時、それを使わないようにするのに苦労するものだ。そして、武器は持ち主を錯覚させる。自分は強くなった、と。
「それは、心の弱い者だけよ。ソラはどっちかしら」
そんな言い方をされると、自分はそうじゃない、と、思いたくなってしまう。
ぼくたちは、中庭の訓練場に向かった。
「これは、ドレスソードや、ショートソードって言われるもので、儀礼用の、アクセサリーのようなもの。でも、片手で扱うにはちょうど良いサイズと重量で、ほどほどにリーチがある。ソラは小柄だし、正面から受けても勝てない。だから、身軽で扱いやすい武器が良い。片手で振り回しやすい重量、強度、切れ味重視で作った方が良いわ」
ぼくは、昨日作った、素の魔力のタネを右手に握った。
ゾーイさんが持っているような形の剣を想像し、軽く、丈夫で、優れた切れ味を想像した。
タネは、徐々に膨張し、形を変え始めた。
しばらくして、ぼくの右手に生まれた剣は、ぼくの頭に浮かんだ朧げなビジョンに、実態感と色がついたものとなった。
ノエルさんが言っていた通りだ。
タネは、ぼくの想像を実現させるのに、うってつけだった。
ゾーイさんは、剣を構えた。「思いっきり打ってきて」
「あぶないでしょ。剣が折れたりしたら、ぼくとかゾーイさんに刺さるかも」
「じゃあこうしようか」ゾーイさんは、剣を地面に突き刺して、ぼくの後ろに回った。「丈夫に作ったから平気よ。まずは打ち込みの練習」
ぼくは、体育の授業でやった剣道を思い出した。腰を捻り、剣を握る手に力を入れるのは、一瞬だけ。
ぼくは、それを思い出して、剣を振るった。
シャンっ、と、金属が裂ける、軽い音がした。
ゾーイさんが地面に突き刺した剣の刃は、真っ二つに切り裂かれ、持ち手の方が地面に落ちた。
ぼくの振るった剣、その刃には、刃こぼれ1つない。
ゾーイさんは頷いた。「オッケー。これで大丈夫ね」
「良いんですか?」
「うん。結構丈夫に作ったんだけど、簡単に折れちゃったね。グロリアの指輪も効果発揮してるみたいだし、空ちゃんの姿勢もキレイだし、大丈夫でしょう」ゾーイさんは、地面に横たわる剣の持ち手に向かって、上向きに開いた手の平を向けた。地面に転がる剣の持ち手と、地面に突き刺さったままの刃が、黄金色の光の粉になり、ゾーイさんの手の平に集まる。次の瞬間には、ゾーイさんの手に先ほどと同じ剣が握られていた。「落ち込むなー……、わたしの力ってこんなもんだっけ……」軽い声色で言うと、ゾーイさんは、ぼくに、その緑色の瞳を向けた。
ぼくは、ゾーイさんの目を見て、息を飲んだ。
彼女の瞳、その瞳孔が、開いていた。
感情のない瞳。
睨みつけられているわけでもないのに、ぼくの全身から力が抜けた。
全身の毛が逆立ち、鳥肌が立った。
怒りや憎しみよりも、激しく、冷静で、濃く、黒い感情。
ゾーイさんの瞳に宿るおぞましい何かが、ぼくの瞳孔から入り込み、ぼくの心臓を、ゆっくりと握りしめた。
──ドクン……。
妙な重厚感を持つ心臓の音が、頭の奥に響いた。
──ドクンドクンドクンドクドクドク……。
心臓の鼓動が大きくなり、その音が脳内を埋め尽くした。
──ドクドクドクドクドクドク……。
ぼくの全身を、脳内を、何かが、静かに駆け巡った。
宙を舞う枯れ葉が、速度を落とす。
風に揺られた芝生のダンスが、スローモーションになる。
ゾーイさんの腕が、勢いよく振り上げられた。
その急速な動きが、妙に、ゆっくりに感じられる。
ゾーイさんの瞳が、ギラギラと光っていた。彼女の手の中で、剣が光を放った。
背筋に冷たいものが走った。
それは、ぼくの全身から湧き出た汗だった。
ぼくは、頭の中で響き渡る、自分の悲鳴を聞いていた。
一瞬だけ。
ぼくは、短く息を吸い、全身に力を込め、剣を握った。
ゾーイさんは、目を見開いた。彼女の瞳に宿っていた荒々しい光が、黒い感情が、徐々に、軽やかで、静かな、喜びのようなものへと移り変わっていく。ゾーイさんは、ぼくを見据え、微笑んだ。そうしながらも、目を輝かせるゾーイさんは、ぼくの額に向かって剣を振り下ろしていた。
ぼくは、迎え撃つように、全力で剣を振り上げた。シャンっ、と、短い音がして、ぼくは、目を閉じ、深く息を吐いた。うっすらと目を開けて確認をすれば、またしても、折れたのは、ゾーイさんの剣だった。
ゾーイさんは、自分の手の中にある、折れた剣を見て、ぼくを見て、微笑んだ。いつもの、優しい微笑だった。
彼女の手に握られた剣と、地面に落ちた、折れた刃が、光の粉になって、ゾーイさんの肌に溶け込んだ。ゾーイさんは、ほくそ笑んだ。「オッケー。ご飯食べに行きましょう。奢ってあげる」彼女は、ぼくに背中を向けて、軽やかな足取りで歩き出した。
ぼくの全身から力が抜けた。ぼくは、深呼吸をしようとしたが、しばらくの間、上手く呼吸が出来なかった。体を内側から殴るような心臓の鼓動は、しばらく収まらなかった。
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この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)




