一方その頃、学園では
ユージは、ルナと一緒に高等部フロアの廊下を歩いていた。魔法による精神操作の壁を抜けるには、ユージのような純粋無垢で素朴な心か、あるいは、ルナのように、精神分野および心理分野のプロフェッショナルとしての知識が必要となる。2人は、【壁】をすり抜け、魔法族エリアに入った。毎回のことだったが、自分が何かをくぐり抜けたことはわかっても、それが具体的になんなのかがわからない、そんなことを思いながら、ユージは、自分たちが歩いている廊下を観察した。どこからどう見ても、ただの廊下だ。
「ーーだからこそ、わざわざ行く必要を感じないのよ」ルナは言った。「この廊下自体に何かがあるわけじゃなくて、人間エリアとこっちの魔法族エリアの位置関係とかに意味があるの。あんたみたいな物好きじゃない限り、こっちに来る人間はいないでしょう。くつろぐにもランチ取るにも、あっちで足りる。こっちに来る必要がないんだから。それにほら」ルナは、立ち止まり、傍にあった掲示板を指さした。
ユージも立ち止まり、ルナが視線と指先を向ける掲示板に、自分も視線を向けた。そこには、自然ツアーの案内や、聞いたこともない画家の個展が開かれるという案内が貼られていた。
「人間よりも魔法族の方が自然に関心を持つ」ルナは、落ち着いた声色で、淡々と言った。「魔法族は芸術も好き。一方、人間エリアの掲示板には、プログラミングや最新のiPhoneとかの案内。人間はテクノロジーの発展に興味を持つけど、魔法族はテクノロジーに関心なんてない。そんなものがなくても、十二分に快適な生活を送れるからだし、電磁波は彼らにとって有害だし。そう言った、興味関心なんかも上手く使えば、人の流れを操作出来る。あとは、ほら、気づかない? ここら辺は少し薄暗いでしょ? 同じ間接照明でも、光度が抑えられてる。人は自然と自分が求めるものや必要に感じるもののある方向へ進み、求めない物や不必要に感じたものへは関心を向けないものよ。人間を遠ざけるっていうよりは、人間に足を運ばせないようにする要素が多いのね。工夫も感じられるけど、何より、こっちは魔法族が快適に過ごせるような作りになっている。そして、人間が不便を感じるように出来ている」ルナは、再び歩き始めた。
ユージも、ルナに歩調を合わせて、廊下を進んだ。
「空港なんかだと、快適を求める人はラウンジに行くし、PCを充電したいと思ったらコンセントを探すでしょう? そんな感じよ」
「なるほど。それなら、魔法の役割が謎だね」
「要所要所に違和感があった。音とか匂いとか、景観の歪みとか」
「俺の目に写る世界と君の目に映る世界は違うみたいだね。楽しそう」
「そうね。時々は楽しいかも」ルナは、深呼吸をした。「ねえ、不安にならない?」
「何が」
「わたしはこっち側に来る度に不安になるわ。ソラは良い子よ。人格も価値観も平凡で、素朴。そして、十分にわたしよりも賢く、知的で、精神的にも肉体的にも強い。そして、魔法も扱える。そんな魔法族が、学園だけでなく、世界中に数億人いる。どうして、魔法族は、その存在を表向きには隠して、この世界の指揮権を人間の手に持たせているのか」
ユージは、首を傾げた。「わからないし、不安にもならないな。興味ない」
「人口爆発が不安を煽る材料になっている現状。空のような平凡な人間性が魔法族の中にあるという事実。人口爆発を恐れる魔法族が存在してもおかしくないし、そんな連中が、自分たちよりもはるかに劣るネアンデルタール人のわたしたちを絶滅させないなんて考えられるかしら」
ユージは、呆れたような顔で、失笑を漏らした。「俺はきみよりも頻繁にこっちに来るけど、みんな良い奴らばかりだぜ。感情表現豊かな奴はいるが、気性の荒い奴は1人も見ない。みんな理性的で知的で、精神的にも落ち着いている。きみは賢すぎて色んなことを考えるんだな。陰謀論のような妄想すらも、起こりうるんじゃないか……、いや、十分にあり得る……、って思ったら見過ごせないんだろ。そんな事に目くじらを立てることは、もちろん出来るさ。ただ、もしもそれが事実だとして」
「わたし個人には何も出来ないだろって? 確かにそうね」
「俺はな、この学園に、俺たち人間と、魔法族が一緒にいるのは、良好な外交関係を築く為なんじゃないかって思ってるんだ。人間と魔法族の間に友好的な関係を築くための場所がここってわけだ。幼い頃から一緒なら、自然と仲良くなるものだろ。思春期になって個性が出始めて、初めて気の合う奴合わない奴ってのがわかってくるんだ」
「そうね」
「俺はイケメンじゃないし、魔法族の連中はどいつもこいつも美男美女揃いだが、連中は俺を容姿で差別せずに、内面で判断する。この学園の人間性の教育が上手く機能している証拠だ。きみだって覚えてるだろ。高1の頃は、エルフと付き合ってたんだぜ。そのあとはヴァルキリーで、そのあとはバンパイア、その後もヴァルキリーだ。俺がだぞ?」
「あるいは、性的にオープンな生徒たちに学園が依頼をして──」「俺と関係を持つようにって? 俺を広告塔にしようと思ったってわけか。魔法族は差別意識を持たない良い奴らですよって人間たちに言いふらすように? 俺に向けられたあの笑顔や優しさをハニトラ呼ばわりなんて、やめてくれよ。俺がこんなところで泣く姿を見たいのかよ」
「そうだね。見たいね」ルナは笑った。「そうね。ごめん。でも、それもありうるかなって」
「ねーよ。俺はこれでもモテるんだ」
「あんたに魅力は感じないわ」
「それは俺が本気を出してないからだ」
ルナは鼻を鳴らした。
「ぴえん」ユージは笑った。「前に、魔法使いから教えてもらったんだけど、パラレルワールドには魔法使いたちの世界があるんだと。地球よりもはるかに大きくて、資源も豊富なんだとさ」
「平行世界ね。パラレルワールドは、分岐点の先にある世界。平行世界は、分岐点みたいな接点なんてないけど、別位相に確かに存在する世界」
「何が違うんだっけ」
「もしもの世界よ」
「もしも? 何が?」
「IFの世界。たとえば、ここでわたしがあんたを転ばせるとするでしょ。そしたらあんたは肘を擦りむく。でも、わたしはあんたを転ばせなかった。だから、この世界はあんたが怪我をしなかった世界になっているけど、わたしがあんたを転ばせようかって考え始めた時点で、わたしがそうした場合の世界が1秒前から存在している。選択の数だけ増えていくのがパラレルワールドよ。思考実験みたいなもの」
ユージは眉をひそめた。「わからん。お前から嫌われてるってこと以外」
「嫌ってないよ。そうね。平行線が平行世界で、フローチャートがパラレルワールドよ。イメージ出来る?」
「なんとなく?」ユージは眉をひそめた。「……なんの話だっけ」
「魔法使いの世界の話?」
「そうだった。多分、魔法族は、ちっぽけな地球にある資源なんか俺たち人間にくれてやるって思ってんのさ。彼らは行きたい時にいつでも魔法族の世界に行けるんだろ。にも関わらずこの世界にいるってことは、それはもう、そうしたいからそうしてるってだけだろ。きみは考えすぎだよ。仮に魔法族たちが人間を滅ぼそうと思ったら、そりゃ簡単だろうさ。そうしないのは、俺たち人間が管理している世界を良いものだと思ってくれているからだ。連中からすれば、こっちの世界が気に食わないなら、あっちの世界に行けば良いだけなんだから。でも、俺たちはこの世界で過ごすしかないわけだろ? だからそういうところも踏まえて、譲ってくれてるんだ。連中は、俺たち人間に対して色々な慈善事業だってしてる。貧困を無くしたり、有能な医者として優れた治療をしてくれたり。滅ぼされてないってことは、連中が冷静に理性を持って物事を考えられる平和主義者だからだ」
「あるいは、わたしたち人間を労働力として見ていて、繁殖させようとしているのかも」ルナは、親しい者でなければわからないほど小さく、口調を軽やかなものに変えた。
ユージにはわかった。
ルナは先ほど、冗談を言ったのだ。
「もしもそうだとしたら、そんな会話をこんな、魔法族の本拠地でするべきじゃないなっ! 誰に聞かれてるかわからないっ! 逃げるぞっ!」ユージは、わざとらしく慌てたようなふりをした後で、声を上げて笑った。
ルナも笑った。
「きみを見ていると、賢さとか知性とか知能とかがなんなのかがわからなくなるよ。逆に馬鹿なんじゃないの?」
「失礼な」
ユージは笑った。「そんなに気になるなら、そんなもんもうルームメイトに聞けよ」
ルナは、ユージの脇腹を、戯れるように叩いた。「聞けないの。旅行に行くんだって」
「どこに?」
ルナは肩を竦めた。「教えてくれなかった。お土産期待しててね、だって」
「楽しみだな」
「何が?」
「お土産」
「なんであんたが楽しみなの?」
ユージは、顔を青ざめた。「俺の分もあるかな……」
「お願いした?」
「してない」
「じゃああるわけないわね」
二人は、談話室の前で立ち止まった。談話室には、たくさんの魔法族がいた。魔法族は、カラフルな目と髪をしているし、エルフの耳は尖っているし、吸血鬼の肌は青白く不健康な感じだ。妙に透明感のある肌をしているのはヴァルキリーやフェアリーで、中には透明感がありすぎて向こうの景色まで見えてしまう幽霊もいた。その中に目当ての人物を見つけた2人は、顔を見合わせて、微笑を向け合うと、ファンタジーな談話室に足を踏み入れた。
「グロリア」ユージは言った。
グロリアは、ソファに腰掛けて、本を読んでいた。
ユージは、その本の表紙に見覚えが会った。
【ヴェルの冒険】。
ユージもルナも、読んだことがある本だった。
「ルナ、ユージ。冬休みはどう?」そう言うグロリアのそばのセンターテーブルには、ワインボトルが載っていた。
「宿題終わらせてから暇で暇でしょうがないよ」言いながら、ユージはソファに腰を落ち着けた。
「宿題なんて、最終日に徹夜して終わらせるものでしょ」グロリアは、ワイングラスを2つ生み出し、それにワインを注いだ。
「俺は違う」
「わたしも終わらせた」
ユージとルナは、それぞれ、ワイングラスを受け取り、中身を啜った。
保存料などが生み出す雑味の無い、豊かな香りの赤ワインだった。
ルナは、グロリアからタバコをもらって、その先にライターで火をつけた。
周囲にいた魔法族が、ライターに火が着く音を聴いた瞬間、ルナに一瞥の視線を向け、すぐに会話に戻った。ここでは、ライターで火を付けるという行動が珍しいのだ。
ユージには、彼らの言語が英語でないこと以外はわからなかった。
グロリアもタバコを1本咥え、人差し指の先から火を伸ばして、火を着けた。
「暇になるとあれこれ考え始めちゃって」ルナはタバコの煙を吐いた。「さっきは、どうして、魔法族は人間を滅ぼさないのかって話してた。賢くて運動も出来て魔法も使えるなんて、人間がかなうところ1つもないじゃない」
「そうは思わないな。魔法族よりも上手い絵を描いたり綺麗な曲を弾いたりする人間はたくさんいる」グロリアはタバコの煙を吐いた。「わたしよりもあんたの方が人の心には精通しているだろうし。要するに、どんな観点で物事を見て、何が長所かっていう話。そういうのって、一概には言えないものじゃん? 泥を見て汚いと思う人もいれば、美容品だと思う人もいる」
「泥パックとか?」ルナは、思い出したように言った。
「そ」グロリアは微笑んだ。
「こないだのあれありがと」ルナは、幸せそうな顔で言った。「毎晩使ってるわ。もっとない?」
「今は自分用だけ」
「残念」
「また今度ね。他には、ほら、赤土で塗り固めた髪を美しいと思う人だってこの世界にはいる。わたしが思うに、多分、わたしもそうだけど、魔法族は人間を滅ぼそうなんて考えもしないんじゃないかな。わたしらには、鏡の向こうとか影の中とか、異世界にも居場所があるし。この世界に居心地の悪さを感じたらそっち行くし」
ユージはルナの腕を、自分の肘で突いた。「言ったろ?」
「今だと、魔法族と人間の混血がほとんどで、純粋な魔法族なんて一握りだし、そういう意味でも、滅ぼすなんてありえないわ。人間だって、面白い物たくさん作るし、良いとこたくさんあるじゃん」グロリアは、iPod nanoを取り出した。画面に、映像が映し出される。薄暗い、夜の廊下で、見覚えのある後輩の女の子が、ドアに向かって『お、おねがぁ〜い、だ、ダァ〜リン……、早く……、な、中に入れてぇ〜……』と言った後で、その場に蹲ってプルプル震えていた。
「……は? 空ちゃん酔っ払ってんのか?」ユージは失笑した。「そんな無口で薄っぺらい彼氏やめときゃ良いのに。二次元の王子様の方がまだ満足させてくれそうだぞ」
見れば、ルナも顔を真っ赤にして、鼻を鳴らしていた。「あんた、あの子に何言わせてんのよ。罰ゲーム? いじめたら怒るよ?」言いながらも、彼女は笑いを堪えているようだった。
グロリアは、意地の悪い笑顔を浮かべた。「からかっただけよ。この動画はグローティウス家が代々受け継ぐ家宝にすると決めた」
ユージは笑った。
グロリアもけへへへ、と笑った。
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この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)