歳の差なんて―⑤―
一枚板の大きなダイニングテーブルの上には何故か分厚いステーキが鉄板の上で音を立てていた。
「・・・あげは君。これは・・・?」
「ふっふ~ん!私が今ハマっているサガ牛だよ~!美味しんだこれが!!」
明らかに問答の本質が食い違っていたものの投治が改めて質問する事は無く、司も愛美らしいサプライズだなぁと内心喜びながら椅子に座ると彼女からハンカチを差し出された。
「???」
「も~気づいてないの~?折角の美人さんが台無しだよぉ?」
そういってこちらの目尻に柔らかいそれを押しあててくれる。すると大きな染みが拡がっていくではないか。どうやら自分でも気が付かない間に司の眼からは涙が零れ落ちていたらしい。てっきり我慢出来ていたとばかり思っていたので慌てて顔を背けてから十分に拭い取ると顔も表情も正面に向け直す。
「本当にすまない。まさか紫堂巡査があの程度・・・いや、その・・・てっきりもっと芯の強い女性だとばかり・・・」
何やら先程の自分を見ているかのような変な感覚に囚われたが投治を困らせている事実に気が付くとこちらも慌てて頭を下げ直す。結果お互いが許しを請うような状態へと移行していったのだがそこに愛美が待ったをかけた。
「そう!!相談事というのはそういう事なのです~!!」
どういう事だ?その内容すら聞かされていないし相談する事なんて何もないはずなのに彼女は何を企んでいるのだろう?2人が不思議そうに愛美の顔を見ると彼女もふんすと鼻息を荒くしてから経緯を説明し始めた。
「あの日田中とかいう腐れ外道に襲われて以降、司ちゃんの心は間違いなく男性恐怖症に陥っているの~~そ・こ・で!唯一司ちゃんが気心を許している燃滓さんにそのケアをお願いしたくて~ね?」
感情的になると誰よりも口が汚くなる部分も昔と変わらない。語り始めこそ素の性格と地声が垣間見えたがそれ以上に自分はそんな症状など出ていただろうか?と不思議に思う。
ところがテーブルの下で愛美から太腿をつんつんと突かれた後くるくると〇印を描かれたので何となく話を合わせるべきだと察した。
「そうなのかい?」
とても心配そうにこちらを見つめる彼の視線が痛い。かといって愛美の企みをここで潰すのも申し訳ないので司は俯きつつ浅く頷くに留める。
「そうなの~。でも話してもらってわかる通り~燃滓さんは恩人でもあるから全然怖くないの。さっき怒られたのはイレギュラーだけど、ね~?」
その話は止めて欲しかったがこれも彼女が狙っていたとすればとんだ食わせ者である。先程の恐怖、というより悲哀の気持ちを思い出した司はまたも無意識に涙を浮かべてしまった。
そしてそれを彼に見られたくないが為により顔を下に向けたのだが大粒の涙が零れ落ちたのを投治の目はしっかりと捉えていたようだ。
「・・・本当に申し訳ない。ど、どうしよう?より男性恐怖症を悪化させてしまったら私は・・・どうすればいい?」
2人のステーキがどんどん冷めていく中、愛美だけは一切れずつ丁寧に口に運び、その味を堪能しつつ不安そうな投治に答えを差し出した。
「答えは簡単よ!司ちゃんと週に一回デートして欲しいの~!」
「「・・・・・えっ?!」」
この場合司も一緒に驚いた声を上げるべきではなかったかもしれないが愛美も投治も全く気にする事無く話は続いていく。
「だってそうでしょ~?心の根幹にある男性は怖いっていう意識を取り除く、もしくは優しいって上書きしてくれなきゃ司ちゃんは一生このままなんだよ~?ね~~?」
もし本当に男性恐怖症であればそういった処置も効果があるかもしれないが司は自分の心に嘘をつけない人間だ。一瞬だけぽかんとした後ここで首を縦に振るのを躊躇うとまた愛美から太腿へのサインが飛んで来る。
・・・・・こくっ。
何となく彼女からのメッセージは『わたしをしんじて』だった気がした。なのでここは自分の欲求を重ねて頷く事を選択すると投治の方も納得したのか頷き返す。
「・・・相談の内容は理解した。しかし荒療治が過ぎないかね?」
ごもっともである。これには再び無言で深く頷きたい衝動に駆られたが愛美は夜の蝶としての能力を使い始める。
「そこは燃滓さん次第だよぉ?司ちゃんは美人だしいきなり襲ったりすればより一層恐怖症になるしぃ?いつもしっかりエスコートして紳士っぷりを見せつけてあげればその傷も癒えていくと思うんだ~ね?」
「ふむ・・・・・なるほど・・・・・」
なるほどなのか?というかいきなり襲われたら男女問わず苦手意識を持つのは当然ではないか?確かに投治であればそんな事は絶対しないだろうし普段から紳士然としているのだ。
もしこれが2人っきりのデートで自分だけに向けられるとなれば・・・・・
(ぎ、逆に私から襲っちゃうかもしれないな・・・いや、襲うのはアレだから誘う・・・とかかな。)
そんな事を考えられる司が男性恐怖症な訳がない。だがこのまま話がまとまれば彼と週一でデートが約束されるのだ。更にこの件には愛美の後押しも関わっている。ならばここは甘んじて受けよう・・・
「あ、あの!!私、そういうのは一切ありませんので、大丈夫です。」
しかし最後の最後で己の良心に全てを委ねた司は面を上げてしっかりそう伝えると投治からは驚いた眼差しが、愛美からはやっちゃったー・・・という目が向けられている。
(これでいい。燃滓さんの親切心を利用してデートしてもらうなんて間違ってる。)
だが本人の心は清々しかった。お蔭でやっとステーキを一口食べる事が出来たし、その味に舌鼓を打つ余裕まである。
自分は紫堂 司。元ピュアパープルで曲がった事が大嫌いな戦士なのだ。
彼の心を射止めるには直球勝負しかしたくない。2人が茫然としている間にステーキを平らげて満足そうな司はこの日誓いを胸に刻み直していた。
「あ~あ~。折角上手く行きそうだったのに~。」
「ははは。ごめんね愛美。でもウソは付きたくなかった。燃滓さんには真っ直ぐにぶつかっていきたいんだ。」
帰り道では愛美が頬を膨らませて愚痴を零していたが余裕を取り戻した司は笑って答える。すると彼女も司らしさを見てすぐに機嫌を直してくれた。
「そ~だね~!司ちゃんはそうじゃなくっちゃね!でも・・・本当に大丈夫~?何かあったら何でも手伝うからね~?」
「うん。その時はお願いね!」
そうだ。ウソを回避出来た事にステーキが美味しかった事、彼の家族に対する考えやご自宅に訪問出来た事など収穫は沢山あるのだ。これだけのプラス材料があれば必ず実行に移せるだろう。
そんな勘違いのまま休日を終えた翌朝、司は何度もスマホから投治に何かを送ろうとしては保存し、訂正しては保存を繰り返す。気が付けばあの夢のような一日から一週間が経ったというのに結局簡単な挨拶さえ送れていない。
(・・・私って本当にバカ・・・)
実直な人間独特の負のループに陥っていた司はその日もまた送る予定だった文面を眺めては細かに訂正し、送信出来ずに机へ突っ伏していたのだが突然電話が鳴った。自己嫌悪に陥りながらもその番号を確認すると何と燃滓 投治からだ。
(え?!な、何で?!)
訳が分からないまま、それでも待たせては悪いと慌てて繋ぎ、声をやや震わせながら応答すると彼の声が耳元で優しく流れる。
『夜分にすまないね。その、あれから調子はどうだい?』
「え、えっと!その!大丈夫です!本当に!絶好ちゅぉうです!!」
時刻は現在22時半。幸い家にいたからよかったもののもしこの電話を職場で受けていたらテンションのおかしな司を晒す事になっただろう。
『ははは。そうか。ところで君の予定を聞きたいんだが、次の非番はいつだい?』
「え?っと、明日は休みですけど・・・」
『そうか。では一緒に食事をしないか?』
「・・・・・えっ?」
突然すぎる提案に思考と心が置いてけぼりを食らったが電話の向こうでは彼が少し咳払いをして声のトーンを落としながら経緯を説明してくれた。
『いや。先週君は大丈夫だと言っていた。そして今日の電話でもそうだ。しかし私から見ると少し無理をしている風に感じるのだよ。だからあげは嬢も相談に来たんじゃないかな?』
「・・・・・」
意外な指摘に思わず言葉を失う。しかし大丈夫なんて言葉は誰もが気軽に使うものではないのか?
『なので私の意思で少し君と接してみようと思ったんだ。迷惑なら遠慮なく断ってくれて構わない。』
「い、いえっ!!是非お食事にいきたいです!!!」
少し声が大きすぎたのを後から反省するもこの時はただ必死だったのだ。この一週間、あれほど心に刻み込んでいた直球勝負はその手前でいっつも物怖じして引き返してきた。
我ながら情けないと自己嫌悪に陥っていた所にこの電話を貰ったのも運命なのだろう。であればこそ、こちらから勝負を挑めないのであれば真っ直ぐに答えるくらいはすべきだ。
『おお!思っていた以上に快諾してくれて嬉しいよ。では・・・最初だし待ち合わせといこうか。シンジュク駅あるた前とかだと若者だらけかな?』
「いいえ!そんな事はありませんっ!!そこにしましょう!!」
『そうかい?では10時によろしく頼むよ。あ、言っておくけどあまり気負いはしなくていいからね?実は前回のお詫びもと考えているから。』
本当に一瞬だった。少しのやり取りと約束をしただけですぐに至福の時間は終わってしまったものの司の感情はぐんぐんと天に伸びていく。
(や、やった・・・やったぞ・・・うふふ・・・ふはははははっ!!!)
実際の所まだ何も成し遂げていないのだがメッセージすら送れなかった状態からいきなり2人だけの食事が確約されたのだ。そうなるとテンションは止まるところを知らない。
「・・・あっ!ねぇ愛美!!あれから燃滓さんに連絡したりした?え?仕事中?いいから少しだけ聞いてよ!あのね、私2人で食事に行くことになったの!うん!明日!!」
居ても立っても居られなくなった司はまず仲人役でもあった愛美に喜び勇んで電話をすると終いには業務妨害だと切られてしまった。
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