軽度の熱
愛だから
退院2時間前、二夏ちゃんは親に用意したサプライズの確認をしていた。見直すのはこれで3度目だけど何か修正している感じではない。単純に不安なのだろう。
「大丈夫」
「そう何度も何度も確認しなくとも、思いの伝わる良い手紙だと思いますよ。少なくとも私にはそう読めます」
手紙に綴られているのは、親への感謝やこれからの人生への希望、そういった読むだけで涙腺を刺激するような文章。ただの赤の他人である私が読んでも泣けるのだ、この子の親なら体中の水が干上がってしまうだろう。
この手紙が虚言、虚構で構成された作品であると知らなければ。
「それでも……まるっきり嘘ではないのでしょうけど」
「何か言った?」
独り言が漏れてしまっていたみたい。
「いえ何も言ってません。ただ……これからが心配だなって思っただけですよ、主に社会人時代が」
「本気?余計なお世話」
何故なら二夏ちゃんは、ひと月もしない内に―ぬ、というのが医者の見解なのだから。
◇◇◇
「お母さんのごはん食べるの久しぶり!すっごく楽しみ!」
僕が病院を出るのは4年ぶりくらいだ。前回は2週間くらいでまた体が悪くなって病院に逆戻りだった。
「ええ、うれしいわ。お母さん張り切っちゃうから、なんでもリクエストして、あなたの為なら頑張るわ」
とても優しい母。毎日お見舞いに来てくれた、良い人。
「明日からはどこにだって遊びに行けるぞ。行きたい場所があれば教えろ」
とても強い父。沢山希望の言葉を掛けてくれた、良い人。
「えへへへ。病気が治って良かった。だってこれからは、自由で平穏で楽しい日々が待ってるから!」
なんて話しながらの帰り道。数十メートル先に倒れている人がいた。それを見た僕は衝動的に駆け出した。
倒れている少女の状態を確認する。出血はしていないが顔色が悪く呼吸も弱々しい。このままでは本当に死んでしまいそうだ。
「大丈夫ですか!お父さん早く救急車を呼んで!」
「ああ、もちろ……」
少女に近づいた父は、喉を詰まらせたように黙り救急車を呼ぶ手を止めた。どうしたの?
「武さん、これってまさか……」
母は見てはいけないものを見てしまったとばかりに動揺を露にする。「これ」って何?
「どうしたのお父さんお母さん!はや……」
「病院は駄目だ、家に連れて帰る。俺はこれを家まで運ぶから、悠梨は二夏を頼む」
父は僕の言葉を遮るように動き出した。
◆◆◆
「ん、ぅん……?」
なんだ、意識が……朦朧と……。何故我は寝ているのだ……、たしか……逃げていた筈だ。ならば捕まったのか?いや、視界に飛び込む天井には見覚えがない、つまり此処は我の屋敷ではない。では此処は何処だ?
「大丈夫!ですか?あの……」
聞き憶えの無い子どもの声だ。幼い声の主を見てみれば、本当に小さく弱々しい体つきで、角や翼、尻尾もない。つまりコイツは我と同じ魔人ではなく人間の子供だ。其の声から安堵と緊張が読み取れるが、其れは何故だ?
此の身を拘束をせずに寝かせているのは?倒れる前に感じていた息苦しさを感じないのは?抑、何故未だに我は生きているのだ?
「貴様らは我に何をする心算だ」
我は疑問が尽きなかった。せめて救われた事に明確な理由が有れば、我も多少の恐怖心は和らぐだろう。
「ええ、あ、僕は夜鷲二夏と……いう者です。僕はあなたが……あなたに元気になってほしかっただけなんです」
元気になってほしかっただけ?そんな訳は無い!人間と魔人の長年に渡る確執を知らない生物を我は知らない。よって信用に値しない。抑々、信用出来ない最たる理由はこいつの纏う気配だ。
「それと、お願いなんてすけど……あなたのお名前を教えてくれませんか。できればあなたのことを名前で呼びたくて」
こんなやつに教えてやる事はないが。
「我の名はマリーだ、呼び名ならそれで十分だろう?人間」
「ありがとう!ま、マリー。えっとね……」
我の周りには「嘘」を纏う者か、それすらしない者のどちらかだけだった。こいつは前者だ、それも飛び切り上手く隠している。
「貴様、何時になったら其の分厚い仮面を外す積もりだ?」
「えっ?」
尻尾を出すのが早すぎるな。こんなにも分かりやすく動揺されれば、こいつの化けの皮も薄いのだと見て取れる。きっとこの人間は今まで上手く隠してきた故に周りから疑われる事すら無かったのだろう。
「我に対して無理に演技する必要はない。損な事はするだけ無駄、だろう?」
「……」
「時間を無駄にするな。早くしろ」
数秒の沈黙の末、深呼吸をしてからやっと喋り始めた。
「本当にこれでいいの」
起伏が無く低い声、それに見合う無表情。これがこいつの本性だとすれば面白い、面白いが……。
「なんだ、良いじゃないか。其の方がいっそ清々しい。だが、それだけじゃ辻褄が合わないだろう?我を助けた真の目的はなんだ?」
「僕の目の前で死んでほしくなかったから」
「……」
「……僕はもう死ぬ。正体不明の病のせいで。だから、せめて僕以外の人には長生きして欲しい。」
我は正直言って信じられない。
「だが嘘が、裏が見えない」
どうしてだ?
「本当に其れだけなのか?ただ我の身を案じて助けたと言うのか、貴様は」
「ごめん。正確には父と母が助けた。僕は見ていることしか……」
目の前のこいつは心底悔しそうに俯いた。其れでも尚変わらないその表情が、余計苦しそうに見えた。
「少しだけ、我の話をしよう。これは釈明だ。そして体の良い言い訳だ」
我は先天的に呪いを持ち、それを力として振るう稀有な魔人の一族に生まれた。歴代史上、最も強い「呪い」を宿して生まれた我に周囲は大層期待した。これの才能が有ればいとも容易く人類を滅ぼし、他の魔人族を統べる事も出来るだろう、と。
然し、そうは成らなかった。
期待された強大な「呪い」は我の身を蝕んだ。周囲の魔人は、我が成長すれば呪いにも適応できるだろうと高を括っていたが、「呪い」に適応するどころか「呪い」は悪化し一人で生活する事すら困難になった。
結果、どう成ったと思う?
「語るまでもなく、待ち受けていたのは孤独のみだった」
「……」
「我の宿した呪いはやがて我が身を滅ぼした後、無差別に呪を振り撒く。……我を助けたいのであれば、我の体を人里から遠く離れた場所に運べ。そうすれば貴様は、貴様の家族や親しい者を助ける事ができるだろう」
「それは、今すぐ?」
「勿論。この体の状態は不安定だ。何時起爆してもおかしくはない。確実に助けたいのであれば、さっさと山の中に棄てることを推奨する」
……そう言えば、人と喋る事すら久々ではないだろうか。最期に喋るのは親か暗殺者のどちらかだと思っていたが……。まさか人間に助けられ、剰え我の身の上話をすることに成るとは夢にも思わなかった。人間に優しくされるなんて、考えもしなかった。
魔人も人間も、本質は余り変わらないのかも知れない。
「我はもう寝る。好きにしろ」
次に目覚めるのは何処だろう。草原か、山か、海か、それか目覚める事すら無いかもな。
「…………」
◆◆◆
眼の前で眠り始めた少女、マリーの語った過去は僕の今と似ていて、けど決定的に違って、でもちょっと同じだった。
「……そんな事言われても、素直にそうするわけ無いよ」
僕は父と母に相談した。2日後、マリーを研究施設に送るらしかった。それが彼と彼女の仕事で、僕にはどうする事も出来ない。
ならばせめて、楽しい思い出を残してあげたい。孤独のままで終わらせるのは可哀想だ。僕に出来る限りの事をする。
「それが僕の……」
……。……。……。
少女が目を覚ます。
「おはようマリー、体調はどう?」
マリーは困惑しているようで言葉に詰まっていた。
「朝食は何にする?パンかお米、マリーはどっち派?パンだとブルーベリージャムか目玉焼きがあるし、お米だとお味噌汁と卵焼きセットとか用意出来るよ」
マリーは呆れたような表情で口を開く。
「貴様、正気か?阿呆なのか、そうなのか?」
「何を言ってるの?ほらほら早く!パンかお米、ブレッドオアライス。どっちにするの?」
捲し立てた。
「ぱ、パンで頼む……」
余りの剣幕に気圧されて、マリーはパンを選んだ。
僕はちょっと待ってて、と言って朝食の用意をしに行った。
「お待たせ!冷めない内にゆっくり食べてね」
様々な疑問を隠そうともしないマリーの目に僕は一切心当たりがないので、無視した。
しかし余りにも熱心だったので一つ思いついた。
「あ、もしかして食べさせて欲しいの?先に言ってよ、あーん」
僕のあーんに対してマリーは必死の抵抗をしてみせた。きゃっ手が当たっちゃった!
「何が「きゃっ」だ、昨日の感情が壊れたような喋り方はどこにいったんだ!?もしや偽物か?!」
こんなにも尽くしている僕に対して相当に失礼なことを言っている自覚があるの?僕は正真正銘、夜鷲二夏。それ以外の何者でもないよ。
「だから昨日の貴様はどこに行ったのだ……」
なんかしゅんとしてしまった。ドキッ。
「違うの、綺麗な僕だけを見せたくて……」
「何を恥ずかしそうにもじもじしてるんだ」
マリーはベッドに体を完全に預け瞑想した後、上体だけ起こして一言。
「早く寄越せ」
はい、あーん。
「違うわ!その器ごとに決まってるだろうが」
えぇー、とひどく残念そうに一芝居打ってから、不本意だけど大人しく渡した。
もくもくと美味しそうに食べてくれているのを見ていると、僕が作った訳でもないのに胸の中を幸福感が埋め尽くす。
「ええい、じっと見つめるな。鬱陶しい」
焼いたばかりのパンを頬張る彼女の瞳はキラキラと濡れていた。
「美味しい?」
「……あぁ」
こんな事で彼女の好感度を上げてしまうのは少々、卑怯かもしれない。
「それは良かった」
でも、マリーのこんな表情を見るためなら、僕は幾らでも卑怯をしよう。
……。……。……。
「それじゃあ、お風呂に入ろうか」
僕は先程まで遊んでいたトランプを片付けながらなるべく自然に切り出した。
「?」
しかしマリーは首を傾げてしまった。もしかして、「風呂」が分からないのか?……はふふ、都合がいいね。にやにや
「なにをニヤニヤしとるんだ。気味が悪いぞ」
マリーが薄目で僕を見ている。どうやら疑っているらしい。まあ関係はない、実行あるのみ!
「よし!いくよー」
「な、なんだきさまー!」
といった具合で無理やり脱衣所に押し込み「脱がしあいっこ」を遂行しました。しっかり定番イベント(意味深)をこなしてきました。
僕的には恥ずかしがっている様子がとても「良かった」です。報告は以上。
……。……。……。
「貴様……、許さん」
興奮冷めやらぬご様子で、僕は満足です。
「体を綺麗にするために必要なことだから、仕方ないんだよ?」
両手で顔を隠しながら言う。
「だからと言ってあんなに密着する必要は無かっただろ!」
それはもうタコのように念入りにくっついていましたとも。
「そうかな?でも体は洗えたしいいじゃん」
「は〜、もうよい。それより貴様お」「マリィ〜」
巻き付くように抱き着く。あ〜好きな子が僕の服を着て同じシャンプーの香りなのさいこーだ〜。
なんて考えながら、全身を撫でるように触る。都合の悪い思考を洗い流す様に、徹底的に。
「なっ、何を!」
マリーの頬はみるみる紅潮してゆき、頭から湯気が出ている。
マリィーー好きだよ〜、愛してるー。
「だあれい!」
ぼこぼこぼこぼこ。
◇◇◇
巻き付きセクハラのお陰でしっかり四発貰った僕は、1時間は口を聞いてもらえなかった。さらに抱き着こうとすれば、マリーは拳を構えた。
このままでは関係改善は絶望的だと思った。
ならばと「作戦デルタ」の実行準備のため部屋を出た。
「マリー、お菓子は好き?沢山用意してきたんだけど……」
そう言って部屋に入るが、マリーは全くこちらに顔を見てくれなかった。部屋を出るまでは横顔だけでも向けてくれていたのに。
「まりー?」
「……」
回り込んでみても、マリーも回り顔を見せてくれなかった。どう見ても、さらに機嫌が悪くなっていることは明白だった。
この時初めて「やらかした」と、この五文字が脳内に走った。「作戦デルタ」は失敗、今回は「作戦アルファ」が成功だったのかも、とか。意味のない無駄な逡巡が焦りと共に巡り、
「マリー、……僕のこと本気で嫌いになった?もうしないから……」
出来るだけ言葉を尽くそうとした。
その時、彼女は少しだけ振り返り、横目で静かに僕をみていた。
「本当にごめん」
この瞬間、これ以上言葉を口にしてしまえば、自己中な気持ちの悪いものが出てしまいそうで。
「……。はぁ、そうやって。さっさと素直に謝れば、我も素直に赦してやれるのに。どうしてなのか……」
彼女の言う事はご尤もだった。僕は調子に乗っていたのだ。好きな子とずっと居て、正直浮かれていた。
「愚か者め、我は一生貴様を赦さん。……それでも赦されたくば、責任を取ることだ」
この時僕は、「ありがとう」などと宣った。
赦して貰うた為ならば何でもしよう、とか考えていた。
マリーが願えば家族でも裏切れる、と。
この時はまだ、一緒に居られると、思っていた。
ここまでが彼女との思い出らしい。
……。……。……。
僕は手に握られている刃物を見て、そこからこちらに伝う血液を眺めている。
耳鳴りがする。興奮している。絶望している。混乱している。段々と手を包む力が喪われていく。
現実じゃない。夢だ。それも飛び切り悪いやつ。
だって、
刃を伝う肉の感触も、
体外に出た血の温かさも、
止め処なく溢れ続ける感情も、
僕の思考に反して体を動かしたこの力も、
全部、ぜんぶしらないのだから。そうぞうしようがないのだから。ゆめでないのだから。
悪夢じゃない。現だ。それも飛び切り悪いやつ。
げんじつ、かこ、けっか、既に不変の事実となった。
呼吸が荒くなる。喉が発狂の支度を始めた。
青く染まった手のひらが見えた。
彼女の胸から刃物が抜け落ちていた。
異常に囚われて、正常を見逃した。
彼女の胸から血液がドクドクと。
かんがえてはいけないきづいてはいけないさとってはいけない。
眼の前の少女は僕の肩に腕を引っ掛ける様に抱き着く。
「我は、ブラックローズ家、の失敗作。名を、マリエル・カース・ブラックローズ、という。それが、き、さま、を、ニナを、呪う者だ」
「このよで、もっ、とも、ありふれ、ている、呪い、は、――だか、ら」
囁き声は途絶え、左肩に感じていた重力は消え、腕は虚空を抱いていた。
耳障りな音が耳を刺す。
『人類最初の人類キルを確認』
死の間際、というものを今感じている。
一生赦さない、と、嘘を吐いてまで我を刺させた。
我の名乗りは格好よく出来ただろうか。
我の、本当の名を、二夏は忘れないでいてくれるだろうか。
我は死ぬ。
我の一生が終わる。
でも、
我の呪いは続く。
我の――は消えない。
嗚呼。好き、と、伝えるのを忘れていた。
でも、悔いじゃない。
きっと、