第三話 結界師、ブチギレる
その影だけで一軒家を覆えるほどの大きさだ。
真っ黒な鱗は太陽の光を受け、黒真珠のように煌びやかに輝いている。
『シエル殿!』
「わかってる!」
シエルは水鉄砲を構える、だが――
「《我が指揮に従い! 雷撃をくだせ!》」
鉄マスクの女が人差し指をシエルに向けると、細い3本の雷がシエルに向かって伸びてきた。
「この!」
雷を横に飛んで躱す。
「そらそら! まだまだぁ!!」
鉄マスクの指の動きに従い、雷が迫る。
細い雷撃だが浴びれば動きが鈍る。懸命に躱すと、
――全身を影が包んだ。
『潰れろ』
ジークの前足がシエルを踏みつぶさんと迫る。
シエルは上に水鉄砲を向け、すぐさま引金を引く。
――ヒュン!
銃口から噴出した水の塊はジークの前足を容易く貫いた。
『ぐっ!?』
ジークが怯んだ隙にシエルは地面を転がる。
ジークの前足が誰も居ない地面を蹴り砕き、砂塵を巻き起こした。弾かれた礫が頬を裂き、砂塵がシエルを包む。
(今だ!)
砂塵で身が隠れ、鉄マスクの女とジークが自分を見失ったした隙にシエルはすぐ近くの酒場の影に飛び込んだ。
シエルは頬の傷口から流れる血を、右手の人差し指と中指ですくいとる。
『シエル殿! 一体なにを……』
「僕の能力を使う」
シエルは血のついた指で自分の周囲に四つの赤い点を付けた。
「“消”、“隠”!」
屈んだシエルをギリギリ囲い込めるほどの結界が発動した。
『こ、これはもしや! 結界というやつでござるか!?』
「……僕は結界師なんだ。自分の血液で4つの点を作り、その点を線で結んで囲んだ範囲に立方体の結界を発動させることができる」
ジークが地面に降り立つ。
騒ぎを聞きつけ、住民たちが集まり始める。
「どこだ!? どこにいった!!」
大声を上げながら鉄マスクの女性がシエルのすぐ側にきた。そして、視線をシエルに合わせる。
シモはバレると思った。しかし、
「くそっ! どこに逃げやがった!」
鉄マスクの女はすぐに視線を外し、素通りした。
『どういうことでござるか? まるで拙者たちが見えていないような……』
「僕は作った結界に2つ効果を乗せることができるんだ。いま付けたのは結界内の好きな対象を結界の外から見えなくする“隠”、もう1つは結界の魔力反応を消す“消”だ。隠れるのにうってつけの組み合わせだよ」
もしも鉄マスクの女がシエルのことを結界師だと認識していれば、対抗策もあるだろう。だが彼女はシエルを知らない。シエルの素性を知らない状態でシエルの存在に気づくことは困難だ。
(ここで奴らがいなくなるのを待とう。あんな化物、相手にするのは無理だ)
『しかし、先ほどの竜殺しというワード……そしてジークという名前。もしやあの竜は、ジークフリートでござるか?』
「知り合い?」
『拙者が一方的に知ってるだけでござる。ジークフリート、数々の竜を殺した英雄でござるよ。アニメで習ったでござる』
(あにめ?)
話の途中で、シエルの耳に巨大な羽音が届いた。
「なんだ?」
羽音は空に昇っていく。
見上げると、ジークが高く高く飛び上がり、口に炎を溜め始めていた。
「聞こえるか白髪ぁ! 出てこないなら、そのまま塵になりなぁ!」
ジークの背中から鉄マスクの女の声が響いてくる。
「まさか」
彼らがなにをしようとしているかは容易に想像がつく。
「ここにどれだけの人が居ると思っている!!」
彼らがやろうとしていること、それは、
――無差別の火炎放射だ。
ドラゴンに怯え、逃走する人の群れが表通りを走るが――もう逃げ切るのは無理だろう。
「やらせるか!!」
シエルは結界を消す。すると、結界の起点となった血の跡が消えた。
シエルは立ち上がり、水鉄砲を構えて引金を引く。だが、銃口から水は出なかった。
『シエル殿! 内蔵した水が底を尽きたでござる!』
(しまった! さっき水の補充を十分にやってなかったから……!)
――水の補給は間に合わない。
「くそっ!!」
シエルは再び血の印を4つ打ち、しゃがんだ。
「“壁”!!」
結界がシエルを覆う。
「きゃっ!?」
表通りで、1人の女の子が転んだ。
10歳ほどの女の子だ。
「やめろ……」
シエルは手を伸ばす。
「誰か、たすけて……」
膝をすりむき、少女が涙を流すと同時に、
「やめろおおおおおおおおおおおおおおぉ!!!!」
――火炎の波が降り注いだ。
「――っ」
火炎が街を呑みこむ。
少女は一瞬で黒く染まり、消えてなくなった。
多くの悲鳴が、一瞬でかき消えた。
あっさりと命が消えていった――
無情な沈黙が訪れる。
『なんてことを……なんてことを!!』
シエルたちは結界によって炎を退けているため無事だ。
“壁”は普段は触れることのできない結界を実体化し、壁にする効果を持っているのだ。
「……」
炎が止み、ジークが降りてくる。
建物も、人も焼き消え、更地となった。川だけが残っている。
シエルは結界を消し、立ち上がる。
「そうかお前、結界師だな?」
ジークの背中から鉄マスクの女は話しかけてくる。
「微かに結界の魔力反応が見えたぞ」
“壁”の結界に“消”を付与しなかったために感知されたのだ。
結界は魔力の塊。“消”を使わなければこうして視認せずともバレてしますことがある。
「タネが割れちゃ、もう終わりだね。すぐに楽にして――」
「なぜだ」
「あぁ?」
「転生者が他の転生者を屠りたいのはわかる。だけどなぜ、お前は手を貸している? お前に利益はないだろ」
「私の略奪にこいつは手を貸す、代わりに私はこいつに手を貸す……そういう契約をしたのさ。私は盗賊で、ずっと人から盗んで生きてきた。私の信念は1つ、『使える物は使う』。例え転生者だろうと、有益なら使うまで。逆に言えば、使えない物はどうなろうと知ったことじゃない。いま死んだ連中のようにね」
シエルは床に落ちていたガラスの破片を手に取った。
「正当な理由なんてあるわけがないか。これだけの犠牲を出して、やりたいことは私利私欲を満たすことだけみたいだな」
「説教でもするつもりー? 私、そういうの大っ嫌いなんだけど」
「違うよ。説教は、正しく生きてほしい相手にするものだ。……今から死ぬあなたに必要はないでしょう?」
シエルは手に握ったガラスを強く握りしめ、血液を滴らせる。
「なーに、あんた怒ってんの?」
「あはは……」
シエルは手から溢れた血を、水鉄砲の穴に注ぐ。
「――ブチギレだ!!」
ガラスを手放し、水鉄砲を持って走り出す。
水鉄砲の中には熱く滾った血液が流れている――