プロローグ 結界師、水鉄砲を見つける
「“消”、“隠”」
青年が呟くと、三階建ての一軒家の上を透明な結界が覆った。
屋根の上――結界の中心には屋根と同じ赤色の布を被った2人の青年が伏せている。
「おっけ、結界構築完了。もう外から僕らの姿は見えなくなったよ」
白髪の青年は布をとり、立ち上がって言った。
「まったく、いつもながら恐れ入る能力だな」
黒髪の青年も布を取って立ち上がった。
黒髪の青年は背をググっと伸ばし、背負っていた弓を手に持つ。
青年たちがいる建物の前の大通りでは大勢の人間が並び、歓声を上げている。
「聞こえるかシエル。この悲鳴が」
「うん」
歓声を悲鳴と揶揄する黒髪の青年に、白髪の青年――シエルは同意した。
歓声をあげている民衆の顔は引き攣った笑顔ばかりだ。これからこの道を通る飼い主に、必死に媚びている顔である。
「おっと、来たぞ。皇帝様だ」
無蓋馬車が道の先からやってくる。
馬車の上には髭を蓄えた男とその夫人が乗っている。〈スパルナ帝国〉の皇帝と皇后だ。
「……革命戦争の最中に呑気に凱旋パレードとは、緊張感のない人だね」
「まさかここまで我らが潜入しているとは思ってないのさ。それにシエル。革命戦争とは、革命軍が勝利した戦争に名付けられる。まだこの戦いに革命の名は付かない」
黒髪の青年は矢筒から矢を取り、弓矢を構える。
「もっとも、時間の問題だがな」
標的は皇帝、ただ1人。
「シエル。逃走ルートの結界も起動させろ」
「わかった」
「……よく見ておけ、シエル」
青年は笑う。
「平和はこの矢から始まる」
「外さないでよ?」
「愚か者。誰に言っている」
馬車の周囲には多数の護衛兵がいる。
彼らは探知魔術を使い、周囲に細心の注意を払っているが、誰も一軒家の屋根の上で大胆に弓矢を構えている青年に気づかなかった。否、気づけなかった。これが、2人を囲っている結界の効力。
「さぁ」
黒髪の青年は弦を引き、そして――弦から指を離す。
「開闢の刻だ」
◆◆◆
「……またあの日の夢か」
ベッドから上半身を起こし、シエルは窓の外を見る。
太陽がいつも以上に頑張っている。窓越しでも眩しいほどの輝きだ。嫌な夢に嫌な気温、しかも家の一歩外は森だから虫の鳴き声がうるさい。この1年で最悪の目覚めだった。
「お腹減った……」
腹の虫が外の虫に同調するように鳴いた。
シエルはリビングへ移動する。
食糧庫を覗くと、バナナのヘタと玉ねぎの皮だけが落ちていた。
「海に食べ物を探しに行くかぁ」
誰もいない家で呟く。
海へ出かけることにしたシエルは暑苦しい白のコートを羽織った。
(暑いけど仕方がない、魔獣にでも襲われたら大変だ)
このコートは衝撃を吸収する繊維で作られており、いざという時に鎧代わりになってくれるのだ。
――この森には魔獣も出る。
そう、魔獣が出る危険区域なのだ。
なのに、シエルは一軒家を堂々と建てている。
例え城を建てたとしても安心できない場所で、彼はボロボロの木の家で寝泊まりしていた。
トラップも城壁もない。なのに彼の家は無傷だ。
彼の家のセキュリティは家の周囲に打ち込まれた4つの真っ赤な杭のみ。
その杭を点とし線を結ぶと、家を囲むように正方形が出来上がる。シエル視点では、その正方形を起点に立方体のガラスのような膜が家全体を覆っているのだが、この森の虫も動物も魔獣も、それを認識できない。
ちょうど立方体の1歩外にいるリスは、すぐ近くまでシエルが来ているのに呑気にリンゴを齧っている。シエルが立方体から1歩外に出た瞬間――リスはお化けを見たかのようなリアクションを取り、リンゴを捨てて去っていった。
シエルは食いかけのリンゴを拾い、齧りながら森の外を目指す。
「蟹でも食いたいな」
森を出て、海沿いに出る。
食糧を求めて海辺を歩いていたシエルは海から何かが流れてくるのを見つけた。
「なんだろう? ゴミかな?」
その出会いは唐突で、
そして運命的だった。
それこそ、世界の命運を左右するほどの――小さな出会い。
『うおぉ~! 異世界転生成功でござる! エルフっ娘は、ツンデレエルフ娘はどこでござるかぁ~!!』
「……」
シエルは生まれて初めて水鉄砲に出会った。
……それも、喋る水鉄砲だ。