第一幕 或る悪魔 (1)
人は愚かだ。
ヴィクトールは嘆息した。
なみなみと注がれた熱い紅茶を派手に引っ繰り返した老人を、空虚な目で見上げる。
体を預けたソファーはそこそこの座り心地、老人が若い女に淹れさせた紅茶は薫り高く上等な銘柄のものだが、ヴィクトールの気分を上昇させるには至らない。
「や、約束が違う!」
毛足の長い絨毯の上で、高価なアンティークカップが砕け割れた。
ヴィクトールは眉を寄せた。
今回、この品を手に入れるために老人に力を貸したというのに。
つくづく愚かな老いぼれめ。
ともあれ、ヴィクトールは激高した老人をよそに、せっかくの馨しい香気をゆっくり楽しんでから優雅に紅茶に口をつけた。
「どこが違う?」
「どこがだと⁉」
「貴様が言ったんだろう。――手に入るのなら、命さえ惜しくない、と。それとも聞き間違いだったか」
高慢な仕草で顎を上げてみせれば、老人はたちまち顔色を変えた。
「呆けてはいないようだな。どうやら覚えはあるらしい」
ヴィクトールは長い足を組み替えた。
「僕は確かに尋ねたはずだ。『手に入るなら、何と引き換えるのか』と。貴様は命と答え、契約は結ばれた。そして僕は貴様の望みを叶えた。契約は履行されなければならない」
まあ、多少騙し討ちのような真似になったことは否めないが。
そもそも悪魔と取引をしようというような人間が、騙される方が悪いのだ。
深い皺の刻まれた顔を蒼白にして震える老人に、ヴィクトールは彼と出会ってから初めて笑顔を浮かべて見せた。
にぃ、と薄い唇の端が持ち上がり、滲み出る期待と愉悦に漆黒の瞳がきゅうと収縮する。
「……ひぃ⁉」
ヴィクトールの笑顔を目にした老人は、恐怖に震えあがって逃げようとした。が、数歩も行かない内に、何かに突き飛ばされたかのように、突如仰向けに倒れた。
そのまま、びくんっ、と痙攣する。
「や、止めてくれ、息が……っ」
喉を押さえ、枯れ木のような体の老人が床でのたうつ様を見て、ヴィクトールは嫌悪に顔を歪め、吐き捨てた。
「醜い」