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嫌な孫

作者: 阿部綾人

 その日、祖父が死んだ。


 思い返してみれば、何年か前、祖父の手が震えていることに、遊びに行った親戚が気づいたのが始まりだろう。そこから1か月も経たない内に物忘れもひどくなっていた。


 そんな状態の祖父を追い打ちをするかのように認知症を発症し、私の顔を忘れるのもとても早かった。息子、娘の顔は覚えていても孫の顔は覚えていなかったのだ。


 18回目の誕生日を迎え、大学生になっていた私は、正直、どうでもよかった。


 認知症?勝手に外に出歩く?どうでもよかった。


 確かに心配はした。祖父が認知症になった時は年を取るって怖いな、と思ったし、勝手に外に出歩いて一日帰ってきていないと聞いた時は流石にまずいのではないかと感じた。だがそれは、内心に「面倒ごとを起こさないでくれ」という気持ちがあったのが事実だ。いや実際そうとしか思っていなかった。


 昔から「おじいちゃん家行くよ」とか、「正月だから実家に戻ろう」といった、古臭い考え方が嫌いだったのだ。だからこうした病気などの有事の際に家族で実家に戻りたくはなかった。時間の無駄だし、朝早いし、ゲームしたいし、って思っていた。


 ちょうど祖父が死ぬ1か月前、彼は危篤の状態に陥った。


 今でもしっかり覚えている。それを聞いた時、私は「バイト入ってるな…」と思った。


 礼服も買わないといけないし、塾のバイト先で使っていた靴もいつ使うかわからないからバイトから持って帰ってきて持ってきての繰り返し。一番嫌だったのは危篤状態が続く限りバイトは控えるようにと親から言われたことだ。


 いつ死ぬかもわからないのにバイトを抑えろと言われた、バイト戦士だった私は、まぁ、オブラートに包んで言うが、早く眠ってほしい、そう思った。


 本当に嫌な奴だった。この内心を身内に話したことは一切ないし、今後も一生、話していくことは絶対ないだろう。だが、性根の腐った醜い糞野郎であったことは確かである。


 そして祖父が死んだ。突然だった。人工呼吸器でなんとか永らえていた命だったが、肺に二酸化炭素が溜まり、そのまま息を引き取ったようだ。原因は不明である。現代医療が進歩したこの世界で原因が不明なんて、と煮え切らない思いを私は抱いていた気がする。


 祖父が死んで1日が過ぎ、流石に四の五の言わず、実家近くの安置所へと向かった私は、久しぶりに祖父と対面した。


 その時のことは鮮明に、とてもよく覚えている。


 父によって顔伏せの白い布を捲られると、祖父の顔が見える。祖父は白く、薄く化粧をされていた。決して安らかな顔であるとは言えず、顎も重力の関係で落ちてしまっていた。顔を触ると、まるで雪を触っているかのように頬を指で沈めさせる。生前から毛は少なかったが、死ぬ前にたくさん抜けたのだろうか、毛根はあまりなく、頭を触ると冷たく、そして少し濡れていた。


 自分の涙で、濡れていた。


 止めどなく溢れる涙を、止めることはできなかった。


 手は言うことを聞かず、祖父の頭から離れようとしない。


 自然と言葉が溢れる。


 「ごめんなさい、ごめんなさい、何もできなくて、ごめんなさい…」


 もっと話したかった。将棋も囲碁も打ちたかった。目の前のことしか見ていなくて祖父のことを何も知らなかったし、顧みていなかった自分が本当に嫌になった。


 言葉にできなかった。もっと色々言ってあげたかった。出た言葉は、疎ましく思っていてごめんなさい、であるべきだった。


 追い打ちをかけるように、祖父の顔に手をつけて泣く私の隣で、祖母は「いつも助けてくれてありがとうね。色々お世話になりました」と言った。


 --私は何もしていない、何も出来ていない、精々来たときに認知症の入った祖父と話していただけだ。


 声に出して異を唱えたかったが、出たのは嗚咽交じりのかすれ声だけだった。


 何も言えず、通夜、葬儀、告別式を迎える。


 そこでも何も言うことなく終わった。終止涙を流していた私は、他の参列者に、さぞ祖父に思い入れがあるのだろうと感じさせていただろう。


 そんなこともしていない自分に対して、私は悔しくなり、嗚咽交じりに泣いてしまった。


 そして火葬場、ここまで来ると涙はひいていた。骨を拾い、あとは持ち帰るだけだったが、親が費用面について話すため時間がかかるそうなので外へ一度出た。


 一日中雨ではあったのだが、それに増して土砂降りの大雨になっていた。


 熱い体を冷ますのには十分だった。横殴りの雨が降る中、私はその雨に突っ込んでいったのだ。とても気持ちがよかった。思えば冷静になれていなかったのかもしれない。疲れた体を癒すように私の全てを委ねた。


 心の整理がついた頃、雨はとっくに止んでいた。蒼が広がる空に、虹が二本かかっていた。


 泣くなと、前を向けと言われているような気がした。これからも、決してこの思い出は色褪せることはないだろう。


 そして今、私は父の死を目の当たりにしている。


 それこそ私の祖父のように、認知症もしていなければ体もすこぶる健康だったが、不慮の事故で死んでしまった。


 突然の死に、涙し、思いを馳せた。


 私には今、家族がいる。私の息子はもう16歳。思春期真っ最中である。


 私と同じくあまり祖父祖母と関わりを持ちたがらず、内気な少年であった。


 今、私は私の父がしてくれたように、父の顔伏せの白い布を捲る。


 息子は何を感じてくれるだろうか。願わくば、私は、開くであろう息子の心の穴に寄り添える人でありたいところだ。

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