蝶を罠へ掛ける。
君を永遠に俺の罠へと掛けていたかった…。
この日も
空から雨粒が降り注ぎ...
涙と混じり合い、どちらの雫なのか分からないぐらいの悲しい日だった...。
その日俺は、美しい蝶が雨の波紋がついた罠にかかっているのを見つける。
身動きが出来ずに震えていた。
そっと罠をほどき...青い羽を指で優しく掴み、
苦しみから救い出した。
青い蝶は羽についた雨粒をキラキラ輝かせながら...
雨空へと飛び立って行った。
...それはそれは美しい光景...。
俺はいつもの様にしかめ面をしながら、
ろくろを前にする。
コンテストまで後一週間。
これがたぶんラストチャンスだ。
いつもの事だが、これといったアイデアも出ない。
よく芸術家が、突然パッとアイデアの神が降りてきたとかいうが...そんな事は滅多に無い。
はぁ〜...長いため息をつく。
その時。
コンコン!
扉を叩く音がする。
「はい!」
扉を開けたそこには...
美しい青い瞳をした女が立っていた。
色白で艶やかな黒髪...
抱き締めたら折れてしまいそうな細い体...
そして、キレイな蝶の付いた藤色のワンピースを着ている。
一瞬で...彼女の虜になった。
時が止まったかの様だった。
その空気を優しく掴み込む様に...
「あの...迷子になってしまいました。当分の間、ここに泊めて頂けませんか?」
と彼女が呟く。
胸が高鳴る。
「ここで良ければ、どうぞ。」
...何を言ってるんだ?俺は。
これは夢か?幻か?
今までのつまらない日常が
一瞬で幸せな日常へと変わる...。
美しい女は毎日美味しい飯を作ってくれた。
特に唐揚げは最高だった。
「亮介さんは本当に唐揚げが好きなんですね。」
「うん。アオイの唐揚げは日本一だ。」
俺が口いっぱいに唐揚げを頬張っていると...
彼女は幸せそうな顔をして見つめる。
俺も幸せそうに微笑み返す。
夢の様な時間だった。
「アオイは何でここに来たんだ?」
「...」
彼女は自分の事は何も話さなかった。
「あなたの側に居たいだけ...。」
と言うだけ。
そう呟く彼女がとても愛しくて...
ぎゅっと腕の中に包み込む。
もう少し強く抱き締めると...折れてしまいそうだ。
俺は彼女に恋をしている様だった...。
コンテストまで後4日。
またろくろの前でしかめ面をする。
「どうしたんですか?亮介さん。」
「コンテストに出す作品が浮かばないんだ...。」
「ずっと落ちてばっかで、作品も売れないし...このコンテストで賞を取れなかったら、陶芸家を辞めようと思ってるんだ。」
「私は亮介さんの作品好きですよ。」
と彼女は作品をそっと眺める。
「力強いけど、繊細で...温かみがある感じが好き。」
「まるで...亮介さんの様。」
と彼女は顔を赤らめる。
まさか、彼女も俺を...?
不思議と彼女は俺の全てを受け止めてくれた。
彼女の艶やかな髪...
か弱い腕も足も...
身体も
全て俺のモノにしたい。
「アオイ...愛してる。」
「私も...。」
夢の様な夜が明けて...眩しい日差しがカーテンから漏れ、夢から覚める。
「おはよう!亮介さん。」
幻ではなかった...とホッと胸を撫で下ろす。
昨日あんなに強く抱き締め合ったから...
まるでアオイが消えてしまいそうだったんだ。
そう...あの時の蝶のように。
コンテストまで後2日。
「亮介さん、唐揚げをのせるお皿はどうですか?」
「おぉ、唐揚げ皿か!」
その時、アイデアの神か何かが降りてきた様な感覚があった。
「よしっ!」
ろくろを回す...神というのは凄い。あっという間に今までにない特別な皿が仕上がった。
...でも何かが足りない。
明日までに送らないといけないのに...。
困った様子の亮介を見て
この人の役に立ちたい...とアオイは強く思う。
...結局
何が足りないのか分からないまま送る準備をする。
明日送ろう。いい仕上がりだけど...今回もダメだろう。
納得する作品が出来なくても、ゆったりした時間の中で
ろくろを回すのが好きだった。
この仕事が好きだったんだ。
もう土に触れることも、ろくろを回すことも出来ないんだと思うと...涙が溢れた。
「亮介さん、大丈夫。」
と彼女の細い手が強く抱き締めてくれた...。
腕を彼女の背中に回し、もっともっと強く抱き締める。
会って間もないのに...
こんなにも人を愛せるのが不思議に思えた。
俺の夢がもう叶わなくてもアオイが居ればそれだけでいい。
「お前がこんなにも愛しい...ずっとずっと側に居て欲しい。」
その言葉に返事はなかった。
...でも一緒に居たい。
熱い口づけを交わす...2人の身体が一気に熱くなり...
昨日よりもずっとずっと...深い海の底へと潜っていく。
もう二度と戻れなくてもいい...。
...このままずっと...ずっと。
コンテストまであと1日。
まだ重いままの体をだらしなく起き上げ、水面に顔を出す様に息をする。
「はぁーー... 」
「亮介さん、おはよう!」
いつもの様にアオイの味噌汁をすする。
「あぁ...美味しい。」
「亮介さん、コンテストのお皿出しておきましたよ。」
「ありがとう。」
「ついに明日ですね。」
「あぁ。」
自信はないけれど...アオイが「大丈夫。」と言えば何故か
大丈夫な気がしていた。
アオイもお皿を作りたいと言うので、一緒に作ることにした。
後ろから抱き締める様に...2人でろくろの前に座る。
アオイのキレイな髪が頬に当たり、くすぐったい。
そして...
俺の手がアオイの細い手に触れる...。
彼女の脈が伝わってくるようだ...。
「こうやって...回すんだ。」
2人の為に流れる空気...
幸せな時間...
この時が止まればいい。
このまま抱き寄せて...アオイをずっと...俺のモノだけにしたい。
耳元で囁く...
「愛してる。」
「私も愛してるよ...。」
アオイの言葉も体も震えている。
「どうした?」
「大丈夫だよ...これで完成?」
「うん。なかなかの出来だ。」
お皿を窯で焼いている間に、近くの山に行きたいと彼女が言った。
雨が降ってるというのに...。
傘もささず、アオイは駆け出す。
まるで...あの時の美しい蝶の様に...。
「おいっ...待ってくれ!」
彼女の長い髪が雨粒を弾き...キラキラ輝く。
彼女のキレイな輪郭を雨粒がつたっていく...。
すけそうなぐらい白い肌も
折れそうなぐらい細い腕も
指も 足も 身体も
...全てが美しく愛しい。
彼女を捕らえる様に
2つの羽を掴み、
俺の罠へと...引き込んでいくっ。
「アオイ!どこにも行くな!ずっと一緒に居てくれ。」
震えた羽を背中へと回し...
涙を流しながらアオイは言う。
「ありがとう、亮介さん。幸せだったよ...。」
...幸せだった?
「もう帰らなきゃ...。」
「か、帰る?」
「助けてくれて...ありがとう。さようなら。」
抱き締めたアオイの身体は
ふわっと消え...
美しい蝶へと変身した。
そう...あの時助けた青い蝶に。
「あの時の...蝶だったのか?」
その一瞬で...彼女が俺の元に舞い降りた理由を悟った。
涙が次から次へと溢れ出す...
あの時の雨粒のように...。
その青い蝶は、悲しそうに亮介の顔へ飛んで行き...
最後の口づけを交わす...。
〝アイシテル”
2つの羽を羽ばたかせ...キラキラと輝きながら、
蝶は雨空へと帰っていく。
...それはそれは美しい光景...。
「...行かないでくれ...。」
雨雲をどかすように手を伸ばす...。
...永遠に罠に掛けていたかった。
あの愛しかった美しい蝶を...。
涙と雨粒が混じり合い、どちらの雫なのか分からないぐらいの悲しい日だった...。
...家へ着くと懐かしい匂いがした。
2人でいつも囲んだ食卓には...
彼女が作ったお皿が置いてあり、そこには俺の好物の唐揚げ。
夢中で口へと頬張る...。
彼女が蝶でも何でも良かった...
ただずっと一緒に居たかった。
「アオイ...会いたい...。」
コンテスト当日。
深い悲しい夢から覚めた俺は...
ようやくケータイの着信に気付いた。
「はい...。」
「あなたの作品が金賞に輝きました!おめでとうございます。」
「えっ?!」
まさか...あの作品が?
急いで会場へと向かう。
夢中で走る...アオイの事を忘れるかの様に、
早く。
会場へ着き、自分の作品が一番輝かしい場所に飾ってあるのを見つける。
その輝かしい作品を見た瞬間...涙が雨粒のように溢れ出る...。
「アオイ...ありがとう...ありがとう。」
亮介の作ったお皿には、美しい青い蝶が描かれていた。
とても美しく...繊細に...。
2人の愛し合った証の様な...
温かく儚い...でも美しい作品だった。
その作品の名は—
—————『蝶を罠へ掛ける。』
終