壱
『白百合の狐』
壱・狐に選ばれし姫
イザナイの国。
その島国は、水と大地に恵まれたそれはそれは美しい場所でありました。
国の南北を巨大な尾根が連なり、其々の平野で立派な都が作られました。
東都。
イザナイの大君がおわします都で御座います。
大君の住まう天を仰ぐ天守閣を中心に、民の生活が広がっておりますね。
漁業に恵まれ、港が栄えております。
他国との交流も盛んに行われておりまして、異人の姿もよく見かけます。
こと近年はその交流が活発化しているようでして、富のある平民は“しゃつ”や“どれす”などといった異国の装束を身に着ける者も御座います。
西都。
千年も昔、『あの日』の大君白珠様の『弟君』が御作りになった都で御座います。
かつての風習がそのまま残っているようでして、今でも呪術や妖術が出回っているようなのでございます。
恐ろしいことに、白珠様の弟君である黒球様の血を引く西都の民は、呪われた赤い瞳を持っていると聞きました。
黒球様が裏切り者の天罰として、“狐”に与えられたという赤い瞳です。
まあ単なる噂話ですし、真実は分かりませぬ。
それ以前に、我々東都の人間は大君の命により“峠超え”は固く禁止されておりますし。
そもそも貴方様のような御方が、西都についてお尋ねになることが私、不思議でございますわ。姫様―――。
「いいのです。私が気になっただけなの」
そう言って小さくため息をついたのは、まだ十四、五歳ほどの少女だった。
その小さく細い体は東都の伝統装束である、幾重にも重なった襦袢を身にまとっている。
闇のように深い黒髪は二つの髻に結い上げ、金色の簪で留めている。
その他幾つもの飾りが少女の髪を煌びやかに飾る。
少し動くだけで襦袢の裾と、髪飾りが優雅に揺れた。
「私が生まれる前ずっと以前から、西都との争いは続いているわ。一体いつになったら終わりになるの」
姫の侍女は、一瞬だけは困ったように眉を寄せた。
しかし直ぐ花のような笑顔を見せる。
「姫は気にしなくても大丈夫ですわ。近いうち、必ずや争いは終わるでしょう。大君、桔梗様―姫様の兄上様が必ずや勝利を成し遂げます」
「そう」
少女は不敵に笑った。
「兄様にできるのかしら。もう大君になって五年は経つけど、まだ戸惑ってばっかり。私、兄様は大君に向いていないと思うのよ」
「姫様、な、なにをおっしゃいます。桔梗様は素晴らしい大君であらせられます」
動揺する侍女に、姫は首を振った。
「違うわ。政の才が無いということではなくてね、兄上は優しすぎるのよ」
「優しくて…駄目なのでしょうか」
「ええ」
姫は頷く。茶を飲み、続けた。
「兄上は、優しすぎるからどんな相手でも受け入れてしまうのよ。本人がそうだから、皆が善人だと思い込んでいる…それが、大きな仇となる」
そう言い、姫は俯いた。
神妙な面持ちの姫に、侍女は不安そうに声をかけた。
「姫様、どうなさったのです」
姫は悲しげに笑みを浮かべた。そのまま帯に手をかけた。
「梨安…見ていてね」
「ひ、姫様、おやめ下さいまし!」
姫は力任せに帯を引っ張った。
梨安の静止も届かず、その手は緩まない。
錦の帯がたちまち解けてしまった。
いくらここが姫の殿社だからといえど、昼間から服を脱ぐなど考えられない。
しかも姫、自らの手で。
「姫様!」
李安が叱責しても、姫は脱衣を続けた。
重ね着された襦袢が徐々にはだけ、姫の背中が露になる。
姫は背中を李安に向けた。
その背中を見た瞬間、衝撃で李安の息が止まった。
「…は、そ、そんな…」
「ええそう…、私、夢で観たの。兄様が殺される所を」
姫の肌は真珠のように白かった。
その白さのせいで、背中に広がる大きな“痣”は余計に目立っていた。
痣は腰元から一凛の百合が咲いている様であった。
「ああっ」
侍女はその事実に、顔を覆った。
「私は…選ばれてしまったわ」
姫は自嘲気味に言った。
「“白百合の狐”に」