猫派だった悠人
助けた亀に授けられた好きなものになると言う能力。
全くの手違いで犬の姿になってしまった私の視界に映る私の学校の制服。それはきっとさっきまで私が着ていたものに違いない。
しかも、よく見ると私がつけていたはずの下着もあるじゃない。
今の私はすっぽんぽん!
「ひぇぇぇぇぇ」
また、私は「わぉぉぉぉん」と鳴き声を上げた。
「いや、犬はそもそもすっぽんぽんですから」
海に消えたかと思っていた亀が、波から頭を出して、私に言った。
「な、な、何?
本当に元に戻れるんだよね?」
海に飛び込み、亀の近くまで行ってたずねた。私の耳には「ワォワォワォン?」と犬の鳴き声にしか聞こえなかったけど、亀には私の言葉が伝わっていたらしい。
「そう三回目に戻るなら。
なので戻りたいのでしたら、必ず三回目には元の姿に戻るよう言ってください。
それを言い忘れたので、戻ってきました。
あ、それと着ているものは脱ぎ捨てたかのようになりますので。
言わなくても、もうお分かりと思いますが。
では」
亀はそう言うと、再び海に体を向けた。かと思うと、再び反転し、亀にしては速足で私の所に近寄って来た。
「パンツ、回収しないと、誰かに拾われますよ」
私は慌てて振り返り、浜辺に転がる私の制服に目を向けた。
チェック柄の制服のスカートに混じって、さっきまで私が履いていたパンツが風に揺れている。
恥ずかしさのあまり、火照るほほを隠して。いや、犬で毛むくじゃらだから、頬が赤くなっているのは分からないか。私は一目散に砂浜に転がる制服に駆けよると、それらをかき集め、口にくわえて自宅を目指した。
自宅にたどり着いた私を待ち構えるドアを見上げてみる。
犬の視線からだと、でかい!
最近、熊だって家や車のドアを開けるのだ。犬だって、いえ、私の知能は人間なんだから、できない訳が無い。ドアノブに手をかけようとしてみるが、肉体的に届かない。
私の姿をよく見ると、小型犬??
「がぁぁぁぁん」、「クゥゥゥゥゥン」
気を取り直して、右手を、もとい、右前足を伸ばした状態でジャンプしてみる。
前足がドアノブに引っかかると、私の体重でドアノブが下がった。
ジャンプした感触から言って、かなり身軽。元の私の体重よりはるかに軽いはず。なんて、一瞬沸き起こった嬉しい気分はおいておいて、前足がドアノブから外れるのを必死で防ぐと、ドアが少し開いた。
開いたドアの隙間に手を差し入れ、家の中に駆け込む。
靴も脱がず、いえ、そもそもすっぽんぽんだった。
そんな事を思うと、顔が真っ赤になってしまうので、毛皮のコートを着ている。そう思う事にして、自分を欺きながら、二階の自分の部屋を目指す。
トタ、トタ、トタ。
軽やかとは言え、階段を駆け上がる私の足音に、家の中にいたらしい母が気づいた。
「まどか、帰ったの?」
そのまま、無視して、と言うか、返事しようにも、「ワォン」としか言えないし。
私の部屋の中に、駆け込むと、ベッドの下に制服と下着を隠し、本棚とベッドに隙間に身を潜めた。
「変ねぇ」
二階まで上がって来た母親は、私の姿が無いのを確かめると、そんな言葉を残し、階下に降りて行った。
母親にも頼れない。今の姿。
泣きたい気分だけど、泣いても解決にはならない。
自分の部屋で身を潜めたまま、静かに考える。
犬になってしまった自分をどうするか?
いい考えは出て来ない。代わりに出そうになって来たものがある。
ト、ト、トイレ!
部屋を飛び出し、トイレに駆け込む。
便器の蓋は自動で開く。
でも、小型犬の体形では、便座に座れない!!
しかも、つるつる滑るし!
「まどか、やっぱりいるの?」
やばい!
再び母の足音が近づいて来た。
ここは一つ逃げ出すしかない。
二階の廊下に姿を現わした母の足元を猛ダッシュですり抜け、玄関から飛び出した。
家を飛び出しはしたものの、行く当てはない。まずはトイレ。
と言っても、そんな場所はない。
きょろきょろと辺りに目を向け、人がいない事を確認してから、植栽の陰で後ろ足をひょいと上げて、用を足す。
女子高生として、あり得ない姿!
恥ずかしすぎる。
顔を真っ赤にしながらも、生理的な欲求には抗えない。いえ、顔は毛で覆われていたんだった。
「ふぅぅぅ」
ほっとした気分に包まれ、植栽の横に座って、頭の中を整理してみる。
「三回は好きなものになれるのなら、元の姿に戻れるわけで、何の心配も無いじゃない」
と、自分に言い聞かせつつも、ちょっと心配。若い女の子を自分より醜くしようなんて罠をはる乙姫の手下の亀の言う事だけに。
「でも、とりあえず信じたとして、なってしまった以上この姿を利用するしかない。でなきゃ、何の得にもならない」
打たれ強い私? そんなことを思っている所に、危険な言葉が耳に届いた。
「あそこですよ、あそこ」
振り返ると、先に輪っかのついた長い棒を持った男の人と、その人を先導する男のおじさんの姿が目に入った。
この時代、野良が安心して暮らせる場所なんて無いんだった。
その事に気づいた私は一目散に駆け出した。
誰か助けて!
そんな思いは私を悠人の家に導いていた。
偶然はいい方に転ぶこともある。
悠人の家の門扉をくぐり抜けると、家の玄関のドアを開けようとする悠人がいた。
「助けて!」
私は「わん!」と鳴いた。
振り返った悠人は私に視線を向けたかと思うと、一言呟いた。
「犬か。猫の方がいいな」
がぁぁぁぁん。悠人は猫派だったのか!