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抱擁とキス  作者: 冲田
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 夕方家に帰りついてからも、シーラは何かいつもと違った。窓の外を見てため息をつき、ぼーっとして仕事も手についていないし、日が落ちてからヨエルが用意した夕食も、ほとんど喉を通っていなかった。


「どこか、体の具合でも悪いですか?」


食卓でため息ばかりをつくシーラを見兼ねて、ヨエルが聞いた。


「いいえ。これといって不調があるわけではないの。ただ、心が落ち着かないだけ。きっと、王子様のことを考えてしまうからだわ」


ヨエルはシーラの返答に首を傾げ、レイフにこそっと話しかけた。


「出先で何かあったんですか?」


「兵舎でアレクシス様に会ったんだ。しばらくシーラと王子は一緒に庭でお喋りをしてたようだけど……」


シーラは話を続けた。

「会ったその時からドキドキと動悸がとまらなくて、今もあの人の事を考えるだけで、胸のつかえる思いよ。一体、私はどうしたのかしらね?」


 ヨエルは絶句し、レイフは持っていたフォークを落とした。その答えは明らかではないか。自分たちが求めても、求めても、得られなかったものだ。

 今度はレイフが、ヨエルにこそっと尋ねた。


「シーラは昔、王宮付きの魔道士と一緒にお城にいて、王子とは知り合いだったって。彼女はその頃の事を覚えてないと言ってたんだけど、ヨエルは何か知ってる?」


「彼女が覚えていない事など、知りようもない。レイフのほうが詳しいくらいだ」


「王子と話をして当時の事を思い出したとか? 実は子供の時に好きだったとか? そうだとしても、俺の好意は完全に無視して、いきなりあんなの、納得いかない」



 日を追うごとに、シーラの言動は恋する乙女のそれで、まるで別人になったかのようだった。ただ、だからといってヨエルやレイフへの態度がまるで変わらないのは不可解だった。例えば、レイフの朝のハグとキスは変わらず続いている。挨拶と言えばそれまでなのかもしれないが、これにはレイフの方が戸惑っていた。普通、好きな男が出来れば拒否してきそうなものだろう。

 それにシーラが、今までは恋を理解できていなかったのだとしても、今ならレイフの好意に気づいてもいいはずだ。しかし、シーラは自分の恋心には気づいたくせに、こんなに直接的に好意を向ける彼の恋心には気づかないままなのだ。

 相変わらずの飼い犬扱いにはレイフも業を煮やしていたが、彼はぐいぐいと彼女の心に入っていこうとするのをやめなかった。それができたのは、彼女の行動の整合性のなさに、何かがおかしい、普通ではない、という確信があったからだ。



 ヨエルは、レイフのように考えることができなかった。シーラには根本的に一部の感情が欠けていて、そのために自分は愛されないのだとずっと思っていた。それなのに突然見せつけられた、シーラの恋煩い。つまりこれは、自分はシーラに愛される対象にないという現実を、突きつけられたということだ。前提を覆されて、絶望と嫉妬以外に彼の心を占めるものは無かった。

 まるでまだ希望があるかのように、相変わらずシーラとの時間を奪っていくレイフのことも憎らしかった。彼女のことは諦めて、しおらしくしていてくれたほうが、どれだけいいかと思った。冷静に物事を見られれば、何かおかしいという事にも気付けたはずなのに、彼女を想い続けた、自分を誤魔化し続けた年月が、真実を見る目を曇らせた。



 レイフは、アレクシスがシーラに何かまじないのようなものを施したのではないかと疑っていた。シーラがおかしくなったのは明らかに王子に会った後だったし、兵隊長から、彼は何か怪しい術に傾倒していると聞いた。レイフは魔女の書斎にある本に、なにか似たような術についての内容はないか、手がかりはないかと、長い時間書斎にこもって調べ物をした。

 そしてある日、埃を被った本の山の中から、ついに決定的なものを見つけた。それは、一つの手帳だった。そこにはレイフが欲しかった答えが書かれていた。なぜ、こんなものが埃を被って放置されていて、今までシーラとヨエルに見落とされていたのかはわからない。


 レイフは手帳のページをめくった。しばらくは日誌のようなものが書かれてあって、この手帳の持ち主は、あの処刑された元王宮付きの魔道士のものだということがわかった。もう少しめくると、告発文があった。



『私は近々、謀反の罪で捕縛され、処刑されるだろう。自由がきく間に、ここに真実を記しておく。私が無罪だとは言わない。私の罪は彼に魔法を教えてしまったことだ。

 ここに、第一王子バーンハルド、第二王子エドガー、第四王子ロルフ、第七王子ヨエルを亡きものに、もしくは秘密裏に追放した、第五王子アレクシスを告発する。』



 この後には、アレクシスがどのように王子たちを殺したり追い出したりしたのか、詳細が書かれてあった。要約すれば全てアレクシスの呪いによるものだった。二人は毒を盛られたかのように殺され、二人は動物に変えられていた。


「え、ちょっと待って。ヨエル王子って、まさか、あのヨエル?」


 レイフが驚いて第七王子の詳細を読んでみると、『呪いによりフクロウに変え、森に置き去りにした』とある。動機は呪いへの好奇心による、言わば実験台だった。


 それから、最後の方にシーラに関することも書いてあった。


『アレクシス王子はこともあろうか、私の愛する娘、シーラにも呪いをかけた。アレクシスしか愛することができない呪いを。彼はシーラを気に入り、独占したいと考えたようだ。

 今はまだ幼く、呪いの影響は見られないだろう。しかし、恋をする年齢になっても、彼女は彼以外を愛することはできない。アレクシスに会ってしまえば、呪いは色濃く顕現し、シーラを彼の虜にしてしまうだろう。

 かけがえのない可愛い娘を、あんな悪魔の手に渡す訳にはいかない。

 そこで私は娘の記憶からアレクシスに関する事を消し、彼女を森に隠すことにした。あの森の特殊な空間にいれば、たとえ王子が近くを通ったとしても、シーラを見つけることはできない。』


「やっぱり、アレクシスが何かしてたんだ! 思った通りだ!」


 レイフは考えを巡らせた。この手記を上手いこと白日の下に晒せば、いくら王子と言えどもアレクシスが処刑されるのは間違いない。術者が死ねばシーラの呪いは解ける。ここに書いてある第七王子が本当にあのヨエルであるなら、おそらく、ついでに彼のフクロウの呪いも。

 それからレイフは、知ったことをシーラやヨエルに伝えるかどうか、悩んだ。シーラについてはすぐに決まった。彼女に伝えては駄目だ。この事実はきっと、彼女を苦しめる事になる。

 ヨエルに対しては、迷った挙句、何も教えてやる必要はない、という結論に至った。これはレイフにとっては唯一のチャンスかもしれないのだ。シーラの呪いが解かれた時、彼女が本当に愛する人は誰かと考えれば、放っておけばヨエルを選ぶのが自然だ。しかし、呪いが解けた直後、ヨエルを愛していると気づく前ならば、付け入る隙があるのではないかと思った。それにもし、彼が王子である事が明らかになれば、王宮に丁重にお返しすればいいのだ。森の中の小さな居心地のいい家で、シーラを独り占めにできる。

 この考えはとても卑怯であることはわかっていた。しかし、出会ってからの時間が短かろうが、レイフもシーラを深く愛していて、彼女を独占したい気持ちは、ヨエルと同じように強かった。

 ふふ、とレイフの口から自然に笑い声が漏れた。教えてやるものか、これは俺が手に入れたチャンスだ。

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