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ある朝、魔女はけたたましいフクロウの鳴き声ではなく、レイフの声に起こされた。
「今日は城下町に行く日だって! そろそろ起きて!」
シーラは、「そうだった!」と慌てて起き上がると、飛び出すように寝室から出てきた。相当寝坊をしたらしく、レイフが朝の動物の世話を終わらせていて、簡単な朝食も用意していた。
「ごめんなさい、私ったら」
謝るシーラを、レイフはいつものように抱き締めて、キスをした。
「おはよう! シーラ! たまにはこんな朝もいいよね」
「城下に行く日でなければ、そうね!」
シーラはさっさとレイフから逃れて、急いで身支度を整える。ちらと止まり木を見ると、フクロウのヨエルは眠っているようだった。
最近のヨエルは、昼間寝ていることが多かった。習性としては何もおかしなことはないのだが、以前までは、シーラの話し相手になったり、手伝える事は手伝ったりと、起きている時間もそれなりに多かったのだ。朝食をとりながら、レイフはシーラに言った。
「お出かけには俺が付いていくから」
「ヨエルは? いつもは彼が……」
「フクロウが付いていっても役に立たないからって言って、寝ちゃった。放っといたらいいよ」
「……そう」
彼女は寂しげにもう一度止まり木を見て、心地よい重みを感じない肩を、無意識に撫でた。
今日は出来上がった魔法道具を兵舎に納めに行く。それにレイフがついていくのは初めてだった。彼らは食事を済ませると荷物をロバの背に乗せ、レイフがその手綱をひいて森の外に出た。
レイフは城下町に来るのも初めてだった。森の奥の人狼の集落で生まれ育って、街とは無縁だったのだ。見たこともない建物、道、広場、お店、たくさんの人……。とにかく、眼に映るもの全てが新鮮で、レイフは目を輝かせた。
しかし、すれ違う人、遠巻きに見る人、誰もがレイフを奇異なものを見るような、敵視するような、居心地の悪い視線を向けてきた。一度は子供に石を投げられた。ああ、だから集落の仲間達は街に近づかなかったのだ、と、レイフは悟った。人狼は、歓迎されないのだ。楽しい気持ちはだんだんとしぼんで、彼の足取りは重くなった。
シーラは商店が軒を連ねる場所まで来ると、フードのついたマントを急いで買ってきて、レイフに着せた。
「ごめんなさい、出発する前に気づくべきだったわ。あなたが、あなたである事を隠さないといけないなんて、変な話よね」
「シーラのそういうところ、本当に、大好きだ」
人目もはばからず、レイフはシーラに抱きついた。自分を丸ごと全部認めてくれる、肯定してくれる、受け入れてくれている。レイフにとってこんなに居心地の良い場所はなかった。
「寄り道したから、急がないと、ね」
彼女はレイフの背を軽く叩いて離れてもらうと、お城の外門へ急いだ。
お城の敷地に入る事を許されて、シーラとレイフは兵舎に向かった。ここに、編み終わったベストや何やらを納品してお金を受け取れば、用事は終わりだ。シーラがいつものように兵隊長とやりとりをして、少し世間話などをしていると、今日は珍しい人が兵舎にやってきた。
「これは、王子様。こんな所まで、いかがなさいましたか?」
兵隊長が膝をついて恭しく挨拶をしたので、シーラとレイフもそれに倣ってこうべを垂れ、最敬礼をした。レイフはこの時ばかりはフードを取った。
彼はこの国の第五王子、アレクシスだ。この国には不幸が続き、七人いた王子は今や三人しか残っていないので、第五王子とはいえ、彼の王位継承権は今は第二位である。ただし、この国を背負う可能性がある人物だというのに、アレクシスはあまり良い話を聞かないない王子だった。横柄で、贅沢好きで、怪しい魔術を使い、権力に固執していると。兄たちが健在だった頃は、自分の王位継承権が低い事に常々不満も洩らしていたらしく、王子達の不幸は、アレクシスの策略なのではないかという噂も、王宮ではまことしやかに囁かれていた。
「月に一度、美しい魔女が訪ねてくると聞いて、一度会ったみたいと思っていたんだ。魔女よ、顔をあげなさい」
王子の命令にシーラが顔を上げると、アレクシスは彼女の手を取って立ち上がらせた。
「やはり。あなたは一時期、王宮付きの魔道士と共にいたシーラでは?」
「私の名は確かにシーラですが、大変申し訳ない事に覚えがありません。森の小さな家で暮らす以前のことは、わからないのです」
「そうか。君が幼い頃、よく一緒に遊んだんだがなぁ」
「それは、大変な失礼を……」
「失礼な事などあるものか。私はずっと再会を望んでいたのだ。少し、お時間よろしいかな? 忠犬君は、しばらく待っていてくれ」
アレクシスは返事も待たずシーラの腰に手を回すと、彼女を連れて城内のどこかへと去っていった。レイフは忠犬という言われ方にムッとしたが、待っていろと言われれば、それしかやりようがない。シーラが戻ってくるまで、兵舎で待たせて貰うことにした。
「初めて来たあんた、人狼だったのか。あ、いや、俺は差別しないよ。兵士仲間に何人もいる。
今日は、いつものフクロウさんは?」
兵隊長がレイフに話かけた。
「フクロウは留守番です」
レイフは答えた。
「そういえば、いたよ、昔。アレクシス王子と、行方知れずになった弟君がよく一緒に遊んでいた、可愛い女の子が」
兵隊長が懐かしそうに言ったので、レイフはシーラの昔話が聞けると、身を乗り出した。
「有名な話だから知っているかもしれないが、六、七年前、王子様達が立て続けに亡くなったり、失踪したりした。それが当時の王宮付きの魔道士の仕業とされたんだ。魔道士は当然処刑された。魔道士と共に王宮に出入りしていたその十歳くらいの女の子は、きっと娘さんだったんだろうね。彼女も魔道士が処刑される少し前から行方知れずになっていたが、まさかシーラさんが、その女の子だったとはね」
「なんだか、縁遠くて、想像のつかない世界です」
王宮付きの魔道士とは、兵隊長が言うようにおそらくシーラの親なんだろう。親が謀反の大罪で処刑され、一人ぼっちで放り出されたのだ。世間の目を逃れる為に森の中に引きこもり、きっと寂しい思いをした。そして、その辛い時期を支えていたのは、ひょっとしてヨエルだったのかも知れないと、レイフは思い至った。そんな確固たる絆があるのに、どうしてあの二人はあんな煮え切らない関係を続けているのだろうと、レイフは首を傾げた。
レイフと兵隊長がその後も色々とおしゃべりをしていると、程なくしてシーラが戻ってきた。二人は兵隊長に別れの挨拶をすると、城下町でしばらく分の食べ物と日用品を買い、帰途についた。歩きながら、レイフは尋ねた。
「王子様と何してたの?」
「お庭でお話しをしていただけよ。あんなに素敵な方の事を今まで思い出しもしなかったなんて、私はバカね」
「素敵な方? 何か良くない噂も聞いたよ」
「噂は噂でしかないわ。レイフも話してみればわかるはずよ。とても良い方なの。誰かとお話しして、こんなに胸が高鳴るのは初めてだわ。また、会うお約束をしたの。とても楽しみ」
シーラはとても機嫌がよく、珍しく饒舌だ。もともと笑顔を絶やさない人ではあるが、それにしても……。頰を少し紅潮させたその顔は、レイフには今までで、一番可愛く見えた。しかし、なんとなくモヤモヤしたものが胸に残るよう感じた。