父と娘
多くの人が並ぶ異様な部屋から私たち3人は立ち去る。それらは触れてはならない人達、そんな風に警告されているようだった。
……
しばし沈黙の刻……この沈黙を切り裂くのは私ではないだろう。
「よし、とりあえず美人だけ解放しろ、そしたら後は好きにしろ。」
「……」
……ぽかん。私もその人も言葉を失った。
「……自分に正直な人だ。人としてはどうかと思いますが、個人的には嫌いじゃありません。人は誰しも自分の願いの為に生きるべきだ。」
「……あなたも、そう、なのですか?」
私は、つい口を挟んでしまった。その人が語る言葉の重みは、どことなくだが、本物だと思ったから。
「私は……私の為に。その為の犠牲など、構いません。」
「……そうですか……」
私の口から一言……一言小声で……残念ですと……零れた。
「さて、どうするんだ。」
「要求ならば、ノーです。そういうわけにはいきません。」
「ふん、自分が何を言っているのかわかってるのか。お前は一人、こっちは二人だ。」
「本気で言っているんですか。そもそもあなた方は私に交渉できるような立場にないと思いますがね?ここは私の屋敷。あなた方はその懐に飛び込んでしまったのですよ?」
「だからどうした。お前を殺せばそれで終わりだろうが。」
「……なるほど、まあ、間違ってはいないかもしれません。ですが、一つ勘違いなさっているようです。あなたは私を倒せる、という前提の元に成り立つ過程ですが、私とて、決して弱くはありませんが?」
……この人自身が、相当な手練れ、という事……
「少しは不思議に思いませんでしたか?あなた達が自由に屋敷を歩き回れたこと、この広大な地下において誰とも出くわさなかった事。まあ、一人だけ出くわしましたか。彼は運が悪かった。」
「ずさんな管理なんだろうが。」
「自由に歩き回らせたのは、何もやましいことが無いと見せつけるため。ここは駄目、あそこは駄目と言ったら逆に怪しいですから。自由に歩き回っていただいてよかったのです。そこまででやめておけばもっとよかったのです。」
「あそこで捕えられていた人たちは……」
「あなた達と一緒ですよ。時折やってくる冒険者たちです。」
「攫ってきた奴らもいるだろうが。」
「……確かに……」
「なぜ、そんなことをするのですか。」
「……理由を説明するより、あなた方をあそこに並べる方がよっぽど有意義なのですよ。」
……明らかな敵意。もう、戦いは避けられないところまで近づいていた。
「あの人たちは手がかからなかったのですが、あなたたち二人は、そう簡単には行きませんね。困ったものです。まあ、一手間二手間変わるぐらいですが。」
「……ロミネさんたちは……知っているのですか。」
「……ロミネ……」
「いや、あの三人はいい子だ。見ればわかる。悪いのはこいつだけだ。」
「……そうですか。」
真面目な質問をしたつもりなのだが、シド様にひょいと掬われてしまった。……私も、悪い人たちとは思いたくない。
「……」
気のせいだろうか……さっきまではどこか冷酷な眼差しに、明らかな憎しみがこもっていくのを感じていた。
「美人解放のついでだ。お前の娘たちも俺が頂いていくぞ。」
「むすめ……だ、と……」
「ロミネもイミルもトゥリエも全部俺のものだ。貴様のような悪漢のところに置いておけるか。」
「………………ッッッ!!!!!」
「シド様……!」
「あんな物……あんな物……娘であってたまるものかッッ!!!!!」
……明らかなる激昂……その心に着いた炎がそのまま掌に現れる……あれは……
「火炎……弾!!!!」
「くっ……!!」
「……!!」
……咄嗟の事で、身動きが取れなかった私をシド様は私を飛びながら抱きかかえて救ってくれた。
「ハァ……ハァ……ハアアア……!!!!」
恐ろしいまでの熱量……火……いや、炎……得体のしれないものに理解が追い付かない……
助けられたその胸の中から……恐る恐るその塊がはじけた場所を覗く……
「……なんと……」
頑丈そうなその壁に、大穴が一つ……その威力を物語るには申し分ないものがそこにあった……
「……お前たちが誰とも出会わなかったのはな……私一人でッ!!!!貴様ら二人など!!始末できるという絶対の自信があるからだッッ!!!!」
……謙虚な物言いはどこへやら、いや、むしろこちらが本当のしゃべり方なのだろう。私たちは敬われる相手からは除外されたようだ。
「……めんどくせぇな……けっこう強い魔法じゃねえか。」
「……火の、魔法ですか。」
「火炎弾ってことは……4か5ってことか……」
「……どうしましょう……」
「うーむ……とりあえずもう少しお前を抱きしめておく。」
ぎゅう。
「……人前では恥ずかしいです……」
「……火炎球……」
「うぉっ!っと!」
さっきより威力を落とした炎をいくつも飛ばしてくる。二人転がってどうにか避ける。おとと……
「危ねえ!よっ!ほっ!はぁ!!」
……
「……そんなざまで、私に勝てると思うかね?」
「……ふ、勝てるさ。余裕でな。」
……そのどこまでも雄弁な言葉に裏付けがあるわけではないが、一つ思ったことがあった。
「あの最初の魔法は、連発できないのでしょうか。」
「……火炎弾か。確かにな。あれを連発すればもっと簡単だろうに。ってことは、4って事かもしれん。なら、ギリギリ力押しでもいけなくはない。」
「……どうしますか?立ち向かいますか?」
「……とりあえず、逃げとくか。俺の得意なフィールドに誘い込む。」
「……ですか。了解です。」
一転、相手に背を向けて、私たちは走り出す。さっさ。
「……」
何故か、追って、こない?どうして?
「はっはっはー!!!何が私一人で始末だ!大したことないやつめ!!」
「……あの。」
「おお、なんだ?」
「走りながらであれなのですけど……道は合っているのですか?」
「……まあ多分な。」
「ですか……」
……
「……シド様、私たちはどこへ向かっているのでしょうか。」
「そうだな、まあ俺が行きたい方だな。」
「……ごめんなさい……疲れてしまいました……」
「……よし、ちょうど行き止まりだし、休むか。」
「……ごめんなさい。」
……さすがに疲れちゃった。
「なんで入った時はスムーズに進めたのでしょう……」
「……あれだ。かわいい子の匂いがしない。」
「……結局あの人も追ってきませんね。」
「あいつも迷ってるに違いない。」
「……それは、どうでしょう。」
自分の家で迷うだろうか……
「……あの、シド様。」
「なんだ。」
「あの人は、ロミネさん達の事、嫌い、なのでしょうか。」
「……」
「ロミネさんもイミルさんも、トゥリエちゃんも、みんな、お父さんが大好きと言っていました。」
「あいつ、急に怒り出したしな……」
……
私は、お父さんが好きだった。お父さんも、私の事を好きって言ってくれた。
……でも、もし、本当は違っていたら……本当は嫌われていたのだとしたら……
考えるだけで、それは悲しかった。
……
……今となっては、どうでもいい話……そんなお父さんも、もう居ないのだから……
そう、私にとってはどうでもいい話……
……
でも、ロミネさん達にとっては、そうではない。
……こんな時だけれど、何か確執が、親子の絆に影を射しているのだとしたら、それをどうにかしたい。
父を想う気持ちに対する思いがあんな憎しみの心だなんて……見ていたくなかった。
……ただ私の、エゴ。
「シド、様……もう、行きましょう。」
「……ふん、勝手に決めるな。もう少し休め。」
「……」
「普段全然表情変えないくせに……こんな時にそんな顔するな。」
「……変な、顔……してますか……?」
そんなつもり、ない。たぶん、いつもと同じ顔。……そのはず。
「……いいからもうちょい休め……おら。」
「わわ……」
そういうと私の肩に手をまわして……体はマントで包まれた。
……
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あの……」
「……」
「いえ……なんでもないです……」
「……」
いつものフワッとした雰囲気は、今だけは身を潜め……ただ二人で肩を寄せ合っていた。
……その暖かさに……父の様な、ぬくもりを、感じた。
お父……さん……
……
……
……
「……?」
寝ちゃった……?
「……起きたか。」
「……はい……起きました……」
「そっか。」
「はい……もじもじ……」
シド様は、ずっと起きてたのだろうか……
「……元気でたか?」
「……出ました。」
「これからはずっと元気でいろ。」
「元気で、ですか?」
「俺はお前の主だ。俺がお前を元気づけるんじゃなく、お前がいつでも俺を元気づけろ。」
「……そういうものですか。」
「当たり前だろうが。」
「……そうですね。頑張ります……」
「よし、んじゃあ、行くか。」
すっくと立ち上がる。私も続いて立ち上がる。よいしょ。
「……」
「もし……」
私に背を向けたまま、シド様は言葉をつなげる。
「もし、お前が悩んだり困った時は、さっさと俺に言え。俺がそいつをぶっ飛ばしてやる。」
「……」
……
真っ直ぐな、不器用な、だけど、とても優しい言葉だった。
……私なんかが、なんで、そこまでの言葉を言ってもらえるのか……
私に、そんな言葉を言ってもらえる資格なんて……ないのに。
……
「だからお前は俺の為にせっせと働くんだ。俺が一個親切してやったらお前は10倍にして返すんだ。いいな。」
「……ふふ……」
久しぶりに……どれくらいぶりだかわからないけれど……自分で分かるほどの、小さな、笑みが、こぼれた。
「やっと笑ったか。いつも笑ってろ。」
「……努力、します。」
……死の間際で、この人に逢えて、良かったのかもしれない。そんな事、思った。
……
……
……
「シド様、私たちはどれくらい休憩していたのでしょう。」
「1時間くらいだな。たぶん。」
「……追って、来ませんね。」
「あれだ、忘れてるんだ。俺たちの事。」
「……でしょうか。」
てくてく……
「そうだ、知ってるか?こういう時は壁伝いに歩っていくと出口に着くんだぞ。」
「……そうなんですか。」
てくてく……
「だからと言って壁伝いには歩かないんですね。」
「出口なんかに着いても面白くない。俺のカンの方がよっぽど信用できる。」
「……かもしれませんね。」
……てくてく……
?
「……?シド、様。」
「……ああ、聞こえるな……」
気のせいではないようだった。……響く足音……それは私たちが歩みを止めてもなお聞こえてくる……
「近くに、居るようですね……」
息を殺して……気配をうかがう……気取られてはならない。石のように……無になって……
「へくちっ……」
……くしゃみが出てしまった。へくち。
……足音は明らかに歩みを止めた。原因はもちろん私のくしゃみだろう。
「おい……」
……
「てれ……」
「はぁ……まあいいか。」
曲がり角の奥から、人影が近づいてくる。……いざとなったら一気に逃げるか……あるいは戦うか……それを瞬時に選択しなくてはならない
……現れる女性の姿……
女性……?
「……ロミネ、さん。」
「ロミネか。俺の事が恋しくなってここまで来たのか。」
「……」
どうやら、それは全く的外れのようだった。悲しいのか憐れまれているのか……憂えの表情が見て取れた。
そもそも……こんな場所に居る良い理由が思い浮かばない。悪い理由ならごまんと浮かんでしまう。という事は……そういうことなのだろう……
「シドさん、シノさん。あなた達はいいお友達でした。ですが、ただそれだけだったようです。」
冷酷な顔のまま、得物を抜き、私たちへと構える……
もう、間違いない……
「私にとって、お父様の願いこそが全てなのです。」
「……どうして、あんなことをするのですか。」
「……お父様が、望んだからです。」
「……そのためなら、なんでもするのですか……」
「その通りです。」
「たとえ……自分が、父親から、愛されていないと……しても、ですか?」
……言ってはいけない事だったのかもしれない。
だけど、どうしても、どうしても問わずにはいられなかった……
「ロミネさんのお父さんは、ロミネさんの事を娘じゃないって……言ってました……」
「……」
「それでも、それでも……?」
なぜ従うの……?
「……私は、直接そう言われたことはありません。」
「……」
「でも、シノさんが嘘を言うような人でないのも、分かっています。ですから、きっとそう言ったのは、事実なのでしょうね。」
……冷静さを保ちながらも、苦々しい気持ちを噛み締めている様に見受けられる……
ショックじゃないはずなんて、ない。
そして新たに、高らかに、彼女は宣言する。
「だとしても、それでも私は、お父様の為に存在する。お父様が望むままに。それが私が生きている理由です。」