シドという男
「ハァハァ……ハァ……ックッ!……ハァ……なんという事だ……決して侮ったつもりはなかったけれど、聞いていた以上に、いや、遥か上のクラスの強さッ!」
リンカスター・リヴァプールは洞穴の中を翔ける。
そう表現すれば聞こえはいいかもしれないが、実際は自分より強い魔物から逃げている真っ最中だった。
何がどうしてこうなってしまったのかを説明するならば、困った人を見過ごすことのできない己の正義感から、身の丈に合わない依頼を受けてしまったのが発端である。
無論リンカスターも自分の力量が至らないことをわかってはいた。それでも引き受けてしまったのは、その依頼主の少女の目が、どこか過去の自分に似ていたからだろう。
何もできなかった頃の自分に。誰かにすがるしかできなかった頃の自分に。
誰も自分に手を差し伸べなかった。だからこそ、自分は差し伸べたい。そんな思いが彼女を蛮勇へと駆り立てた。
だが、世界は残酷だ。
身の回りをそれなりの装備で固めたとはいっても結局は自らの強さが伴わなければ強さとして顕現しない。
残念ながらリンカスターのそれは後方から追いかけてくる魔物に大分及ばぬ程度でしかない。蛮勇は無謀と変わってしまった。
「くっ!……ここなら、なんとか……やり過ごせる……ハァハァ……」
突き当りの曲がり角からすぐの大きめの岩にリンカスターは急ぎその身を隠す。
どうにか必死に息遣いを殺し、気配を悟られないように装う。
敵もバカではない、その3mはあろう巨体は周辺を探し始めた。
(このままでは見つかるのは時間の問題……どうにか不意を突けば……いや、そんなレベルじゃない。やはりここは逃げ続けるしかない……でも、それではあの少女は……)
リンカスターは己の命が危険であるというのに未だ少女の依頼を果たすことを考えている。
その時間を、自分が逃げるための策を考える時間に裂くべきであった。
「ラアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「……ッ!見つかった……!なら、仕方ない!」
まだ息も整わぬ身だが、再び来た道を走り始める。
獰猛な鳴き声、鋭い爪に巨体に見合わぬ軽い動き。あんなものに捕まればどうなるか……想像に難くない。
……
走る、走る、走り続ける。
冷静であるならばマップを見ることで出口まで走れたものを、逃げるのに手いっぱいで十分な思考能力を取り戻せないうちに、遂に完全な行き止まりに突き当たってしまった。
ランカスターは……己の至らなさを、悔いた。
「ラアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「……完全に、怒り心頭と言ったところですね……」
駄目だと分かっている。だが、振り向き、その剣を魔物に向けて構える。
(ほんの少しでも、傷をつけ、弱らせれば、被害は多少でも抑えられるだろうか……私では、あの子の望みをかなえることは出来なかった……だが、私がここで倒れても、他の誰かが、あの子の願いを果たしてくれるならば……ここで私が命を散らす意味も、ゼロではない。そう、思いたい。そう思えば、怖くなどッ!!!!!)
……
覚悟を決めた獲物と、狩る側のハンターとの戦いは、一方的だった。
その振り下ろされる巨大な腕の一撃を剣で受けては壁に叩きつけられ、その爪は皮膚を削り、時に抉り取っていく。
いくら剣を振り、あるいは剣を突き立てようとも動きが鈍ることはない。
だとしても、一つでも多くの傷をつけるため、己の命ある限り剣を振るう。
そして、その命が尽きようとしていた。何度目になるかわからない攻撃の後、彼女の体は、立つことが出来なかった。諦めない想いに体は応えなくなっていた。
彼女の脳裏に最後に浮かぶ、後悔、懺悔。
(……なさけ……ない……)
魔物は最後と見るや、容赦ない一撃を振りかぶる。
(ごめん、ね……)
今際の際に浮かぶそれは、どうしても救ってあげたかった、少女の顔だった。
それを胸に、彼女は、目を、閉じた。
……
…………永遠のように、感じた。永い一瞬。…………それを切り裂いたのは
「ラッ……アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ………」
目の前の魔物の、これは、勝利の雄たけびでもない、怒りの怒号でもない、悲鳴に似た、轟音が洞窟内に響く。
閉じた目をゆっくり、開く。そこに現れた光景は、自分を追いつめた者が、上半身と下半身が、真っ二つに分かれる姿だった。
そして、その後ろに見えた、人の姿を。剣を横一文字に振るったのだろうと思った。
疲弊した頭でも分かった。この人が、助けてくれたのだ。その感情は、すぐさま、安堵へと変わる。
これで、少女は、救われたのだ。それが、嬉しかった。
巨体は大きな音を立てて地に臥せる。
「……大丈夫だったか?」
「あ、ありがとう、ございました……」
私は、まだ朦朧とした意識でどうにか答える。洞窟が暗いせいもあってか相手の顔がまだよく見えない。
「酷い怪我だ、急いで手当してもらわないといけないだろうに。」
「そう、ですね……なかなか手酷くやられたものです……でも、あなたのおかげで助かりました……あの子も、きっと喜んでくれると思います……」
この人もまた、私のように、あの子の笑顔の為に危険を冒してここまで来たのだろう。
「本当に、ありがとうございました……生憎、御礼できるようなものも私は持っていないのですが……」
私が言うべきではないのかもしれないが、感謝の意を示さずにはいられなかった。
「ああ、お礼なんていいさ。」
優しい言葉に、私は、申し訳なくなる。この人は、何の見返りも、求めていないのだ。
私も、この人のように強く在れればよかったと思う。
いつか……こんな風に。
そこには、私が思い描いていた理想の英雄がいた。
「お礼は君自身でいい。」
……
……
……
ぱちくり。思考停止した。意味がよく分からなかったのだ。
「よーし、とりあえずは町にさっさと帰ってその傷を治したら、とりあえず俺と街中をデートだな!んー、まあ後はムード次第だな!俺は命の恩人だからな。」
……
あれだけの酷い痛みがちょっぴり引いていく気がした。
ついでに憧れの気持ちも一瞬で冷めた気がした。
私は一気に冷めた頭を回転させてその人の顔を確認した。
(ニヘラ♪ニヘラ♪)
なんというか、こういうのを、だらしない顔、というのではないだろうか。
(ニヤニヤ♪)
いや、もっとストレートにいやらしい顔という気がする。
……
締まりのない薄ら笑いを浮かべ、今にも襲い掛かられそうな気がするのは考え過ぎなのだろうか。
とりあえず、自分の推測の真偽を確かめてみるためにコミュニケーションを取ってみよう。見た目で判断は良くない。
「……ええと、その、どういう、ことですか?御礼が、私というのは?」
「ん?いいか?俺は君を助けた。命の恩人。だから俺に付き合う。当たり前だろう?デートとか、遊んだりとかな?」
「……ナンパ……ですか?」
「まあなんでもいいさ!とりあえず君と遊ぶと決めたのだから!はっはっは!」
その人は屈託のない笑顔で言い放った。
……英雄像は、脆くも崩れ去った。
ただ、確かに命の恩人なのは間違いない。間違いないのだが……はぁ……どうしよう。
……でも、あの少女は間違いなくこれで救われたのだ。この人がそれぐらいの見返りを要求する権利は、あるだろう。
「そうですね……個人的には、ガッカリした感じもあるのですが、言っていることは正当だと思いますし、いいですよ。ただ……あの子の笑顔を見てからでいいですよね。」
「……?あの子?」
……
「……あの、変なことを聞くのですが、どうしてここに来たのですか……?」
「可愛い子がこの依頼を受けたって聞いたのだから受けない理由なんてないだろう?そしたら見事君のピンチに颯爽と登場したわけだ。」
……
「……あの、猛烈に、御礼したくなくなってきてしまったのですが……」
「何!?なんでだ!不義理とは思わないのか!せっかく助けた命の恩人に!」
「……それは、そうなんですが……痛ッ……」
少し気が逸れていたが、大怪我の波が再び押し寄せてきた。頭がクラクラする。二重の意味でも…
とにかく洞窟から出て傷を癒さなければ……
「おお、大変だ。じゃあおぶってあげようじゃないか♪よし、これで貸しが二つだな。グフフ……」
「い、いえ、結構です。」
とりあえず、剣を杖に私は立ち上がる。
(あまりこの人に貸しを作るのは良くないことに繋がりそうな気がする……)
「遠慮するな。よっ、と」
「ちょっ!ちょっと……!」
ひょいと抱え上げそのままおんぶさせられてしまった。
「け、結構ですから!本当に!」
「怪我してるんだから無理するな。さっさと傷を治して俺と遊ぶんだぞ君は。」
……結局返す言葉も見つからないまま彼の背中におぶさっていくことになってしまった。
(……誰かの背中におぶさるなんて……でも、温かい、な……)
(おお、服の上から見ても大きいと思っていたが、やはりデカい。柔い感触がなんとも言えん。ずっとおんぶしていたいぐらいだ。ぐふふふふ。)
……
素晴らしき感触を堪能しきった俺はいつもの場所へ向かった。俺はドアを開ける。
「ああ、戻ったのね。って、その子、大丈夫?」
「おお、早く治してやってくれ。そしたら俺とたくさん遊ぶんだ。」
「またそんな事ばっかり……とりあえず二階のベッドに運んでくれるかしら。」
俺はたまらない背中の楽園を惜しみながらその子を二階のベッドに寝かせる。
「……じー……やはりかわいい。」
そして俺もその隣に横になる。
「ちょっと!何してるの!」
「おわ!いいところを邪魔するな!」
「あんたはさっさとどく!しっし!」
チッ、お邪魔虫め。まあいい。お礼はもう確定しているんだからな。焦る必要はない。さて、下に降りるか。
「それで……ちゃんと倒したんでしょうね?」
「当たり前だ。瞬殺だ瞬殺。」
「……みたいね。それじゃあ依頼主の子からの報酬を……」
「いや、いらん。報酬はあの子がいい。」
「それはあんたがどうにかなさい。絶対無理だろうけどね。はい、報酬。」
少額の金を渡される。
「……チッ……いらん、返しとけ。」
「ふーん。いいの?ただ働きで?」
「俺はあの子を手に入れた。ふっふっふ。可愛い女の子は金では手にはいらんのだ!」
「何言ってるんだかわからないけど、分かった。お疲れ様。」
「で、あの子はどれくらいで治るんだ?明日か?明後日か?」
「エナは全治30日って、さっき言ってたけどね。」
「30日!!!???長い!もっと短くしろ!」
「無茶言わないで、エナだって本当はすぐ治してあげたいだろうけど、時間をかけてゆっくり治していく手助けをするのがあの子の仕事なんですからね。分かりますか?」
「むむむ……くそう、くそう……しばらくお礼はお預けか……他にないのか?可愛い女の子に会える依頼は。」
「……はあ……」
こいつ、人を呆れた目で見おって、まあいい、こいつもそのうち俺にメロメロにしてやるさ。全世界の女の子は全員俺の虜にしてやるのだ。見てろよ!
……
傍若無人、自分勝手、慇懃無礼、唯我独尊。何にも媚びず、何にも恐れず、ただひたすら我が道を往く。
その道の先にあるものそれは冒険、宝、そして何より女の子。
その強さ、自由さ、豪胆さ、いつしか彼を知る人々は、彼をこう呼んだ。
「女好きのシド」
そんな不名誉な称号の彼のこれまでの有様は、字からも想像できるようにとにかく色に狂ったものだった。
女の子に片っ端から声をかけては弱みに付け込んだり、言葉巧みに相手を誘ったり、決して尊敬されるような生き方ではなかった。
その強さは認められても内面を認めようというものはまず現れなかった。
そんな彼の良くも悪くも真っ直ぐな生き方が、ほんの少し、ほんの少しだけゆっくりと、しかし確実に曲がり始めることになる。
それは、とある、彼女との出会いによって、もたらされることになる。