5・一難去ってまた…
迷宮遺跡の外は、樹海と言っても差し支えのない鬱蒼とした大森林地帯だ。
見上げれば真っ青な空に、太陽らしき恒星が眩しい輝きを地上に振り撒いている。見渡す限り濃緑に染まる視界も、陽光を注がれて生き生きとしている様子だ。
有希矢は、久しぶりに暖かな光を浴びながら背伸びをし、肺一杯に深く息を吸い込んだ。
はじめは己の肉体ではないことに悩んだが、長い時間をかけて馴染み、今では自然と自らの体だと思えるようになった。
ゆっくりと息を吐き戻しながら、手足の指先から曲げ伸ばしを始め、全身を動かして確かめてみる。主の言う通り、どこにも不具合や違和感を覚えないことにほっとした。
「どうだ? 大丈夫であろう?」
「うん。体は無事。次は――」
ごわついた黒い被毛の怪物に頷いて、目を閉じる。意識を集中して、頭の中に迷宮内で入手した数多の力を確認する。
「あーっ! なんで!? なんか、一覧の名称が灰色の文字になってる!」
「ふっ……馬鹿めが。其方、ほとんど使っていなかったのだな?」
「えー! なんで、ちょっと……あ」
一度集中して閲覧すると、目を開けても頭の中の一覧は消えない。記憶の映像を思い出す場合とは違い、視覚情報が入ってきても頭の中に映る一覧は鮮明だ。
力を使う時は、その名称を意識するだけで使えていた。ゆえに、有希矢は一覧を見直すことなく迷宮遺跡を後にしたのだが、こんな落とし穴が待っているとは想像もしていなかった。
主の指摘通り、一度も使用していない力は灰色に霞み、何度となく使った【回復】や【治癒】などはくっきりとした黒文字で鮮明に表示されている。
「い、今、使えば……」
「そう安易ではないぞ。手に入れてすぐに力を使えたのは、迷宮の中だったからだ。あの場は神力が溢れておったからな。だが、《外側》にある神力は薄く不安定だ。それを集めて力――人の言うところのスキルを行使できるようにするには、まずアビリティを上げねばならん」
聞き慣れない、しかし、生前どこかで耳にしたことのある単語に、有希矢は眉間を寄せた。
ゲームや空想小説に親しむ者ならすんなりと理解できるだろうが、生前の有希矢の興味とは距離があった。ただ、テレビのCMなどに度々使われている単語だっただけに、まったく聞き覚えがないとは言えない。うすぼんやりとした記憶だが、表面的な知識くらいは残っている。
「スキルは解った。力の総称ね。で、アビリティって?」
「スキルを正確に発現させるために神力を集め、練り上げ、使える状態に纏める能力だ。その値を上げ、スキル自体の練度も上げねばならん」
説明を聞いて、すでに有希矢は極寒の地に立った心境に陥った。
長く厳しい迷宮踏破をやり終えて、ようやく自由がと喜んだのも束の間、異世界はふたたび有希矢に第二の試練を強制する。
「もーーーーっ!!」
腹の底から湧き上がる悔しさを、勢いよく吐き出す。響き渡る叫びに、得体の知れない鳥たちが一斉に飛び立った。
森林の中は、さまざまな音で溢れていた。
離れていれば不気味なくらいに静かに思えたが、侵入してみれば煩いくらいの声や音がする。
風に揺れる枝葉のざわめきならまだいい。どこからか響く謎の生き物の甲高い鳴き声や、周囲の藪が不自然に揺れる音。遠くで何かが倒れるか落下した轟音や地響きなど。絶え間なく四方から届けられる騒音に有希矢はたえず緊張した。
それも仕方ないことだ。
主がスキルについて詳しく説明をし、では出発しようと森に足を進めた直後に言い放った台詞が、有希矢の頭にこびりついて離れないのだ。
「もう死に戻りはできんからな。覚悟しておくがいい」
「あ……。そ、そうよね。うん……わかってる」
理解していると返事をしたが、実は解っていなかった。
迷宮の後遺症か副作用か。
あらためて忠言され、自身のことながら危惧の念にかられる。死に慣れてしまった意識は、反射的に無謀な行動に出てしまうのではないかと、有希矢は怖れた。
なまじ、さまざまな怪物と戦い倒してきたせいで、下手に度胸がついてしまっている。このまま矯正しないでいたら、《外側》であることを忘れて挑んでしまいそうだ。
それだけに、異常なほど周囲を警戒していた。
耳をすませば、「死んだら終わり」と呪文のように繰り返される呟きに、主は有希矢の腕の中でひっそりと溜息を漏らした。
「主様?」
「……余の名はウルガルムだ」
「じゃ、ウル様と」
「ウルでよい」
「はい。よろしく、ウル」
「うむ」
腕に抱えたモップが偉そうに応える。
有希矢は見た目よりも軽いウルを抱き直すと、どうにか様になり始めたいくつかの攻撃スキルを脳裏で選択し、下草の生い茂る道なき道を注意を払いながら進む。
意識して休憩をとり、その間にスキルを磨く。
最初に、指先に炎を灯した。
樹林内で火を使うなどもっての外とウルに怒鳴られた。風や水を選び、指導を受けながらアビリティを上げて、威力は最低ながら攻撃ができるようになった。
それでも、利き手が軽いのは心許ない。
今は落ちていた枝を削り出して木刀紛いの物を握っているが、下草を掻き分ける以外、何の足しにもならないことは出発から数日で実感している。
「武器が欲しい……」
ロープや杭を作るために使った【作製】で、どうにか剣を作ろうと試したが、アビリティと練度の不足でできあがったのは切れ味の悪い小刀だった。
現在一番役立ち、練度も十分だったのは【全方位索敵】だ。食事も睡眠もとらずにすむ肉体と合わせて、初めて神に感謝した。
ただし、敵を回避するために。
武器――ことに剣があればと、切に望んだ。
「やっぱり剣かなぁ……慣れてるし」
「ならば、このまま進むがいい。ユキに似合いの剣が手に入るぞ」
「似合いの?」
ウルの助言を聞いて覗き込むが、剛毛に埋もれて表情は窺えない。
たとえ、目を輝かせて悪辣な笑みを浮かべていたとしても。