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4・迷宮の主

 動くたびに突風を巻き起こす巨体を前に、有希矢はあんぐりと口を開けて長毛熊を見上げていた。

 有希矢から戦意が消えたのに気づいてか、怪物はぶつぶつと何事かを呟きながら上体を倒した。タワーが小山になっても、有希矢にとっては脅威でしかない。

 ただ、今の有希矢の心境は、「そんなことなど後回し」だ。


「話せた……のね?」

「なぜか皆、余を見つけると、問答無用で挑んでくる。余と話すより、早く迷宮から出たいのだろうさ」

「迷宮? ここは迷宮と呼ばれてるの?」

「教えられずに墜とされたか? しかし……其方(そなた)は変わっておるな? 何をして墜とされた?」


 問いを投げ合うが、碌な答えが返らない。それも当然だ。どちらも相手はそれなりの知識と情報を持って、この場にいるのだと思い込んでいるからだ。

 怪物は呆れたのか、鼻を鳴らして黙った。

 先に思い至った有希矢は、勝手に座り込むと己の身に起こった事情を話し始めた。

 こことは違う世界で生まれ育ち、幼い頃に占い師から受けた忠告を切っ掛けにして不幸が振りかかってきたことをかわきりに、理不尽な理由と不可解な原因で命を落とし、わけが解らないまま女神と自称する美女に冤罪をかけられてこの場所に墜とされたこと。

 有希矢は、話せば話すほど鎮まりかけていた怒りが再び燃え上がるのを感じ、そして首を捻る。

 自分はこんなに記憶力が良かっただろうか。こんなに執拗に恨みを持続させておける質だっただろうか、と。


「ここに来て、どれくらいになる?」


 あからさまな憐みがこもった重低音の声が、有希矢の頭上から注がれた。


「何年……何十年かもしれない。ずっと前に数えるのはやめたから、判らないわ」

「よぅく耐えたものだ。確かに其方は罪の匂いがせん。冤罪というのも真実だろう。が……、一度でも迷宮『罪人の檻』に墜とされた者は、あの扉をくぐった瞬間には消滅するのみだ」

「え? それって、もう私じゃなくなるってこと?」

「其方どころか――」


 怪物の話は、有希矢にとってなんとも腹立たしく絶望的な内容だった。

 この迷宮は罪人の流刑場であり、魂の浄化をする場でも修行の場でもなく、穢れた魂の廃棄場なのだという。穢れによって不完全な魂は転生の渦に送られる資格を失っているため、迷宮で彷徨い擦り切れて無になるか、奇跡的に扉に辿り着けてもくぐった途端に、この世界の維持力に変換されるだけなのだ。

 人の死が、神によって選別される。流転に戻すか燃料ごみ扱いか。

 生き物は、己の生を選ぶ。罪を犯すか、善良なる生をまっとうするか。

 脳裏を女神の放った台詞が過る。話が違うと苛立ちかけ、それは己が思い込んでいただけだとすぐに悟った。

  女神や音声案内は「開放されたくば」とは告げただけだ。元の状態で生き返るとも転生できるとも断言していない。


「リサイクルできない物は燃やして灰に。その灰すらも肥料にってことか……確かに開放だよねぇ」


 肥料にされるのもリサイクルの一端かもしれないが、生前と同じ生物に転生できなければ消滅と変わりない。そして、開放されたとも。

 有希矢は冷めきった目で、怪物が示した広間の奥を見詰めた。

 石壁に埋もれるかように同じ色の小さな扉が備え付けられている。

 怪物の巨体に圧倒され、倒すことばかりに思考を向けていたせいか、扉の存在に気付かなかった。


「あれじゃ、にじり戸じゃない……」


 にじり戸。にじり口とも呼ばれる、茶室などに客を招き入れるための、七十センチ四方ほどの小さな出入口だ。


「見た目は小さいがな、余を倒せば通れる大きさに変化する。通って行くがよい」

「ええ!? いいの? 倒してもいないし……私、消えちゃうんだよね?」

「言ったであろう。其方は罪の匂いがせん。そのような者を、ここに留めるは迷宮の主の名折れだ。当然、消滅もせん。ただし、条件がある」


 本人は普通に話しているつもりだろうが、有希矢には頭上からがなり立てられているのと変わらない声量だ。そんな大きさだけに、帯びた憂いも感じ取れた。


「何? 私にできること?」

「余の片割れを同行させてもらいたい。小振りで余ほどの力は持たぬが、十分に役立つぞ」

「片割れ……小振り?」

「永劫の時を過ごしてきたが、暇で暇でたまらぬ。とはいえ、主である以上は離れられん。《外側》に行ける者など滅多に会えぬでな。これは好機。頼まれてくれ」

「あーあ! 端末を私に預けるんで、外に連れてって世の中を見せてくれってことですね?」

「そう、それだ」

「了解しました」


 有希矢が快諾の意を口にした瞬間、座り込んだ膝の上に黒い長毛の小型犬が現れた。

 しかし、もっふりとした可愛らしさなど欠片もない。毛玉というよりも使い古しのモップだなと、有希矢は残念に思いながら抱いて立ち上がった。


「では……」


 お世話になりましたと言いかけ、すぐに口を噤んで頭を下げた。


「うむ。達者で暮らせ」


 それが、有希矢にとって迷宮と主との最後になった。

 小さな扉を押し開き、目を射す光に溢れた別世界に足を踏み出した。片腕に主を抱き、反対の手には愛用の剣を携えて。

 しかし、扉を閉めたと同時に、剣は黒い粒子と化して消えていった。


「え、え? はぁ!?」


 何もなくなった手のひらを呆然と見つめる有希矢に、主が笑いだす。黒い草臥れ果てたモップが、だみ声で低く笑う。


「あの剣は迷宮産だ。離れれば消えるが定め。衣装と履物は天の物だ。消えずにすむぞ? よかったな? 丸裸にならずに」

「それは嬉しいけど! でも!」

「この先は、魔物や魔獣が盛りだくさんだ。なーに、心配はいらん。余がおるからな?」

「そ、それを先に教えて欲しかったわ……」

「クックックッ……」


 有希矢は、がっくりと肩を落としてしゃがみ込んだ。


 

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