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3・巨大な異形 

 どこからともなく滴り落ちてきた雫が、有希矢の頬を滑り落ちる。

 朝も夜もない迷宮で目を覚ますのは、今日で何度目か。

 孤独と静謐に慣れはしたが、人の気配や生活の雑音を感じられない空間はいつでも空虚だ。有希矢の胸を懐かしさと切なさが交互に押し寄せ、頑丈な身体とは逆に精神がすり潰されてゆく。

 すでに人ではなくなっている自分が人恋しく思うのは、まだ『有希矢』でいてもいいと許されているようで、彼女は今もその想いに縋っていた。

 水を飲み干した時に思い出した生理的欲求の喪失を自覚して以来、有希矢は意識的に睡眠と食事をとるようにした。

 疲れれば体を横たえて目を閉じ、食べられそうな物には何でも果敢にチャレンジした。

 夢は見ないが、意識は閉じる。かと言って、効果的に疲労が回復した実感はない。

 食に関しては、泉の水から始めて化石化した植物の種、迷宮通路に生きる得体の知れない苔や茸、倒したモンスターの生臭い肉などを手あたり次第に口に放り込んで咀嚼した。

 自動蘇生仕様が危機感を薄れさせ、治癒能力を授かった今では恐れるものは何もない。行く手を遮る未知の怪物以外は、どんな物も彼女を脅かす対象にはなりえなかった。


「食べたり眠ったりはどうにかなったけど、排泄だけは意識してもできないもんなのよねー」


 シモに関する結果を呟く。

 三大欲求の最後のひとつは、有希矢がどれだけ体内に供給しても催すことはなかった。最初の頃は飲食なしでいたが、今は違う。体内に入った物はどうなっているのか。とはいえ、身体に悪影響がないなら、絶対に取り戻したい欲求でもない。

 涙や唾液、血液などの体液以外の作用で廃棄物が消滅しているなら、このままでいいかと乙女心は囁いた。

 活を入れて立ち上がり、泉の水で洗顔し、相変わらず曇りひとつない剣を握って未踏の通路に足を向ける。

 集めた力はすでに五十を越えた。

 使う機会を得ないまま放置している能力が増える一方だ。名だけで用途が解かる能力から、まったく見当すらつかないものまでさまざまだ。


「さて、戦闘準備に入りますか」


 安全圏から一歩踏み出し、呼吸を整えて【全方位索敵】を展開にする。

 入手直後は有希矢を中心に半径十メートル程度の範囲しか感知できなかった能力も、今は広範囲にまで広げられて伸縮自在だ。

 四色の点と円で表示される、自分以外の動くモノたち。白は無害。青は好意的なモノ。黄色は要注意。赤は悪意ある敵。円の大きさは対象の規模を示し、未踏部分は【地図】表示できないが、索敵機能で方向だけは見極められる。


「この巨大赤丸が怪物で――あれ!?」


 狭い通路を赤い丸を目指して走り、中庭以外に初めての広い空間に到着した。

 今まで多数の怪物たちと戦ってきた有希矢だったが、そのほとんどが通路などの狭い場所での遭遇だった。それだけに、四方に広さがある場所での戦闘は調子が狂う。

 まず、足場に利用できる壁が遠い。誘導して壁際で戦ったとしても、片面か角を挟んだ二面だ。それすらも戦術のひとつと気づかれれば、早い段階で壁際を避けられるようになる。その上、天井も高い。


「高いどころか吹き抜けじゃないの……」


 目を細めて見上げても霞んで見える上方に、有希矢は舌打ちする。

 天井に打ち込んだ杭から垂らしたロープを使い、壁や天井面を足場に縦横無尽に剣を繰り出す策を多用していただけに、その手を封じられてしまっては有希矢の攻撃は半減する。

 有希矢と同じくらいの大きさの相手なら平面だけの攻撃で倒せるようになったが、進むごとに巨大になってゆく怪物相手には、縦からの攻撃も加えないことには倒せなくなっていた。

 今、目の前に立ち塞がる未知の怪物は、今まで以上に怖ろしく大きい。


「逃げ回りながら隙を狙って、ヒット・アンド・アウェイを繰り返す……じゃ、私がもちそうもないわね」


 蘇生するとはいえ、生きている間は疲れもするし気力も萎える。不老かどうかは謎だが、不死ではないことは実証済みだ。一度死を迎えなければ、蘇りはしないのだ。 


「仕方ない。まずはトライアル・アンド・エラーでいくしかないか」


 死自体には慣れたが、死を迎えるまでの《間》にはいまだに恐怖と嫌悪が張り付いている。

 剣を構え、腰に下げた鞭の握りを確かめ、頭の中でカウントダウンする。死への秒読みか、生還か。


「【俊足】」


 呟きの後、有希矢の姿は消えた。そこに小さな土埃の渦を残して。




 鉄塔ほどの巨大怪物は、驚異としか言いようがない。

 球場の二倍ほどの面積など四つ足の超巨大怪物にとっては数歩の距離であり、ならばこちらは小回りの利く身体を生かして死角を狙おうと右往左往するが、長い尾と前足で牽制してくる。接近すれば、脚や尾の一振りで吹き飛ばされ、鉄球すら風圧で押し返された。

 どうにか隙を突いて一太刀入れたが、針金のような長い剛毛に邪魔をされて肉を断つまではいかない。

 そして――。


「黒いチャウチャウかと思ったらヒグマだった!」


 有希矢は、眼前で仁王立つ怪物に戦慄した。



 二度、有希矢は蘇生した。

 拠点からのリトライは、予定通りだ。トライアル・アンド・エラーを繰り返し、すこしずつでも敵の弱点や隙を見つけて学習するつもりでいた。

 だが、二度目ですでに戦意喪失しそうになっていた。


「どうすれば、どころじゃないわよ! あれ!」

 

 気分は、スカイツリーに挑む愚か者だ。

 敵を倒すイメージすら湧かず、かすり傷のひとつも付けられずにいる握った剣が、まるで棒切れに感じられた。

 それでも、有希矢はのろのろと戦場に向かう。

 胸の奥に、この迷宮に墜とされたばかりの頃に感じた絶望が浮かびあがっていた。

 剣を構えることなくだらりと両腕を脇に垂らし、巨大な異形を仰ぎ見る。

 突然、空間が震えた。


「なんだ? もう諦めたのか? つまらん」

「しゃ……喋った!!!」


  

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