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26・高貴なるわらしべ

「あなた、馬鹿なの?」


 ディアローラ王女の愛らしい唇から、思い切り似合わない辛辣な台詞が飛び出す。十三の少女とは思えない侮蔑が込められた氷の眼差しが、正面に立つ有希矢に突き刺さる。

 王女が滞在するために用意された離宮の一室で、契約書を交わすためにディアローラ王女と近衛騎士レイン・フォンドベルン、そして有希矢だけになったところだ。

 王女の目には侮りとは違う――怒りの感情が浮かんでいることに、有希矢はすぐに気づいた。加えて、王女が苛立ち怒っている理由も、だ。


「賢いかと訊かれたら、いいえとお答えするのですが……お助けいただき、ありがとうございます」

「……解っていての行動だったのね?」


 華奢な肩が吐息と共に下がる。その、妙に老成した言動に、有希矢は申し訳なく思いながら目を伏せた。

 有希矢があのまま宰相の退出許可に従って宮殿を出ていったとして、無事に王都を出してもらえるはずはなかった。確実に宰相の配下が先回りし、人目のない場所なり王都の外で始末しようと襲ってきただろう。

 それはあの場にいた全員が予想していたことであり、全員の中にはもちろんウルやクルチェも入っていた。

 そして、有希矢も十分に見越していた。

 亡命してきた他国の王女を匿い、護衛をつける打ち合わせの場に契約すら交わしていない者を同席させていたのだ。国の機密事項を知る者を見逃がすことはあり得ない。たとえ有希矢が「誰にも言わない」と()()()()としても。

 それに、あの場で有希矢を呼び止めなかった傭兵連中は、結局のところ信用ならないのだと結論を出せた。向こうが試してきたのだ。こちらが試さない義理はない。

 ただし、()()()に命を狙われても、返り討ちにするだけの自信と実力は持っている。それを侮った代償と思えとばかりに、有希矢はあえて無知を装って退室するつもりだった。

 あの時ディアローラ王女が声をかけずにいたら、宰相は子飼いの影たちを、ゲオルグは旅団の部下を失っていた。王女は無防備で無知な女を救ったつもりだったようだが、実際には宰相の配下や傭兵たちの命を救ったのだった。


「はい。なんだか信用できない人ばかりでしたし、そろそろ逃げようかと考えていたところでしたので」

「私は余計なことをしたのかしら?」


 ディアローラ王女の目元が緩み、代わりに薄っすらと自嘲が浮かぶ。見た目と中身がちぐはぐな王女に、有希矢は妙な親しみを覚えた。

 淡い色の華やかなドレスを身につけて黙って微笑んでいれば、人々が理想とする愛くるしく可愛らしい王女様になるだろう。だが、中身は剣を好み、積極的に政治や外交を学ぶ勇猛な少女だ。

 有希矢も同じく、少女を脱したばかりのすらりとした若木のような女性に見られるが、中身は苦難を乗り越えてきた冷徹な戦士だ。

 程度こそ違うが、どちらも外見で侮られて軽く扱われる。それがどんなに彼女たちを憤らせているか。


「いいえ。どちらかと言えば殿下のほうが信用できるかな? と」


 有希矢が答えた瞬間、レインの剣が抜き放たれる。殺気すら漏らさず、怖ろしい素早さで的確に有希矢の首を狙ってきた。

 「またか」とうんざりしながら、有希矢は王女を前に白銀の甲冑の腹を片足をで蹴り飛ばす。ズシンと盛大に音と震動を上げて騎士は壁に激突すると、呻きひとつ零さず気を失った。

 ディアローラ王女にとっては見上げるほどの上背のある逞しい騎士であり、有希矢と比べても十分に戦士然とした男だ。それが、ほっそりとした女性の片足で、壁に凹みができるような威力で蹴り飛ばされたのだ。

 ディアローラ王女は目も口もぽかんと開けて己の騎士を見つめ、硬直していた。


「見た目はこんなですが、腕は……足もですが、お買い得ですよ?」

「文句はないわ! レインを蹴り飛ばすなんて、凄いを通り越してステキだわ! 是非、私を護って!」

「承知しました」


 有希矢は胸に手を当て、騎士の礼をとった。

 出会った時から無表情か疲れたような苦笑いしか見せなかった十三の王女は、異質な女戦士を前に瞳をキラキラさせて破顔していた。

 辛い思いをし、後ろ髪を引かれる思いで祖国を旅立って来たのだろう。そんな王女を笑顔にしてやれる自分が、有希矢は嬉しかった。


『幼くても女なのは忘れちゃー駄目よ? 解ってる?』

(うん。そこは覚悟してるわ)


 抜かずにすんだクルチェが、すこしだけ不服そうな声で忠告するのに応え、何かあったら逃げればいいんだと腹を据えた。


『運命の輪が回りだしてしまったからな。これも呪いを解きほぐすための道なのだろう……。だが、心して取りかかることだ』

(心配してくれて、ありがとう。本当は、しがらみを作りたくないんだけどさ、ちゃんと生きるためには人との触れ合いも必要だよねって思って)

『ちゃんと生きる――か。なるほど、死ぬほどの目に遭うことも多かろうが、死のうと思わぬなら思い通りに歩けばよい』

『そうだったわねぇ……。アンタが交流を避けちゃうと、アタシの運命の人とも逢えないってことだもんねぇ……』


 食事の用意ができたと呼びに来た侍女が、いまだ壁に寄りかかったきり気絶しているレインを見て悲鳴をあげ、騒ぎに気付いた警備兵とゲオルグの仲間たちが駈け込んでくる。

 その間もディアローラ王女は、醜態を晒す己の騎士を笑いながら揺すって起こそうとしていた。

 伸びたレインと澄まし顔で立っている有希矢を見たラーヤが、またうんざり顔で回復を唱えたのは言うまでもない。


「あんたも、大変だな……」


 雇い主は変わりはしたが、同じく王女の護衛となった『ロットバルト旅団』の魔術師ダイルが、有希矢にぼそりと囁いた。


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