18・ギルドを酒
ギルドと聞いて有希矢の脳裏を過ったのは、教科書でちらっと触れた中世ヨーロッパの歴史の一端だ。数行しか書かれていなかった内容は、ふわっとした記憶しかない。なんとなく、商工会や組合みたいなものという勝手なイメージしか残っていなかった。
行商隊の目的地であるフォルショーは、城塞都市バルナスよりも一回りほど小さい規模の町だが、商人の町らしく明るく活気がありバルナスとは違い分厚い外壁がないだけにとても開放的な町だった。
アディ一行に連れられて中央通りを南に進み、獣車が行き交う広い商人通りに折れると、すぐに異様な威圧を放つ赤煉瓦の建物の前で足を止めた。
灰色の倉庫群の先頭に立つ赤銅色の重厚な二階建て建築は、表通りの商店とは違う緊張感に包まれていた。
中に入ると壁沿いにずらりと受付カウンターが並んだ広いホールで、商業ギルド、人材斡旋ギルド、工業ギルド等さまざまなギルドの看板を掲げた窓口が連なっている。
有希矢の受けた第一印象は、ずばり『役所』だ。でなければ、総合病院の会計受付か。
ぽろりと口から零れそうになった言葉を慌てて呑み下し、注意されたにも関わらずあちこちに首を回して視線が定まらない。ことに集まる人々の風体に目を引かれ、ぽかんと開けた口を閉じることも忘れている。
『ああ……懐かしいわぁ。アタシにとっての楽園……』
「埃臭いわ汗臭いわ、どこが楽園かっ」
『血臭を含めないところが、ウルらしいわねぇ』
有希矢以外に聞こえないのをいいことに、腰に回した鞄と佩いた剣が好きずきに感想を言い合っている。
「驚いたようだね? 初めてかい?」
長く幅広な両手剣を背にしたアディが、圧倒されて呆けている有希矢の頬を突く。あわあわしながら口を閉じ、緩んだ頬を両手で押さえて答える。
「はい! バルナスではほとんど引きこもりの生活だったんで……」
「へぇ~。バルナスから来たのかい。予想外に箱入りだったようだねぇ。まあ、そのマントと剣捌きに関しては、後でゆっくり聞くとして……完了報告してくるから、仲間と先に飯屋に行って待ってておくれ」
有希矢の肩を軽く叩くと、仲間に目交ぜしたアディは受付に向かった。
「そんじゃ、先に腹を満たしに行こうぜ」
「……はい」
憂鬱な食事問題思い出し、どうするかと悩む。
食べなければいいだけだが、いつまでも何も口にしないのはおかしいだろう。少食や偏食を装ってもいいが、誤魔化せるのは今回だけだ。
それでなくとも一風変わった娘だと思われているのは、アディ一行の有希矢を見る目に表れている。戦士の勘か、経験のなせる業か。
いや、アディの指摘した服装と強力な従獣ウルだけでも悪目立ちしているのに、妙に世間知らずな態度を晒す有希矢が問題だ。
どうしようかと悩みながらギルドを出て、傭兵の後をついていった。
が、半刻後には悩みは杞憂だったと思い知る。
空腹を訴え食事を求めて入った飯屋で、彼らが最初に注文したのは酒だ。食事は名ばかりの酒の肴。謎の肉を焼いたり煮込んだり揚げたりと、調理方法が違うだけのシンプルな肉の山が盛られた大皿が、テーブルいっぱいに並ぶ。
薄暗く熱気にあふれた騒がしい店内は、食よりは酒を求める客たちで溢れかえっている。それを収めてなお空席が見える広い店内の一角を占めた傭兵たちは、大容量の盃を手にあれこれと有希矢の皿に積み上げ、最後に溢れるほど注がれた木の盃を渡してきた。
年若い有希矢にはと気を利かせたらしく、盃の中身はアルコールの匂いと甘い花の香りが――あれ? と首を傾げつつ恐る恐る唇をつけて啜る。
「んん!? お、おいしーー!! あれ? なんで、なんで!?」
有希矢を驚かせたのは、何を食べても感じなかった『匂い』と『美味さ』を酒が満たしてくれたという発見だ。
「おお!? イケる口かよ! じゃんじゃん飲んで食え!」
「ここのミードはな、極上品なんだぞ」
花蜜で醸造されたミードという酒から始まり、酔いも手伝って果実酒にエールにとどんどん味見は進む。どれを飲んでも味や風味を感じ、ついでに喉ごしにまで快感を覚える始末だ。長らく忘れていた幸福感が、体内に染みわたる。
有希矢の前にみるみる内に空の盃が並び、ミードやエールの小樽が空いてゆく。
「あーっ! たまんない! 美味しくってとまんない!」
「おい! だ、大丈夫か!? おめぇ、何も食ってねぇだろうっ。酒だけじゃなく、なんか食え!」
「イイ飲みっぷりだ! いけいけ!」
いつもの騒ぎなのか、はたまた傭兵とはこうなのか、店主も給仕も客もちらっと視線を投げるくらいで気にもしない。有希矢たちだけではなく、店のあちらこちらでも同じように盛り上がっているのだ。
だが、それを咎める者もいる。
「あんたたち! 一体、どれだけ飲ませたんだい!?」
「あ、アディ、お疲れさまです!」
「ユキもユキだよっ」
眉を吊り上げて怒鳴るアディに、有希矢は盃を掲げで労をねぎった。
アディの怒りに一瞬の内に酔いがさめた男たちは、顔を引きつらせてしどろもどろに言い訳をする。が、当の本人である有希矢が陽気にアディを迎えてしまっては、誰もそれ以上は言えなくなる。
酔っていた。確かに、喉は潤ったが顔が火照り、気分は浮かれ気味だ。それでも、頭はずっと冷静なまま思考し、酒の効能に関して考えていた。
見るからに塩や香味料をきつく使われている料理の匂いはまったく感じられないのに、なぜかアルコール臭と含まれている材料や旨味が舌と鼻を刺激する。
前世では、付き合いで飲む以外は酒など口にしなかったし、飲んでも好んで飲みに出るほど旨いと思ったことはなかった。
それが――。
「久しぶりに美味しく感じたんですよ~。アディも、ささ、一杯!」
「ユキ、あんたって……」
細く華奢な手に無理やり渡された盃を取り、酔っぱらいたちを相手に怒りを持続するのも馬鹿らしく、アディは盛大に溜息をつくと有希矢の隣りに身を割り込ませた。
これ以上、野獣たちに無垢そうな小娘を好き勝手させられないという庇護欲か、一滴もありはしないと思っていた母性愛か。
にこにこと満面に笑みを浮かべてアディを見る有希矢の目に促され、満々と注がれたエールを一気に飲み干す。
おーっ! と景気の良い野郎どもの歓声と共に、空になった盃がまた満たされた。
「話を聞こうと思ったんだがねぇ……。こりゃ、明日の朝にするしかないか」
諦めと仕事の後のエールの旨さに、アディは酔っぱらいたちに付き合うことにした。




