16・それぞれの価値
不本意な結果に終わった異世界初の生活は、有希矢の中で『試運転』扱いすることで落ち着いた。
創造神に会い、世界の成り立ちや神の組織構造を聞き、異世界の基礎知識と住人との接触を果たした。だが、バルナスに定住しようとも人間関係を育もうとも思えないまま終わった。
まさに、『準備期間』の価値しかなかったのだ。
結局、三人は大森林外周を巡る街道を進むことにした。労力を払うのは有希矢だけだが、三人寄れば文殊の知恵! と唱えながらの道行となった。
道々、泉界の神と聖剣の言葉の圧力に負け、異世界の話をする羽目になった。一つを出すと、その一つに対して掘り下げが深くなってゆくのに困り果て、切りが良いところで話題を切る。そして、次の――その繰り返しで暇は消費される。
どちらも暇人であるという状況と、知識に貪欲であり高尚な姿勢の持ち主なのが原因だ。まあ、金属製の物体のみ、一部がと注釈をつけないといけないが。
食う寝るを省くと歩く距離は捗り、それでも感じる疲れを解消するために大森林の浅瀬に入って横になる。眠りはしないが、神力を練るために心身を待機状態にしている感じだ。
アビリティ値が高まるにつれ、スキルの発動はより早くより精密になり、効力も上がっている。
攻撃系の上位互換の数も増え、それに伴い防御スキルも上がった。
しかし、やはり有希矢は剣を握るのを好み、クルチェの機嫌はマックスだ。
道中での暇つぶしが、異世界の話題だけで終始したわけではない。危険地域であっても、魔獣や魔物以外との出会いはある。
商人の行商隊を襲う強盗団だ。
質問攻めに飽き飽きしていた有希矢は、前方に見えた不穏な光景に二人の意識を逸らすにはちょうどいいと、内心で大歓迎しながら足を速めた。
大森林の縁を行く道程のために商人たちはたくさんの護衛を雇い、何台も行商獣車を連ねて集団で移動をする。魔獣は当然のこと、強盗団に対処するためでもある。
わざわざ危険度が高い街道を選ばなくてもと思われるが、時間の短縮すら商売の要と考えている商人は多い。前世の世界のような保存や加工の技術、高速移動や空路が発達してわけではない異世界だ。時には、危険を承知で選ばなければならない場合もある。
今も行商隊が襲われ、護衛たちが盗賊団と戦っている最中だ。最後尾らしい獣車の荷車から轟々と炎が上がっている。
「助ける義理はないのだぞ?」
「義理はないけど、心情的に後悔が残る」
『ああーん! いい男が減っちゃう~』
クルチェを握った途端、どちらの意思もシンクロした。剣を水平に構えて、殺し合いの場めがけて疾走する。
護衛と鍔迫り合いをしている盗賊の背後を走り抜けざま、左に握りかえた剣先で膝裏を撫で切る。その先で、馬乗りになって剣を突き下ろそうとしていた盗賊の腕を、剣ごとスッパリと切り飛ばした。
「ウル、獣車の消火をお願い」
鞄を放り上げると、黒い毛玉が飛び出す。陽の光を浴びて黒光りする被毛は、断じてもふもふではない。
有希矢に消火を頼まれたはずが、何故かウルは燃え盛る獣車の中に入ってゆくと、地鳴りのような唸りを響かせた。震動する空気と謎の唸り声に、有希矢以外の者たちが一瞬動きを止める。戦いの渦中にいる者たちの意識は、対峙する相手から逸らされた。
ここは大森林の際だ。いつ何時、鬱蒼とした中から得体の知れない魔獣が襲い掛かってこないとも限らない。目の前の相手に切り伏せられるか、その後すぐに魔獣に喰われるか。
彼らは恐怖を煽る唸りに戦意を絶たれ、一斉に視線を大森林に向けてしまった。
それが命取りになるとは知らず。
「罪人の檻で、会おうぞ……」
幌の屋根が抜けた荷車の上から赤黒い炎を纏ったウルが飛び出してくると、残った盗賊の頭や顔に次々と飛び移ってゆく。それを視界の端に捕らえつつ、有希矢は身をかがめて盗賊が手放した短剣を拾いながら行商隊の先頭へと走った。
獣車の中に避難していた商人を引きずり出して、今にも命を奪おうとしていたゴロツキを狙って短剣を投げる。真横から首を一突きにされて、薄汚れた盗賊は転がった。その間も有希矢の動きは止まらない。荷車の屋根から矢を射る護衛を排除しようと、幌にしがみついた男に蹴りを入れて落とし、鳩尾めがけて強烈なストンピングを両足で喰らわせる。
「あんた! 頭を下げな!」
太くハスキーな女の呼号と同時に、有希矢の頭上を分厚い剣が風圧を伴って通り過ぎ、一瞬の後には眼を剥いた男の首が転がり、血煙が舞う。
「あんた、凄いね!」
「そちらこそ!」
女の声に反応して回避した有希矢は、派手に散った返り血を一滴たりとも浴びずに立っていた。
声の主が、すぐに寄ってくる。人の命を奪った直後なのに、彼女は満面の笑みで有希矢を褒めた。その笑顔には、歪んだ暗い気配はない。
周囲はいまだに阿鼻叫喚の状況が続いているが、有希矢も女もすでに剣を下ろしていた。
そこへ、ウルがいつもの姿で鞄を銜えて飛びついてくる。
「ウル、ありがとう」
有希矢は、一段と艶と黒さを増した剛毛を撫でながら礼を言うと、鞄を担いでウルを入れた。
「見たことない魔獣が出たかと思ったら、あんたの従魔だったのかい。ホント……助っ人感謝するよ」
「いえいえ。通りがかりでしたし」
女は皮のグローブから手を抜くと、有希矢に握手を求めた。
有希矢は、その気持ちのいい熱い手をしっかりと握り返した。
確かに女性だが、何の抵抗も覚えない。それどころか、血生臭い凄惨な場所に立ちながらも、何故か爽やかな香りを感じた。




