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15・本気の逃亡

 有希矢の思考も動きも剣先も、驚くほど冴え渡っている。目の前に立ち塞がるならず者然とした男たちを見据え、すでにどう仕留めるかしか頭にない。

 相手は魔獣などではなく、言葉通じる人間だと認識はしている。それこそ有希矢が全力で剣を揮えば、全員が瞬時に迷宮行きになることもだ。

 だが、今の有希矢には躊躇の欠片すらない。

 ウルが告げた「重罪」の一言は、惑いなど湧く間も与えなかった。


 有希矢の足が地を踏みしめるたびに、クルチェが密やかな唸り声を上げ宙を斬る。

 誰かの手が持ち主から離れ、ぬかるんだ地面に落ちる。僅かに遅れて汚れた血線が尾を引き、あるいは血飛沫を上げて。ダガーや剣を握る手が次々と飛び、次々と悲鳴が上がる。その間を、有希矢は最小限の動きと技ですり抜ける。

 男たちは、何が起こっているか思考が追い付かないでいた。

 落ちたまとめ役の手に視線をやった次の瞬間には、誰かの手首が離れて――視認情報が脳に届く前に、誰かの、己の、手が体から離れてぼとりと濡れた地面に転がっているのだ。気づいた時には、激痛にのたうつだけしかできなかった。

 終わったとばかりに剣を払った有希矢は、表情を失くした白い顔をくるりと少女に向けると、すたすたと戻ってきた。


「ありがとう。では、安全なところまで送りましょう」


 震える少女の手から鞄を取り戻してマントの下にしまうと、少女の腰に腕を添えて強引に歩き出した。

 少女は震えながら、地面で藻掻く男たちと有希矢を交互に見やり、その惨憺たる様子に一層怯えた。彼女も目の前で起こった現実に、まだ理解が及んでいないらしい。ぎくしゃくする足を引きずりながら、有希矢の支えに縋って歩くだけだ。


「た、助けていただいて……ありがとうございます。私は……」

「名乗らなくていいわ。お互いに、嫌なことはさっさと忘れましょう。ところで、あいつらは何?」

「実は――」


 少女は、事のあらましを震えが残る唇で話しだし、有希矢は口を挟むことなく、彼女の覚束ない話に耳を傾けた。

 びっしょりと湿った上等なマントの下は、どこかの貴族の子女だと一目でわかるような華やかなドレス姿だ。当然、上流階級の娘をひとり歩きさせるわけはない。それこそ平民街など以ての外だ。

 つまり、大手商会に買い物に行くために獣車に乗って護衛と侍女付きで出かけたが、途中でいきなり降り出した霧雨に前方を遮られ、獣車の足を停めかけたところ、突然現れた人攫いに襲われ……。

 訥々と語る内容を聞いた三人は、それぞれ内心で頭を抱えた。有希矢などは、白い顔を更に白くした。

 令嬢を捜し回る護衛たちの声があとすこし遅かったなら、有希矢は本気で土下座をして彼女に謝罪していたかもしれない。すんでのところで、令嬢の名を必死に呼ぶ声に我に返り、足を止めた。


「ここまで送れば、もう大丈夫ね」

「本当にありがとうございました。何かお礼を……」

「では、私のことは黙っていて。私もちょっと嫌な連中に追われてて、逃げてる最中なのよ」


 護衛の声に安堵したのだろう。令嬢はしっかりと有希矢を見上げると、可愛らしく美しいカーテシーをして礼を言うと頷いた。


「いつかご縁があった時に、今度こそこのご恩をお返ししますわ」

「ええ。いつか。さあ、行って。皆が心配してるよ」


 有希矢の手が、ぽんと令嬢の背を押す。軽く触った程度の力が彼女を前に押し出し数歩離れる。そこに、また令嬢の名を叫ぶ声が響いた。

 すこし汚れた上等なマントの背が、多数の声と気配に向かって駆け出し、家々が密集した角を曲がって消えた。

 見送った有希矢は、手にしたクルチェを腰に戻すと、素早く身を翻してもと来た道を駆けた。


「マジで今度こそ逃げないと!」


 黙っていてと約束したが、それには何の制約はない。良い意味でも悪い意味でも、バルナスを離れる覚悟ができた。

 見上げる外壁は遥かに高い。いくら人外化しているとはいえ、さすがに足場がない状況では最上階まで飛び移るのは無理だった。


『ユキちゃん。アンタ、妙な形をした杭を持ってなかった? あれを壁に打ち込んで足場にすればぁ?』

「さすがは聖剣様! 冴えてるーぅ」


 言われてすぐに左手の平に右手の人差し指と中指を突き込むと、先が曲がった二本の杭を引き出し、間髪入れずに前方に見えてきた外壁に投擲する。女の腕力では叶うはずのない深さに、次々と杭がめり込んでゆく。

 後は、確かめることなく杭を蹴って外壁を飛び越えた。


「バイバーイ。また、いつか」


 三人は、城塞都市バルナスに別れを告げた。


「あ奴らを殺さぬは、何故だ?」

「両手を失ったのよ? この先、何ができるっていうの? 迷宮に墜とされる前に、罪の重さの分は地上でも苦しんでもらわないと。簡単に死んでもらっちゃ、あいつらに不幸にされた人たちに申し訳ないわよ」

「ふん。なるほどな……」


 日暮れが近く、空の端が色を変え始めた。

 大森林の外周を沿う道と、離れて行く道の分岐点で立ち止まる。


「さーて、どっちに行こうかしらね」

『まずはお金を稼がないと、お風呂どころか宿にも泊まれないわよ?』


 どちらを見渡しても荒れ地が続き、見通しだけはいい。


「稼ぐ方法がわからないー。どうしよう」

「其方の【空間格納庫(インベントリ)】にある物で、どうにかならんのか?」


 鞄から垂れを押し上げて顔を出すウルが、自信なさげに助言する。 


『アタシが活躍してた時代なら人材ギルドって商会があって、そこで様々な素材の売買をしてたはずよ? アタシのパートナーもやってたしぃ』

「英雄様が?」


 古い情報を引っ張り出してきたクルチェに、有希矢は的外れな質問を返す。


『戦うのが彼とアタシの存在意義だったからねぇ……って、そんなのはどうでもいいのよっ。さっさと町か村を探して、売れる物がったら売っちゃいな!』

「はーい」


 窮屈な場所から解放された有希矢の雰囲気は明るい。しがらみがないということは寂しい時もあるが、誰の強制にも従わなくてもいいのだと知った。

 遠慮や余計な気遣いはしなくていい。縛られるのは、もうたくさんだった。


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