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14・聖なる

 雲一つない晴天の空から、いきなり霧雨が降りだした。雨というより、霧に近い。

 空中から突如として大量に湧き出して、城塞都市を含む一帯に降りだした霧雨に、街中の人々は大騒ぎだ。朝や夕暮れ時に起こる現象が、昼に近い時間に突然起こったのだ。

 通り雨のようにびしょ濡れまでにはならないが、代わりに視界がどんどん悪くなる。あっという間に交通状況は大混乱に陥った。歩いていた住人たちも慌てて建物に避難し、公園からは人の喧騒が嘘のように消える。

 目前で喚いていた少女たちも、不安と湿って崩れ出したヘアスタイルを気にして、小走りに立ち去った。

 残っているのは、有希矢だけだ。


「ねぇ……何が起こったの?」


 まだショックが抜け切らない有希矢は、どうにか声を絞り出した。


「其方の中にウィンベルグが埋め込んだ【神威の雫】が、呪いを感知して発動したのだろうよ」

「それって、あの時■■■■■■様が私に与えてくれた――あっ」

『あっ、じゃないわよ。創造神様の名は、この地上じゃアンタでも口にできないの。あの好々爺顔した腹黒老いぼれの前で、何度試しても無理だったでしょう?』

「でも、ウルは……」

「余は同等の神だからな。今は、あ奴の造った世界に頼まれて間借りしておるだけだ」

「間借りって……それよりも! これが呪いの感知警報と回避術だっての!?」


 いまだに霧雨は収まる気配はない。見通しが悪くなっただけで別段おかしな事は起こらないらしいとわかってか、様子見をしていた人々が徐々に動き出た。それでも濡れることを嫌って、誰もが足早に行き来している。


「そうだ。これは伝説級(レジェンド・クラス)の聖水雨だな。そこそこの呪いや穢れなど一払いだろう」

『やっぱり~? ああん。なんだかお肌がしっとりつやつやし始めたと思ったのよぅ。ウ・フ・フッ』


 金属の剣のどこが「しっとり」で「つやつや」なんだ。むしろ「しっとり」は天敵ではないのかと突っ込みたいところを、ウルは我慢する。

 有希矢のほうはそれどころではない。人外化が更に進行している現状に、パニック寸前だ。


「私、本当にこのままこの世界で生活して行けるの? 大丈夫なの? ねぇ……」


 呆然と霧雨が舞う空を仰いでいた有希矢は、ウルを見下ろすと強い調子で問いかけた。

 マントの端に包まれているウルの口元が左右に裂け、真っ赤な口内とぎざぎざした鋭い牙が剥き出しになる。

 笑う。楽しそうに、ウルは笑った。


「まあ、今は早急に姿を隠したほうがよかろう。城塞都市の全域で起こっておる奇跡が露わになり出したぞ」


 ウルの一令こそが、今の有希矢に必要な感知警戒の赤色灯だった。



 走る。このままの勢いで大門を突破しようとしたが、謎の霧雨とあちこちから集まる信じられない報告で、衛兵の詰所はいまも混乱していた。ただし、さすがは大森林の監視役を任されている都市でもあり、通常より警備は厳重になっている。

 これは無理だと判断した有希矢は、下町の路地を奥へと進んだ。もちろん【探知鳥瞰図(レーダー)】を使い、刻々と変わるバルナスの内部を観察しながらだ。

 表通りは小奇麗な商家や民家が並んでいたが、奥に進むにつれて道は土面が固められているだけの細道で、霧雨のせいでぬかるみだした箇所まである始末だ。

 足を捕られはしないが、文明の進歩など関係なく、人の世の奥底はどこも等しく下は踏みつけにされているんだと胸の裡が重くなる。それでも、路上を棲み処にする者はいないし、どんなに貧しくても家屋の中で生活できている。

 家があり家族がいるだけで、心の拠り所はそこにあると安心できる。そして、裏を返せばそれらをすべて失ってしまった自分が悲しい。

 長らく心の棚にしまい込んでいた郷愁がどっと溢れ出し、ようやく涙することができた。


「何故に泣く?」

「……胸の奥に締まっておいた前世の思い出が蘇って……」

「ようやっと安心して泣けるか?」

「うん……。腹立たしいばっかりで、この感情だけは未消化だったの」

『決別……かしら? オンナはね、清濁全部を呑み込んで、消化して、また新しい色に塗り替えて前に進むのよ……。どんなに悲しくても』


 ああ、ここに私の新たな家族がいるのだと、有希矢は足を踏み出しながら嗚咽を堪えた。

 時間が過ぎると共に、霧雨はゆっくりと晴れていった。すっきりとした青空が見えだし、これ以上の騒ぎは起こらないかと有希矢は歩を緩める。後は、どこからこの高い外壁を飛び越えるかだけだ。人目に付かず、それなりに足掛かりがある場所を探す。

 衛士のフリをして剣の柄に手を添えながら、外壁沿いを背筋を伸ばして歩く。時折、すれ違う住人が労いの言葉をかけてくるのに頷きを返す。

 このまま進めば商人街に入ってしまうなと【レーダー】を確認しつつ、どうするかと思案していた時だ。


「重罪の匂いがする……これは、余の許に送られるべき者たちだ。遠慮はいらん」

『誰か、追われてるわね』


 ウルとクルチェの囁きに、有希矢は自然な動作で剣を握った。その直後だ。有希矢が立ち止まった脇の路地から、上等なマントを羽織った小柄な人影が飛び出してきた。すぐ後を、見るからに粗野な身なりをした下卑た男たちが追ってくる。

 小柄な影は有希矢にぶつかりかけて顔を上げ、相手が衛士だと知ると縋りついてきた。


「助けて!」


 悲痛な声ひとつで、有希矢はマント姿の少女の腕を掴むと背後に回し、肩にかけていた鞄をウルごと預けた。


「ちょっとこれ、預かっていてね」


 投げるように渡された鞄を反射的に受け取ってしまった少女は、相手が衛士のマントを纏った女だと知って目を丸くする。が、すぐにがくがくと頷いた。


『さーあ、アタシの出番ね。ウルは遠慮しないでいいって言ってたわ。ユキは大丈夫かしらん?』

「何が?」

『アンタ、人を相手にするのは初めてじゃない?』

「そうだけど、ウルが()()言うなら、容赦はしないわ」


 細い路地からばらばらと六人の男たちが現れ、有希矢を囲もうと広がる。


「そのガキをこっちに渡せ! てめえみてぇな細っこい奴じゃ、死ぬだけだぞ! 無理すんな? な? 衛士さんよ」


 六人が六人共に、煤けた汚らしい顔に醜い薄ら笑いを浮かべている。相手が衛士と知っても、細身の有希矢をなりたての見習い衛士とでも勘違いしているらしい。それに加えて一人となれば、殺してしまっても目撃者はいない。唯一の目撃者は、これから攫ってゆくつもりの少女だけだから。


 ヒュッ


 空気が微かに震えた。

 次に、軽口を叩いていた男の手首から先が宙を舞った。


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