13・呪いと嫉妬
洗いざらしのマントのフードから、きょろきょろと辺りを窺う小面の女がいる。
彼女の目の前を大型の鼠のような家畜に引かれた荷馬車や、カンガルーに兎のような被毛の生えた跳ねて走る魔獣が小荷物と人を乗せて通り過ぎ、縫うようにさまざまな服装の老若男女が足早に行き来している。
広場というには狭いが、公園というには行き交う人が多い平民街の中ほどにある、ロータリーを兼ねた緑化公園の端に、変装した有希矢は座り込んでいた。
本人は隠れているつもりで並木の影に座り込んだが、街の住人に馴染みのある衛士のマントは目立って見えた。だが、誰も声をかけようとはしない。
変装とはいえ、神が用意した白い服の上に聖堂衛士用の色褪せたマントだを纏っているだけだ。ついでに、クルチェを帯刀するベルトと、保管所の隅に埃だらけで放置されていた肩掛け鞄も拝借してきたが。
衛士がこんな時間にこんな場所で油を売っているわけはないと知る住人たちは、有希矢だとは知らなくても不審人物だと認識し、ちらっと見やるだけにしてあとは無視を決め込む。
そんな住人の心情は、今の有希矢にはありがたいくらいだった。
聖堂で十日あまりを過ごしたが、我慢できずにとうとう逃げ出してきた。
はじめの二日は休息のためにと、世話係の聖堂女が来る以外は誰も訪ねて来る人はなく、ベッドと風呂をこころゆくまで堪能した。
温泉が湧く風呂に入り、喧嘩しつつウルを洗濯した。艶は出たが、もっふりどころか黒々とした針のような剛毛が強調されただけなのに落胆したし、顔を隠す部分だけでも毛を切ってやろうと迫ったせいで、微弱な電撃を喰らわされて泣いた。
中身は目を瞑るとして、外見くらいは癒しに変身するだろうと思った有希矢は、現実の残酷さにふたたび打ちのめされた。どこの高慢なマダムだとつっこみたくなる聖剣の高笑いが、凹む有希矢に追い打ちをかけた。
三日目からは祷司長アルケーに呼ばれ、お茶会とは名ばかりの質問責めに合う日が続いた。
アルケー等聖堂会が望む情報は、迷宮遺跡の内部構造と侵入口のあるなし、そして、創造神とはどんな存在なのかだった。
開始時はアルケーだけが相手をしていたが、日に日に見知らぬ連中が増えてゆくのには参った。
答えようにも神が禁句を勝手に設定したらしく、有希矢の発言はあちこち聞き取れない状態のようで、有希矢も同じ質問を繰り返される異常な状況を経て、ようやく神の所業に気づいて説明をした。
そのせいで、聖堂会関係者の間にとげとげしい雰囲気が漂い始め、ついには世話役の聖堂女にまでも冷ややかな応対をされ始めた。
「逃げたい……」
「逃げればよかろう?」
『そーよ。こんなトコにいてやる義理なんてないでしょう?』
三人の意思は一致した。
三人共に食事も着替えも排泄場所も必要ない。あえて挙げれば、雨露凌げる部屋と風呂くらいか。軟禁に近い状態に置かれ、文句も言わずに八日間の尋問に付き合ったのだ。それで十分恩は返したつもりだ。
それだけに、悪意に晒され続ける状況に、いつまでも甘んじている理由はない。
有希矢は荷物を纏めると、さっさと窓から逃亡したのだった。
『それにしても、ここから逃げて何処へ行くの? で、何をするか、決まったの?』
「あー……まだ決まってない。どーしよー……」
「何の楽しみもないと言うのは、便利なようでいて生きる気力が湧かんものだな」
古ぼけた鞄から顔を出したウルが、枯れた表情の有希矢を見上げた。
そうなのだ。
食事はできても匂いも味もしない。噛むと感触だけは解かる。それがなんとも気持ちが悪かった。
前世で香りと味わう喜びを経験してるだけに、見た目で期待した物が口に入れた瞬間に異物に変わるのは耐えられなかった。まるで、水でできた歯ごたえのある物体を咀嚼しているようで、有希矢は口に含んだ物を無理やり飲み込み、以降は食事を遠慮した。
そのやりとりも、聖堂女たちの機嫌を損ねる要因となったのだろう。
『食べるだけしか楽しみがないって、アンタ本当にオンナを捨ててるわね』
「じゃあ、他に何があるっていうのよー」
『あるでしょう? オンナなら着飾ったりお化粧したり、宝石を集めるのもいいかも?』
「えー……着飾ってどーするのよ」
『着飾る理由なんて、一つしかないじゃない~? 美人さんになってぇ~――』
クルチェが意気揚々と女の生き方を語りだした時だった。俯き加減でいた有希矢の足元に影が差す。
「ちょっと、あなた。先日、メルビス様の背中に寄り添ってた人よね?」
「はい?」
なんとなく棘を感じる口調で、一人の女が話しかけてきた。反射的に顔をあげれば、三人の女が立って有希矢を見下ろしている。その顔には、初対面の相手に対しての笑みはない。
「十日前に、メルビル様の乗獣に二人乗りしていたでしょ!?」
「メルビル様って……外警隊の?」
「そうよ! あなた、メルビル様とどんな関係なの!?」
三人共に有希矢より年下だろう。淡い金の巻き毛を後ろに束ねた中央の少女は細い腕を胸の前で組み、目尻を吊り上げて息を巻く。その両端にいる二人は、ただただ同意を示すために頷いてるだけだ。
有希矢は、何処かで見たな―と遠い目をしつつ立ち上がった。
喧嘩を売られても買うつもりはないが、見下ろされているのは気に食わない。
「外で迷子になっていたところを助けていただいて、聖堂まで送ってもらっただけですが、何か問題がおありで?」
「そ……そうは見えなかっただけよっ。メルビル様は女の子たちの憧れの人なの! べったり背中にくっついてたあなたをみんなが見てたわ。バルナスに住むつもりなら、気をつけなさい!」
立ち上がった有希矢よりこぶし一つ分背の低い少女は、苛立たし気に声を荒げるとぐいっと半歩近づいてきた。
と、有希矢の脳裏に点滅する赤い光が浮かぶ。
(な、何!? これ! パトランプみたいじゃない!? どうしたってのよ!!)




