女難の相
新連載開始です。
またもや異世界物ですが、恋愛フラグが微塵も立ちません。なんせ、女難の呪いがお仕事しまくりです。
楽しく読んで頂けたら幸いです。よろしくお願いします。
女性社員専用のロッカールームを出たところで、小鳥遊 有希矢は三人の女性社員に囲まれた。
二人は同じ課の先輩同僚で、もう一人は見覚えはあるが別の課の社員だ。社員食堂で仲良く昼食をとる様子が毎日のように見受けられる。
なんだろうと戸惑いながら三人を見返した有希矢に、綺麗に口紅が引かれた唇から、突如として罵倒の弾丸が雨のごとく撒き散らされた。
「腰かけ目的で入社? 男漁りなら他の会社でやれば?」
「人が狙ってる男に、横から手ぇ出さないでくれる?」
「学生時代にモテたからって、社会人になっても続くとか思い違いしてんじゃないわよ!」
わざわざロッカールームから出たところを狙わなくても、と余計なことを考えながら、彼女たちの背後をすり抜けてゆく者たちを眺める。
就業間近の今は、出勤してきた女性社員たちがせわしなくロッカールームを出入りしている。誰もがただならない雰囲気の四人を横目にし、すぐに視線を逸らして去ってゆく。
昼休みを待たずに社内中に回るだろう噂を憂鬱に思い、有希矢はこっそり溜息を吐いた。
そんなぼんやりしている彼女に業を煮やした先輩の一人が、意味の解らない言いがかりを繰り返しながら、思わずといった勢いで有希矢の肩を突いた。有希矢の態度に真剣さが見えず、意識を向けさせるために手を出してしまったらしい。
暴力だと訴えるほどではないが、いきり立つ女性の一押しはそれなりの力が籠っていた。
有希矢の背後には、避難階段に出るための防火ドアがある。そのまま無防備に後退すれば、肘辺りをぶつけて痣の一つもできるだろう。
(これも、女難の相ってことかな……。)
有希矢の脳内を、幼い頃の小さなエピソードが過る。特異性を持つ厄災を宣告された日であり、最後の幸せな思い出の日。
そんな思考が、有希矢の警戒を邪魔した。
無意識に背中を丸めて衝撃に備えた彼女の体は、なぜか勝手に開いたドアを潜って非常階段の踊り場に吐き出され、勢いのまま二歩三歩と後ろにたたらを踏んだ。
(あれ……?)
腰の辺りに手摺りの感触を覚えた次の瞬間、彼女は頭から空中に投げ出されていた。
すぐに金切り声の叫びと悲鳴が上がるが、有希矢の意識は落下途中で閉ざされた。
◇◆◇
桜の花びらが青空を背景に舞い遊ぶ中を、有希矢は母、愛美と手を繋いで歩く。
小学生だった有希矢の、懐かしい思い出の一場面だ。
愛美と買い物のために商店街を歩いていると、アーケードの片隅に座った易者の老人に声をかけられた。
『あんたたち母娘に、とんでもない女難の相がでてる。長く深い災いだから、気をつけるんだ!』
唾を飛ばして怒鳴るように告げる老人に、有希矢は怯え、愛美は陽気に笑って返した。
『おじいさん、女難の相って男の人に関わる災難じゃないの? 私もこの子も女だし……』
『いいや。女の身にも女難は来るもんだ。避けられないが、気をしっかり持ってな』
『えー? 女の身にも? なんだか嫌ね~』
幼い有希矢に『女難』が何かは解らなかったが、老人の慌てぶりと愛美の物言いからあまりよいことではないくらいは察した。愛美の影からふたりの顔を交互に見やり、子供だけに不安な気持ちになった。
しかし、愛美は笑顔で大丈夫と繰り返し、易者を軽くいなすと手を振った。
家族仲はよく、父、聡介も有希矢を可愛がってくれていた。近所の住人も会うたびに、有希矢一家の仲の良さを羨ましがるほどだ。
だが、半年後に有希矢の世界は一変する。
聡介の浮気が、幸福な家庭を破壊した。
泣き腫らして赤い目をした愛美は目尻と眉を吊り上げて聡介を睨み、隣で頭を下げている見知らぬ女を氷のような冷たい目で蔑んだ。
その後は、惨憺たる人生が母娘を待ち構えていた。
小さなアパートで二人は新たな生活を始めたが、次々と理不尽極まりない面倒が襲ってきた。
学校では女子による理由が解らない苛めに合い、愛美は愛美で勤め先の上司の妻に不倫相手と誤解を受けて騒動になった。やっとの思いで解決すれば、また間を置かずに難事が起こる。
どれも女性が騒ぎの発端となり、結局は有希矢たちに一片の非もないまま振り回されて終わるのだ。
母娘は、間断なく押し寄せる不幸に、だんだんと疲れていった。
先に、不運に沈んだのは母だった。
階下に引っ越してきた女性に、出会い頭に包丁で刺されてこの世を去った。
精神的な病を患っていたらしい相手は罪に問えず、代わりに高額の示談金が積まれて手打ちとなった。
学生だった有希矢の生活は、その忌まわしい金銭と母の保険金で保たれはしたが、同時に酷い人間不信に陥らせた。
サバサバした性格を自称する友人が、ウィンクを決めながら宣う。
『お金持ちで独り生活なんて最高じゃない? 今度、奢りなさいよー』
父の浮気相手だった、現在の妻が電話をしてきた。
『いっぱいお金が入ったんでしょう? あんたの弟を有名私立に入れたいのよ。あんたのお母さんに渡したお金、そろそろ返して?』
不貞の償いのために払われた慰謝料を、まるで母が借金をしたような口ぶりで告げる女に、有希矢は無言で電話を切った。
(今更、こんなことを思い出してどうなるっていうの? 挙句に、理解不能な状況で死ぬことになるなんてっ)
凄まじい憤りに煽られた有希矢は、重い瞼を無理やりこじ開けた。
だが、死してなお意識があることに驚き、混乱しながらも周囲を見回す。
天国か地獄かと慄きながら真っ白な空間をよく見てみると、そこはローマにあるコロッセのようなすり鉢状の造りで、有希矢は中央の舞台に座り込んでいた。
「自らの罪を反省し、被害者に贖いをしなさい!」
「ええ!?」
突然、鋭い女の声が頭上から降ってきた。
その声は威厳と圧力を伴い、有希矢の頭を見えない何かが押し下げる。
事情が呑み込めない有希矢は、力に逆らい無理やり顔を仰のかせると、声の主を探した。
遥か上まで続く白い壁の中に桟敷があり、そこに薄衣を纏った妖艶な美女が立っていた。
「私の罪って……」
「理不尽な嫉妬心をぶつけて同僚を死の淵に追いやっておきながら、悔俊の念も湧かないとは!」
「私が何をしたって言うんですか!」
「偽りは無駄だ。ここは神の審判が下される場。女神ルーデシアの目はすべてを見届けている! 悔い改める気持ちを持たぬ者は、その身の罪が消えるまで迷宮で彷徨うがよい!」
女神と自称する美女は、有希矢の問いかけにさえ耳を貸さず、早々に判決を下すと右腕を高々と頭上に掲げた。
「な、なんで!」
「贖いは己を助けるもの。迷宮から解き放たれたくば、悔い改める努力をせよ」
女神が掲げた手を振り下ろした途端、有希矢はまた暗闇の中へと墜落していった。