四対四の対決
8組女子はリーグ二位だったため決勝戦進出とはならなかったが、男子グループも同じく二位だったおかげか、それなりに我がクラスは健闘したという空気感になり、8組としては和やかな雰囲気で球技大会を終えた。
優花にとっても、桃子がぶつかってきたときのこと以外は、特に問題は起こらなかった。女子だけになる更衣室でも、新菜が優花の隣に並んでいたおかげなのか、わかりやすい悪口は言われなかったし、鋭い視線も飛んでこなかった。
「じゃ、私はこれで。どうせ帰りは兄が迎えに来るんでしょ」
更衣室を出たところで、新菜は優花たちのそばをさっさと離れていった。結局、球技大会のほとんどの時間を新菜と一緒にいたのだった。
「長谷部さんの印象が変わっちゃった。いい意味で」
百合は新菜の遠ざかる背中を見ながら感心したようにつぶやいた。
新菜は一緒にいるだけでなく、いろいろと話を振って、それなりに優花たちと会話もしていた。学級委員としての新菜ではなく、素に近い新菜として、気まずくならないように配慮してくれたらしかった。
兄妹そろって文武両道な上、コミュニケーション能力も抜群なのは、長谷部家の血筋か、教育の賜物か。
(先輩が無理に家を継がなくても……長谷部さんが継いだっていいんじゃないかな)
そう思わずにはいられない優花だったが、たとえ思いつきでも口に出せることではないとわかっていた。
教室に戻ってからも、特に何事もなく、普段通りのホームルームが行われ、正午過ぎには放課となった。
帰り支度をしていると、昨日と同様に長谷部が教室のドアの向こうに現れた。昨日ほどではないにしろ、やはり教室は少しざわついたので、居心地が悪くなる。百合と一緒に急いで教室を出ると、今日は宮瀬が長谷部の横にいた。
「一年生の教室がどれだけざわつくのか見に来たよ」
悪びれずに宮瀬が言うので、優花と百合は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。そのまま、四人で学校を出て、校門までの道を歩く。
「球技大会中、問題なかった?」
歩きながら、長谷部は心配そうにたずねてきた。結局、長谷部は一度様子を見に来たきり顔を見せなかったのだった。思った以上に先生の監視が厳しくて、抜けられなかったのだという。
百合が、ちゃんと話しなよ、という感じで目配せしてきた。優花が話さなくても、百合が話すだろうし、場合によっては新菜も状況を報告するかもしれない。優花は淡々とあったことを話した。話す間に、長谷部と宮瀬の表情がどんどん曇っていくのがわかった。
「何か企んでそうではあるね」
宮瀬は言いながら、腕を組んで考える。
「しばらくは長谷部の送迎が必要そうだけど、さすがに毎日は厳しいしなあ」
「もともと、毎日送っていくつもりだったから、そこは問題ないよ」
何てことないように長谷部が言うので、宮瀬は少し眉をひそめた。
「塾の日はどうするんだよ。橘さんを送っていったら、授業に間に合わないぞ」
「こっちの方が大事」
すかさず応えた長谷部に、宮瀬があきれた表情を浮かべた。優花は慌てて口を挟む。
「何言ってるんですか、入試も近いのに。私は大丈夫ですから」
しかし。
「君の『大丈夫』は一番信用できないんだよね」
一瞬にしてあしらわれてしまった。
「長谷部先輩の言うことに同感」
百合までそう援護したので、優花は言葉を継げなくなってしまった。反論の余地もない。
「なんかの拍子に、ぱっと解決しちゃうといいんだけどねえ」
おどけた調子で宮瀬が言った。が、その表情が急に険しくなり、立ち止まる。優花たちもつられるように足を止める。
どうしたのだろう、と宮瀬の視線の先を見た。校門を出たところに、四人の女子生徒がいた。そのうち二人は、優花も知っている人だった。
(飯田さんと、遠野さんだ)
二人は、真っ直ぐに優花の方を見ているようだった。その二人の後ろには、知らない高校のブレザーを着た女子二人がいて、やはり優花へ視線を向けている。
(どこかで、会った……?)
ブレザーの二人に、なんとなく見覚えがあるような気がした。しばらく考えてみたけれど、一致する顔が思い浮かばない。
「どうする?」
不安げに瞳を揺らしながら百合が言う。優花は小さく息を吐き、四人を見つめ返しながら応えた。
「行くしかないよ。あそこを通らないと、帰れないし……」
言いながら、ハンドルを握る手に、思わず力が入る。本当は、彼女らのそばを通るのは怖い。今は離れた距離にいるけれど、そこはかとない敵意をひしひしと感じ取っているのだ。
「大丈夫。俺たちも一緒にいるからね」
優しい表情で、でも力強く長谷部が言った。続いて、宮瀬も明るい声で言った。
「案外、本当にこれでぱっと解決するかもしれないよ」
その通りだ、と優花は腹をくくった。逃げ回っていても、何も進まないのだ。
おそるおそる、優花は足を一歩前へ進めた。
優花を見つめているのは何かの間違いで、彼女たちの前を通り過ぎても話しかけてこなければいいのに、なんてことをちょっと思っていたが、もちろんその通りにはならなかった。
「橘さん、長谷部先輩」
桃子に呼び止められた。
「ちょっと、お話があるのですが」
硬い表情で桃子が優花を見た。
「話って?」
冷たく長谷部が応じた。そこへ、ブレザーを着た一人の女子高生がずんっと前に出てきた。
「あんたに用があるのよ。橘優花」
その女子高生は優花のことを鋭く指さした。その声に、聞き覚えがあると思った。優花は記憶を探るが、なかなか答えにたどり着けないでいる。
「人の彼女に指さすなんて、非常識だな」
優花をかばうように、長谷部が女子高生の前に立ちはだかる。
「だから、その女に用があるって言ってるでしょ。邪魔しないで!」
キンキン声で叫びながら、女子高生は長谷部にくってかかった。しかし長谷部は冷徹な視線で彼女を見下ろすだけだ。
「君は何なんだ? 名乗りもしないで騒ぐだけで。とんでもなく失礼なことをしているのがわからないほどバカなのか?」
長谷部の声は抑えられていたが、相当怒っているのが伝わってくる。見かねた宮瀬が小声で「あんまり煽るなよ」と忠告していた。
「麗、よしなよ。話したいなら、まずは落ち着かなきゃ」
もう一人の女子高生が袖を引いて落ち着かせようとした。それを聞いて、優花ははっとなる。一瞬にして、目の前の彼女と、ある一人の人物がつながった。
「もしかして、文化祭の時の……」
思わず声が出た。
「文化祭?」
長谷部は怪訝そうに振り返る。そこで、女子高生はふんっと鼻をならした。
「そうよ。思い出した? 私は、木宮麗。竜の彼女の」
彼女、と言うところを殊更に強調して、麗は突きつけるように言った。
(顔がわかんなかったのは、お化粧が違うからだ)
目の前にいる麗の顔をしげしげと観察しながら、そう結論づけた。
麗と、もう一人のブレザーの女子高生をよく見れば、彼女もまた文化祭のときに来ていた子だとわかった。
あのとき、彼女ら二人の化粧はバッチリ決まっていて、アイシャドウもマスカラも濃かったと記憶している。今は、学校があったからだろうか、薄めの化粧になっている。化粧が違うとこんなに顔が違うものなのか、と思うすっぴんの優花だった。
「場所を変えよう。こんなところで話すことはできないな」
と、宮瀬が提案した。このおかしな状況に、多くの生徒たちがチラチラと視線を投げながら通り過ぎていく。確かに、落ち着いて話をするような場所ではなかった。
「あと、俺たちもその話に立ち会うからね」
宮瀬が言うと、百合も大きくうなずいた。臨戦態勢だと言わんばかりに、百合は両拳をぎゅっと握りしめている。
四人の女子たちは顔を見合わせて「どうする?」と言った表情をしたが。
「そっちの人数が四人なんだから、こちらも四人であるべきだろう」
その宮瀬の言葉に、彼女たちは渋々うなずいた。
場所は、優花と百合がよくおしゃべりをしている公園になった。その道すがら、誰も彼も無言であったが、優花はずっと麗からわかりやすい敵意を向けられていて、胃の奥がきゅうっと苦しいまま歩き続けた。
四人と四人は人の少なめな場所に来た。そこはいつも優花と百合が来ているベンチから更に奥まっており、常緑樹が多く植えられている場所のせいか、昼間なのに薄暗かった。優花は手近な木のところに自転車を停め、長谷部の横に並んだ。
(なんだか、決闘でも始まる感じだな……)
目の前には、麗と桃子が並んで立っていた。その後ろには夏葉と、麗の友だちの英奈が控えている。
優花と長谷部の後ろでは、百合が心配そうな表情で成り行きを見守っていた。
「さて、状況を整理するけど、いいかな」
宮瀬は両者の間に立ち、だいぶ控えめな声量で言った。
「そこにいる、遠野夏葉さんと武藤英奈さんが、中学の時の同級生」
夏葉と英奈がこくりとうなずいた。
「で、そのつながりで知り合ったのが、飯田桃子さんと木宮麗さん。ということで間違いないかな」
桃子は小さくうなずき、麗は「そうよ」と苛立たしげな声を出した。
「そして、武藤さんは遠野さんからうちの文化祭に来ないかと誘われて、木宮さんは武藤さんと一緒に来た」
宮瀬が整理する情報を聞きながら、世間は狭いとつくづく思う。友だちの友だちがこの高校に来ている、と麗はあのとき言っていたが、その友だちの友だちが夏葉だとは思いもよらぬことだった。
「その文化祭で、木宮さんが再会したのが――」
「竜よ! 私の彼氏なの!」
宮瀬の言葉を待たずに、麗が「彼氏」を強調して叫ぶ。キィンッと耳の奥に響いてきた。
「別れたってあの彼が言ってたの、聞いたんだけど?」
長谷部が平坦な口調でそう言うと、麗はカッと目を見開き、わなわなと震え始めた。
「なんなのよ! 私は別れたつもりないんだから! って言うか、何であんたがそんなこと聞いてるのよ。部外者じゃない!」
そこで、ちょっと落ち着いて、と後ろから英奈がその背中を撫でた。目も顔も真っ赤にしながら、麗は乱れた息を整えようと何度も深呼吸をし始めた。
(飯田さんが無表情すぎて、ちょっと怖い……)
荒れる麗とは対照的に、桃子はずっと無言で表情が変わらない。それが、優花の不安感を募らせていく。
「長谷部、いったん黙っておこうか」
宮瀬が疲れた様子でため息をつく。
「気持ちはわかるが、お前が発言すると話が進まない」
「……」
むっと口をとがらせたが、長谷部はおとなしくそれに従った。一呼吸置いて、宮瀬は再び落ち着いた口調で話を始めた。
「話を戻すけど。文化祭で木宮さんが竜って子と再会して付き合った。で、話を聞く限りでは、その彼が一方的に木宮さんに別れを告げた。ここまであってる?」
その問いに麗が何も応えなかったので、英奈が代わりに「そんな感じです」とうなずいた。
「このあとがわからないんだよね。どこがどうなると、橘さんに用があるってことになるの?」
「竜が別れようって言ってきたのは、その女のせいだからよ」
ひどく恨みがましい声が、優花の胸をえぐる。思わずぎゅっとコートの胸元を握った。
「どうしてそう思ったの?」
冷静な口調で宮瀬が問う。
「その女が、竜を奪ったのよ」
「……?」
こちら側の四人が、一様に首をかしげた。
そんな反応だったせいだろうか。麗から再び鋭い怒気が発せられた。
「あんたが竜を誘惑したんでしょう! でなきゃ、竜が別れようなんて言うはずないんだから! 竜を返しなさいよ!」
麗が猛然と前に進み出て優花をつかもうと両手を伸ばす。咄嗟に、長谷部が優花をかばうように自分の腕の中に引き寄せた。いきなり長谷部の体温と匂いに包まれて、優花は目を白黒させる。
「だから、落ち着きなって。手を出しちゃダメだよ」
麗の後ろから英奈が引っ張って、ひとまずは優花から離した。麗が肩で息をしながらボロボロと涙を流しているのを、優花は長谷部の腕の中から呆然と見ていた。
麗の訴えの内容が、理解できない。抱きしめられた瞬間から、無表情だった桃子の瞳の奥が鋭く光ったことも、わからない。
「えっと……つまり、こういうこと? その彼が別れようって言ってきたのは、橘さんと付き合うことになったからってこと? その彼が、そう言ったの?」
宮瀬が慎重に麗の様子を探りつつ、ゆっくりとした口調で訊ねた。
「そうは、言ってない、けど……でも……わかるのよ」
涙で声を震わせながら、ぎろっと麗がにらんだ。
「あんた、竜のこと、好きなんでしょ」
優花は息をのんだ。同時に、長谷部の腕の力がわずかに強くなったのを感じる。
苦しげに顔を歪めた麗は、絞り出すようにこう言った。
「竜も、あんたのこと、好きなのよ」